制作・ヒロイン発表会見に登場した杉咲花

  杉咲花(23)が主演のNHK連続テレビ小説『おちょやん』(月~土曜午前8時)が、スタートダッシュに失敗した。

コロナの影響は「朝ドラ」にも

 初回の世帯視聴率は18・8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)。初回が20%を下回るのは2017年度上半期の『ひよっこ』以来、7作ぶり。第2話以降も17~18%台を推移し、大台に届かない。

 理由はいくつか考えられるが、一番大きいのは宣伝が行き届かなかったことに違いない。調べたところ、初回で21・2%を記録した前作『エール』は放送開始前、一般紙とスポーツ紙に計307件の関連記事が載った。ところが『おちょやん』は計93件。3分の1に過ぎず、極端に少ない。

 序盤の視聴率を決める一番の要因は宣伝にほかならない。中身の良し悪しが視聴率を左右するのは、視聴者が一度でも見たり、口コミが広がったりした後なのだから。記事の数が少なかったのは主に新型コロナ禍のせい。NHKはコロナのために収録スケジュールの大幅な変更を強いられ、PR活動も普段どおりに出来なかった。

 杉咲が演じる主人公・竹井千代のモデルは「大阪のお母さん」と呼ばれた往年の名女優・浪花千栄子さん(1907~1973年)である。故・小津安二郎監督ら映画界の巨匠たちに重用される一方、オロナイン軟膏の顔としても知られ、ホーロー看板では軟膏を持ってニッコリ笑っていた。

 けれど既に没後47年。リアルタイムで千栄子さんを知っているのは昭和中期生まれまでの世代だ。それだけに宣伝不足は痛かった。

 ほかのスタートダッシュ失敗の理由はというと、酷なようだが、主演の杉咲にもあるだろう。

 ドラマも映画も「1に脚本、2に役者、3に演出」と言われ、アメリカの名監督ビリー・ワイルダーは「作品は脚本で8割決まる」と語っている。だが、見てもらうまでは別だ。作品選択において大きいのは主演が誰かということである。

 杉咲は演技が抜群にうまい。TBS『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』(2018年)など既に複数の連続ドラマに主演している。もっとも、人気面ではこれからの人で、ビデオリサーチの「テレビタレントイメージ調査」などの各種好感度調査では上位に入っていない。人気先行の役者もいるが、杉咲は実力先行型だ。

 杉咲が特別なわけではない。例えば昭和の大女優である故・森光子さんが主演の座を射止めたのは40歳を過ぎてからで、人気が出たのはさらに後。杉咲の場合、実力と人気が正比例するのは今後のことなのだろう。千代役でブレイクスルーする可能性もある。

 その千代の少女時代を第2週10話まで演じたのは子役の毎田暖乃(9)。トータス松本(53)が演じる父親・竹井テルヲが飲んだくれで働かないので、「あほんだら!」「このドアホ!」と繰り返し怒鳴った。モデルの千栄子さんも幼少期には父親のせいで辛酸を舐めさせられた。

 この少女時代の千代の言動に対し、「乱暴」などと嫌悪感を示す声もネット上にはあった。けれど地域設定が大阪・南河内の小さな村で、その方言なのだから、仕方がないのではないか。地域の言葉を生かすのは朝ドラの特色の1つだ。

カギとなる「波乱万丈な人生」

 河内訛りより今後の視聴者の動向に大きく影響しそうなのが、朝ドラの黄金パターンをあえて崩すこと。家族が主人公の心の拠り所にならない。テルヲはずっと、ろくでなしのままだし、宮澤エマ(32)が演じる継母の栗子も助けてくれない。

 これまでの朝ドラのほとんどは家族が主人公を支えた。だから、主人公はどんなに貧しかろうが、奉公先で虐げられようが、いかに心が傷つこうが、耐えられた。千代は違う。出会った人たちに支えられるが、家族愛には恵まれないまま。これを視聴者がどう捉えるかが、共感度に関わってくるだろう。

『おちょやん』の制作が発表されたのは1年以上前。もちろん新型コロナ禍など誰も想像していなかった。その後、視聴者マインドは明らかに変わった。今は1年前と比べ、身近な家族の大切さをより痛感している人が多いはず。家族愛が出てこない異色の朝ドラを視聴者はどう感じるのか?

 脚本は八津弘幸氏(49)。序盤が過ぎると、評価はこの人の手腕にかかってくる。『1942年のプレイボール』(2017年)などNHKで複数の秀作を書き、ドラマ番組部の信頼を得ての登板である。大胆な構成力に定評のある人だ。

 2013年版の『半沢直樹』(TBS)も書いたが、これは起用とは全く関係がない。NHKは自局のドラマを書き、評価した人にしか朝ドラと大河ドラマは頼まない。当然ながら、作風も『半沢直樹』とは似ても似つかないから、そう思って見るべき。笑いと涙の物語になる。

 これから先、どうなるかというと、千栄子さんの人生をトレースすれば、相当面白くなるはず。その人生は波瀾万丈だった。

 カフェの女給をしていた1927年(20歳)、芸能ブロダクションの新人オーディションに合格。ドラマでの千代と同じく、言葉には河内訛りが残っていたものの、当時は無声映画の時代なので問題なかった。

 その年のうちに芝居の一座に移り、さらに東亜キネマへ移籍。直後、同僚女優の不当な整理解雇に抗議し、自らも退職する。気丈で筋を通す人だった。その後、帝国キネマに入るが、ここも退社してしまう。給料が事前の説明とかなり違ったためだった。

 演技は早くから相当うまかったようだ。辞めるたび、すぐに誘いの声がかかり、21歳で一流劇団の新潮座へ迎えられた。役者として何がすごかったかというと、存在感が極めて強く、登場場面が短かろうが、見る側に強烈な印象を残した。関西の商家の女将役、庶民階級のおばちゃん役をやらせたら絶品で、役柄と本人が同化していた。

千栄子さんを“救った”
NHK大阪放送局

 私生活では松竹新喜劇を旗揚げした喜劇界の大立者・2代目渋谷天外さんと1930年に結婚。天外さんをモデルにしたドラマの登場人物は成田凌(27)が演じる天海一平である。

 千栄子さんは自分も新喜劇入りするものの、43歳のときに離婚し、退団する。離婚理由は天外さんが若手女優だった九重京子さんと不倫関係に陥り、現在の3代目渋谷天外(66)を生んだからだった。

 独り身になった千栄子さんは行方が分からなくなる。父親のみならず、自分の家族にまで裏切られ、相当傷ついたのだろう。芸能界を離れて、ひっそりと暮らしていた。そんな千栄子さんを捜し当てたのはNHK大阪放送局のスタッフ。どうしてもラジオ番組に出てほしかったからだ。1952年(45歳)のことだった。この仕事を引き受けた千栄子さんは以後、離婚前より精力的に活動する。

 テレビ時代になると、ドラマからの出演依頼も相次ぎ、のちに名作となる『細うで繁盛記』(1970年、読売テレビ)にも出演。NHK大阪放送局のスタッフが千栄子さんを探さなかったら、その後の彼女の役者人生はなかったかも知れない。今回の朝ドラを制作しているのは、くしくもその大阪放送局である。

高堀冬彦(放送コラムニスト、ジャーナリスト)
1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立