拒食症の写真家、レネ・マリー・フォッセン。先月、NHKのEテレで特集番組が組まれ、反響を呼んだ

 '95年、宮沢りえの激やせ騒動から『摂食障害』という言葉が一般的に広まった。『激やせ・激太り』といっても理由も症状もさまざま。『痩せ姫』の著者・宝泉薫がその世界を解説する──。

「痩せ姫」の世界

 今年『NHK紅白歌合戦』に初出場するアイドルグループ「NiziU(ニジュー)」。そのもうひとつの話題が、ミイヒ(鈴野未光)の激やせです。オーディション期間中、どんどん細くなっていき、6月の最終オーディションでは、プロデューサーのJ.Y.Parkからこんな言葉をかけられました。

ちょっとやせてるから、ごはんいっぱい食べてね

 その2か月後に「体調不良」を理由に活動休止。ネットでは「拒食症なのでは」といった声も飛び交い、ファンを心配させています。

 とはいえ、女性芸能人の「激やせ」は珍しいことではありません。

 今年の6月には、元モーニング娘。の尾形春水がアイドル時代、35キロ(身長158センチ)までやせ、その後、60キロまでリバウンドしたことを告白しました。

 また、1990年代半ばには宮沢りえの激やせが国民的関心事になりました。芸能人ではありませんが、英国のダイアナ元妃も王室にいたころ拒食や過食に苦しんだことが知られています。

 さらにいえば、これは有名人だけの問題ではありません。もっぱら心の問題でやせすぎてしまったり、あるいは標準及び肥満体形でもやせることをめぐって葛藤している人は一般女性にも少なくないのです。

 そんな女性たちのことを、筆者は「痩せ姫」と呼び、SNSやネットニュース、書籍などでその実状を紹介してきました。その経験を通して、いつも感じるのは、痩せ姫の世界の理解されにくさです。

 例えば、前出のJ.Y. Parkがミイヒにかけた「ちょっとやせてるから、ごはんいっぱい食べてね」という言葉。心配なほどやせた人に対しては自然な反応に見えますが、痩せ姫の世界を知る人たちからは、こんな声があがりました。

「せっかく頑張ってやせたのにかわいそう」「プレッシャーでますます食べられなくなるのでは」

 やせたいという気持ちは多くの女性が持ち合わせていると思われますが、痩せ姫の場合、もっと特別なのです。それゆえ、体形や食事についても繊細な感覚や複雑な事情を抱えていたりもします。

 ただ、その感覚がなんとなくわかるという人はいるでしょう。また、有名人や身近な人の激やせの事情が気になる人もいるはずです。

 そんな人にはぜひ、痩せ姫の世界を知ってほしいと思います。そもそも、彼女たちが直面しているのは、食という本能すら揺るがせてしまう生きづらさの問題なのですから。

ガリは悲劇、デブは喜劇

 やせることをめぐる葛藤、そのかたちはさまざまです。いわゆる「拒食」にも「制限型」と「排出型」というふたつのタイプがあり、前者は食事を減らすやり方です。

 一方、後者のうち、口にだけ入れて出すのがチューイングで、胃に入れたものを口から出すのが嘔吐、また、下から出すために下剤も用いられたりします。嘔吐の方法にも、指を口に突っ込んで吐く指吐き、腹筋を使って吐く腹筋吐き、チューブなどを口から胃に挿入して吐くチューブ吐きなどがあります。

 このなかでも、チューブ吐きはハイリスク・ハイリターンだとされ、確実にやせられるという人がいる一方で、覚えてしまったら地獄だという人もいます。ネットでは「やり方を教えてほしい」という声とともに、こんな声も見かけます。

チューブは吐きダコもできないし、怖いくらいするするやせられるけど、そのぶん抜け出せないよ。手を出した人で回復した人なんていないのでは。私は死ぬまで吐き続ける覚悟でやってるけど

 かと思えば「非嘔吐過食」と呼ばれるものがあります。やせたいという願望を持ちながら、逆に食べすぎてしまい、しかも吐けないという状態です。このうち、かつて「拒食」だった人からは「あのころに戻りたい」という声が、そうでない人からは「食べずにいられる人、吐ける人がうらやましい」という声が聞かれたりします。

 実際、つらさというのは人それぞれなので、比較できるものでもないのでしょう。ただ、この「非嘔吐過食」がいちばんつらいのではという人が少なくありません。その理由はおそらく「つらさが伝わらないつらさ」にあると考えられます。それは、こんな声にあらわれています。

家族や友達も、やせてないと心配してくれない。この病気でデブなのは非嘔吐過食だけ。ただ、だらしなくて太ってると思われてる

 そういえば「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ系)という番組があります。やせたり太ったりという話題がよく取り上げられますが、入院してしまうような激やせと、肥満女性が標準体形になるようなダイエットでは描かれ方が大きく違います。前者はシリアスタッチ、後者はコミカルなのです。

 そこには「ガリは悲劇、デブは喜劇」という世間的なイメージが反映されているのでしょう。そのイメージがある以上、太っているよりはやせているほうが、過食よりは拒食のほうが、つらさは伝わりやすいわけです。

 とはいえ、この「つらさが伝わらないつらさ」はすべての痩せ姫に共通するものです。なぜなら、やせをめぐる葛藤の根本には「生きづらさ」が存在するからです。よく「ダイエットしたせいで拒食になった」という表現がされますが、ダイエットはきっかけにすぎず、原因ではありません。同じようにダイエットをしても、拒食や過食に向かうかどうかは、この生きづらさの大小によるといえます。

 そんな生きづらさは、生きていて経験するすべてのイヤなことから生まれます。いじめや虐待、家族との不和、受験や結婚などの重圧や失敗、愛するものとの別れ、自分自身への不満。なかでも、重篤なやせにつながりやすいのがレイプや性的いたずらです。そういう経験ゆえ「性的な魅力をなくしたい」という人もいます。やせすぎると生理が止まるので、痩せ姫にはそれをむしろよしとする人が多いのですが、レイプや性的いたずらを経験した人はその感覚がより切実なのでしょう。

 ただし、先に挙げた「イヤなこと」が必ず拒食や過食に結びつくわけでもありません。人はみな「イヤなこと」と戦うための「捌け口」を持っています。誰かに相談したり、趣味に没頭したりして、自分を防御しようとします。痩せ姫の場合、そういうことが苦手で、そこが生きづらさをさらに大きくしてしまっている印象です。

痩せることで“生きる意味”を見出す

 そんな痩せ姫のひとりが、レネ・マリー・フォッセンという女性です。

 11月6日、NHKのEテレで「セルフポートレート 拒食症を生きる」というノルウェーのドキュメンタリー番組が放送されました。レネはその主人公です。10歳で拒食が始まり、20代後半で写真家として注目されました。

拒食症の写真家、レネ・マリー・フォッセン。

 その代表作は、自らのやせ細った身体を被写体とする作品です。彼女はその主題について「負の感情や苦痛を。(略)生きることの痛みと、そこにある美を表現したい」と語っています。

 つまり、自らのつらさの結果である身体を写真に記録することで、そのつらさをさらに訴えかけようとしたのです。彼女は「人生は難しい」「手に負えない」としたうえで、その生きづらさを拒食によって解決しようとしたのだと振り返ります。

 実際、やせることは自らをコントロールできているという自信や快感、他者から評価されたり心配されたりする安心感などをもたらします。また、生きづらさは「死にたい」「消えたい」という願望につながりやすいものですが、病的にやせることはその願望をいくらか満たしてくれます。

 ただ、レネは拒食が完全な解決にはならないことに気づき、こんな境地に達しました。

私のなかに恐怖、怒り、悲しみが渦巻いてる。今まではそんな感情を閉じ込めてきた。箱を開けたらあふれだしそうで怖かった。それを解き放つことが回復への道だと思う

 これはもう本当にそのとおりで、やせること以外の健康な方法で「解き放つ」ことができれば、それに越したことはありません。医師やカウンセラーもそういう方向に持っていこうとします。しかし、食という本能がままならなくなるほどの「生きづらさ」は容易に解き放てるものでもないのです。

 まして、食は生きることの基本です。アルコールやクスリのように、完全に断つということができません。拒食や過食を「捌け口」にするライフスタイルを変えるのは、それ以上に至難のワザなのです。

拒食も過食も肯定していく

 そこで注目されているのが「プロアナ」や「プロミア」です。拒食(アノレクシア)や過食(ブリミア)を生きるために必要なものとして支持(プロ)しようとする考え方を指します。容易に変えられないものなら、拒食も過食も肯定して、うまく付き合っていくことを目指そうというわけです。

 実際、痩せ姫たちは拒食や過食を「杖」や「浮輪」にたとえたりします。歩きづらい人にとっての杖や泳げない人にとっての浮輪と同じで、手放すわけにはいかないのです。退院後にまたやせたり、標準体形になってからもやせ願望が消えなかったり、ストレス解消の過食がやめられなかったり、というのはそういうところに起因します。

 それゆえ、筆者は著書『痩せ姫 生きづらさの果てに』の帯に「痩せることがすべて、そんな生き方もあっていい」と書きました。杖や浮輪を手放そうとすることがますますストレスになるくらいなら、また、やせることで自信や安心を得ているのなら、わざわざ捨てることはないと思うのです。

 ただ、拒食も過食も、そこだけに頼りすぎると人生が破綻しかねません。そこで有効なのは、ほかにも依存対象を作ることです。経済的なリスク管理において、貯金をいくつかの金融機関に分散すると安心度が上がるように、依存もまたしかり。食以外の捌け口を作ることが、生きづらさの軽減につながります。

 前出のレネも、写真という別の表現手段を見つけることで「私も少しはいい存在なのかも」と思えるようになりました。

 ところで、痩せ姫のなかにはこんなことを言う人もいます。

拒食とか過食とか、そういうものがあることは知っていたけど、まさか自分がこうなるとは思わなかった

 それは現代の食という問題において、グレーゾーンのようなものが大きく広がっていることを感じさせます。健康と不健康にせよ、ダイエットと拒食・過食にせよ、その境界は曖昧で、その点では誰もが痩せ姫になる可能性を秘めています。

 また、生きづらさは目に見えないものなので、食や体形をめぐる葛藤を人知れずしている人も少なくないでしょう。あの有名人やあなたの隣にいる人も、悩みながら懸命に日々をしのいでいるのかもしれません。

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PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。

(取材・文/宝泉薫)