キャンディーズ

 元キャンディーズの一員で女優の田中好子さん(享年55)が、2011年4月に乳がんで亡くなってから間もなく10年が経つ。

 東京・青山葬儀所で行われた葬儀・告別式を当日の『NHKニュース7』は準トップ(二番手)で報じた。政治や経済の出来事を最優先するNHKの看板ニュースが、芸能人の葬儀・告別式を準トップで報じるのは極めて異例のことで、田中さんの存在の大きさが示された。

公私ともに仲のよかった
キャンディーズ

 ニュースで流れた田中さんの肉声をおぼえている人は多いはず。死の約1か月前に録音され、葬儀・告別式で公開された。

「(1973年に)キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています」

 会場にいた元メンバーの女優・伊藤蘭(65)と藤村美樹さん(64)は涙を懸命に堪えながら聞いていた。

「特に、蘭さん、美樹さん、ありがとう。2人が大好きでした…」

 この言葉に対し伊藤はこんな弔辞を読んだ。

「美樹さんと私にとって、いつまでも特別な存在のスーさん、ありがとう。ずっとずっと愛しています」

 やはり弔辞を読んだ藤村さんはこう言った。

「本当にキャンディーズは楽しかった。本当に私たちは、スーさんに出会えて幸せでした。私たちは、永遠にキャンディーズだからね」

 3人の結束の固さと友情をあらためて見せつけた。1978年に解散しながら、伝説のアイドルグループとして語り継がれる一番の理由はこれではないか。グループの仲のよさはファンや視聴者にとって魅力にほかならない。

 グループがプライベートでも全員仲よしというケースはまず聞かない。普通の職場もそろって仲がいいという例はほとんどないので、これは仕方がないことでもある。ところが、キャンディーズは違った。

(左から)元・キャンディーズの伊藤蘭、藤村美樹

 伊藤も藤村さんも田中さんの死を看取った。田中さんが危篤状態に陥り、それを夫で実業家の小達一雄氏(65)が「身内だから」と2人に知らせると、そろって病院に駆け付けた。その後、田中さんが旅立つまで約7時間にわたって声を掛け続けた。

 田中さんの生前は伊藤の家などに3人が定期的に集まり、おしゃべりに興じていた。それを伊藤の夫である水谷豊(68)は笑顔で眺めていたという。水谷にとっても幸福な時間だったようだ。

 3人は隠しごとのない仲だったというから親しさは本物。田中さんは伊藤に乳ガンであることも亡くなる3年前の2008年の段階で打ち明けていた。心配のあまり凍り付いた伊藤に対し、田中さんは「頼りになるお医者さまが付いているから大丈夫」と微笑んだという。

絶品と評判だった3人のコーラス

 仲がいいのは芸能界入りした直後から。3人はデビュー前には大手芸能事務所・渡辺プロダクション系のスター予備軍「スクールメイツ」に所属していたが、その時点で既に意気投合。同じ夢を持つ親友同士のような関係だったという。1973年、田中さんがメーンボーカルで、『あなたに夢中』でデビューした後もそれは変わらなかった。

 グループに激変期が訪れても関係は変わらず。『危い土曜日』(3枚目のシングル、1974年)などスマッシュヒットは出ていたものの、伸び悩んでいたため、メーンボーカルが伊藤に替わることになったのだ。今で言うと、センターの交代で大ごとだが、これに田中さんは一切不満を漏らさなかった。

 伊藤がメーンボーカルになった5枚目のシングル『年下の男の子』(1975年)は初めてオリコンの週間チャートでベストテン入り(8位)。田中さんも藤村さんも大喜びだった。このヒットによってNHKの紅白歌合戦への初出場も果たす。以来、3人はトップアイドルであり続けた。

 キャンディーズの魅力は歌のうまさにもある。3人は今のアイドルでは珍しいコーラスグループ(合唱、それぞれの担当を歌う)。現在のグループアイドルの歌唱法は大半がユニゾン(斉唱、全員が同じ旋律を同じ高さで歌う)である。

 どちらにも良さはあるが、キャンディーズのコーラスは絶品と評判だった。美しかった。スクールメイツで正しい歌唱法を習得していた上、仲がよかったので息が合ったのだろう。コーラスで歌うのは簡単ではないはずの『哀愁のシンフォニー』(12枚目のシングル、1976年)や『アン・ドゥ・トロワ』(15枚目、1977年)なども難なくこなした。

山口百恵さんとの共通点

 一度も再結成しなかったことも伝説化の理由に違いない。解散後、それぞれのソロ活動がうまくいかないことなどを背景に再結成したグループは数え切れない。

 一方、キャンディーズは「普通の女の子に戻りたい」(1977年、伊藤)という言葉こそ後に反故にしたが、再結成は噂すらなかった。そもそも伊藤の言葉の真意も「アイドル(偶像)から降りたい」ということだったのではないか。

 山口百恵さん(61)がいまだカリスマ性を持つ背景にも復帰しなかったことがあるはず。絶頂期の1980年に引退すると、以降はカムバックの気配もなかった。1970年代のアイドル界を牽引した百恵さんとキャンディーズは相似性を感じさせる。

 ファンや視聴者の心理は複雑だ。解散や引退は寂しく、戻ってきてほしいが、いざ本当に帰ってくると、興ざめする一面がある。

 田中さんの逝去から約10年。もうキャンディーズの再結成はあり得ないが、伊藤は2019年5月、解散から約41年ぶりに歌手活動をソロで再開した。

 その際、本人はインスタグラムにこう書いた。

「私のような年齢になってから、このような素適な機会を授かった事にただ感謝するばかりです」

 控えめな言葉だったが、ソロデビューアルバム『My Bouquet(マイ・ブーケ)』はオリコンの週間チャートで8位に入った。同6月のライブでは『年下の男の子』などキャンディーズの歌も披露。3人の歌は伊藤が歌い継いでいくのだろう。藤村さんの弔辞ではないが、「永遠のキャンディーズ」を証明するかのように。

 伊藤にはほかにも話題がある。長女の女優・趣里(30)が今年、『私の家政夫ナギサさん』(TBS)に多部未華子(31)扮する主人公の妹役で出演し、評価を高めた。母親として鼻が高かったのではないか。

 一方、藤村さんは1983年に一時的に歌手に復帰したが、ほどなく音楽製作会社の代表と結婚し、引退。長女はやはり女優で、劇団青年座に所属する尾身美詞(36)だ。

 かつて美詞は筆者の取材にこう話していた。

「母たち3人は本当に仲がよく、3人ともキャンディーズが大好きでした。母が大切にしている思い出を、ファンのみなさんも記憶に留めてくれているということは、素敵なことだと思っています」

 3人にとってキャンディーズは紛れもなく青春そのものだった。

高堀冬彦(放送コラムニスト、ジャーナリスト)
1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立