犬の散歩中、ほかの犬と出くわし、牽制して吠える光景は、日常でもよく目にするものだ。ただ、その家の前を通るとはるかに超越したレベルの騒ぎが巻き起こるという。

「室内で1匹が吠え始めるとほかの犬も連鎖反応して、ワンワンワンワンとウェーブのような大合唱になるんです」(地元住民)

 8畳2間の平屋建て住宅内に雑種の中型犬などが174匹。想像を絶する大音量の鳴き声が外まで響き渡るという。

室内には犬がひしめき合い、想像を絶する光景が(画像提供:「どうぶつ基金」)

 島根県出雲市の民家でおよそ前例のない規模の多頭飼育崩壊が明るみに出た。

 飼い主は高齢夫婦と娘の3人家族。元々は自宅敷地内にある古びた2階建て住宅で暮らしていたが、犬の室内飼育で傷んだのか、のちに増築した平屋建て住宅で犬と同居するようになった。さらに不妊・去勢手術が追いつかず繁殖が繰り返され、世話が行き届かない状況に陥った。

 県からの支援要請を受け10月に室内に立ち入った公益財団法人『どうぶつ基金』の佐上邦久理事長が室内の様子を語る。

「棚や台所の流し台、ベッド、コンロの上やテレビ台などありとあらゆる隙間にびっしり犬がいて、満員電車のようでした。犬の排せつ物が散乱し、一部の床は糞がペタペタ踏み固められて土間みたいになっていました」

 家族は長年、犬に囲まれながら3度の食事や風呂を済ませ、身支度を整え出勤していたというから驚く。

 犬の大合唱をやめさせるのは主に母親の役割だった。

「母親は一斗缶のようなものをガンガン叩きながら“うるさい! 黙れ!”などと大声で叫ぶんです。すると見事にピタッと一匹残らず鳴き止むんですよ」(前出の地元住民)

 別の男性住民は、

「犬の鳴き声よりも、むしろ母親の怒鳴り声のほうがうるさかった」

 と打ち明けるほど。

 なぜここまで頭数が増えたのか。話は約40年前にさかのぼる。

エサを食べに勝手に来ちゃう

「まだ野良犬が路上をウロウロしていた時代で、あの夫婦は1匹にエサを与え始めた。やがて、面倒をみる犬は増え、自宅の庭で飼うようになり、しっかりとした犬小屋を建てた。それでも足りず室内でも飼育するようになり、約30年前の時点で室内外合わせて30匹以上は飼っていた」(近所の住民)

 この頃すでに鳴き声はうるさく、雨が降ると周辺に獣臭が漂った。庭で弱い犬をほかの犬たちが取り囲み、咬み殺すという残酷なシーンも目撃されている。

「さすがに飼いすぎじゃないか」

 と直接諌める近隣住民に対し、

 この一家は「うちで飼っているのはコレとコレとコレで、ほかはエサを食べに勝手に来ちゃうだけなんです」などと言い訳したという。

 約20年前には近くの公園まで悪臭が広がり、学区の小学校で「あの公園で遊ぶと身体にダニがつくから行ってはダメ」と指導するほどに。

 最終的に“大きな犬小屋”と化す木造平屋建て住宅を新築したのは16年前のことだから、一家なりに周辺環境に配慮したのかもしれない。

 しかし、完全に犬を室内に閉じ込めたわけではないようだ。関係者によると、平屋建て住宅から裏庭には自由に出入りできるようになっていたという。それでも、犬にとっては狭い室内で居場所を探すのもたいへんな状況に置かれていたことに変わりなく、ストレスはたまったようだ。

 7年前、室内から犬が逃げ出す騒動が起こっている。

 別の近隣男性は言う。

「玄関を開けていたら逃げちゃったみたい。あれだけ頭数が多いのに犬を散歩させているのは見たことがないから運動不足だったんでしょう。ちゃんと狂犬病の予防注射をしているかわからないし、噛まれたら怖いなと思ったことを覚えている」

 狂犬病予防法は、飼い主に対し、生後91日以上のすべての犬について所有してから30日以内に市町村に登録することと、狂犬病の予防注射を受けさせることを義務付けている。違反者は20万円以下の罰金対象だ。

行政指導の限界

 県によると、出雲保健所はこのとき保護した犬を返す際に初めて一家と接触。飼い主がわかる首輪をつけて登録し、予防注射をするよう指導したという。

「最初は頭数を教えてもらっていませんが、2年後にちゃんとやっているか訪問調査したときに“十数匹飼っている”と言うので不妊・去勢手術をするよう言いました。昨年、近所から“臭いがする”と苦情を受け、再訪問したところ“20匹近くいる”と言うので登録・注射のほか周辺環境への配慮を加えて再指導しました」

 と担当の県薬事衛生課・食品衛生グループの中村祥人グループリーダー。

 一家は頭数を約10分の1に抑える過少申告をしたわけだが、今年6月に動物愛護法が改正されるまでは室内に立ち入って実態を把握することは難しかったという。

 前出の佐上理事長は、視察時にこんな光景を見ている。

「栄養不足であばら骨が浮き出ている犬もいました。エサが足りず、成犬の肛門に鼻先を近づけている子犬もいました。ウンチが地面に落ちる前に直接食べようとしているんです」

 それが多頭飼育崩壊の現実だった。

あばら骨が浮き出ている犬も(画像提供:「どうぶつ基金」)

 行政の指導は効果がなかった。立ち入り調査権限が強化された法改正後の7月下旬、再び苦情が来ていたこともあって県と市の職員計4人で室内に入っている。しかし、このときは「明らかな虐待とは言い切れない」と判断している。

「犬たちは落ち着いていて、噛み付くといった攻撃性もありませんでした。若干痩せている犬はいるものの、標準的な体型の犬が多かったんです。正確な頭数は数えられませんでしたが、室内に80匹以上いることを確認しています」(前出の中村リーダー)

 タライには飲み水が張ってあり、エサの空き缶がゴミ袋にまとめて捨ててあるなど給餌をうかがわせる物証があったという。

 しかし、狭い室内に詰め込まれ、ひもじくて糞を食べるような状態が、虐待に当たらないという判断は間違っていたのではないか。

「立ち入り時には糞尿は片付けられていて、犬のからだにウンチがこびりついていることもありませんでした。痛めつけるような虐待はなく、世話を放置してもいません。スペースがいちばんの問題で、明らかに不適切な飼育ではあるけれども、告発するまでには至らないと判断しました」(前出の中村リーダー)

 県によると、7~8月に何度か訪問指導して飼育実態を確認したところ、登録済みの犬は2匹だけで、予防注射を受けた犬は1匹もいなかったという。

 事態を見かねた地元の動物愛護団体が動いた。飼い主一家と話し合い、不妊・去勢手術について『どうぶつ基金』に支援要請してはどうかと県にアドバイスした。

 県薬事衛生課の田原研司課長は言う。

「飼い主はその後、指導に従って順次登録を進め、自費で注射を受けさせています。地元の動物保護団体の大きな協力を得て、状況改善に全力を挙げているところです」

この8畳2間でどうやって暮らしていたのか(動画提供:「どうぶつ基金」)

174匹との同居生活について家族は

 それにしても、飼い主一家は生活しにくくなかったのか。

 現場宅に近寄ると、マスク越しに悪臭が鼻をつく。事情を知る住民によると、この秋に地元の動物愛護団体が排せつ物の掃除などを行い、ずいぶん臭いは抑えられたという。

 近所の女性はこう話す。

「母親は特に犬好きみたいで、夫に向かって“あんた、犬を蹴るということは私を蹴っているのと同じなんだからね!”と怒鳴り声が聞こえたこともある。父親も基本的には犬が好きで、片付けた糞を手押し車に乗せて親戚が所有する畑までよく埋めに行っていた。ところが母親も父親もこの夏に倒れてしまい、娘さんひとりでは手が回らなくなったようです。臭いも鳴き声もないに越したことはないが、あの家族はやれることはやっていたと思いますよ」

 娘はこの家から毎日出勤しており、留守中の犬を世話する働き手はほかにいなかったようだ。

 約40年、どこが飼育崩壊につながるターニングポイントだったのか。174匹との同居生活はつらくなかったか──。

 自宅を訪ねると、娘が玄関先に出てきて「動物愛護団体にすべて任せているので私の口からは話せません」と言うばかり。

 代わりに『島根動物愛護ネットワーク』の西原範正代表が答える。

「急に頭数が増えた時期は記憶が曖昧らしく、ターニングポイントは明確ではないそうです。一家では犬を世話しながら暮らすのが何十年も続く日常だったので、不便に感じることはあっても、つらいと思ったことはないそうです

犬たちの今後はどうなる?

 西原代表によると、一家は毎日8〜10キログラムの袋入りのエサを2袋与え、ほかに炊いたご飯や煮た野菜も与えていたという。

「コントロールできない頭数まで増えてしまったが、犬たちの穏やかな表情をみるとそれなりに愛情をもって育てられたことがうかがえます。病気になれば動物病院に連れて行っていたため、病院には莫大な量のカルテがあるらしい。飼い主一家も正確な頭数は把握できていませんでしたが、140匹ぐらいには名前をつけてかわいがっていました」(前出の西原代表)

 例えば、寄り目ならば「よりちゃん」といった具合に。近親交配のため顔つきがよく似ているにもかかわらず、名前を聞き返しても間違えることはなかったという。

「新しい飼い主さんにも割とすぐ懐くのではないかと思っています」と西原代表。

 現在、『どうぶつ基金』が費用負担して全頭の不妊・去勢手術を行っている最中だ。一家は犬の譲渡にも理解を示しているという。

 地元のNPO法人『アニマルレスキュー・ドリームロード』の原ゆかり代表は言う。

「うちで預かっている犬はみな元気です。妊娠していた2匹は10月末と11月頭にそれぞれ無事出産し、子犬につきっきりで面倒をみるなどいいお母さんをしています。飼い主さんなりに犬をかわいがり、1匹も捨てていないし、保健所に連れていくこともしなかった。精神的に参っているのでもう誹謗中傷はやめてあげてほしい」

 一家は周辺住民に対し、迷惑をかけたことを詫びる反省文を配布している。迷惑をこうむっていたのは犬たちも同じ。たとえ愛情をもって接していたとしても、エサが足りずに飢えたり、窮屈な生活をおくるようでは幸せだったとは言い難い。スムーズに再出発できることを祈りたい。

 地元の動物愛護団体はさきごろ、今回の多頭飼育犬に新たな飼い主を見つけるためのWebサイト(下記参照)を立ち上げた。

「まだ犬の情報は掲載しておりませんが、準備を整えて随時掲載し、犬たちに新たな家を見つけてあげたい」(島根動物愛護ネットワークの西原代表)という。

◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)

〈PROFILE〉法曹界の専門紙「法律新聞」記者を経て、夕刊紙「内外タイムス」報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より「週刊女性」で社会分野担当記者として取材・執筆する

※この犬たちが幸せに暮らせるよう、里親になりたい読者は以下まで問い合わせを。

島根県出雲市・犬多頭飼育崩壊レスキューWebサイト(問い合わせフォームあり)
 https://www.dog-rescue-izumo.info/index.html

NPO法人「アニマルレスキュー・ドリームロード」(原代表)
 TEL 090・3742・7334
(もしくは団体フェイスブック https://www.facebook.com/izumo.animal へアクセスを)

「島根動物愛護ネットワーク」(西原代表)
 TEL 080・5478・6522(もしくは nori@s-apn.org へメールを)