はらゆうこさん

 ここ半年ほど、ドラマを見ていると最後のクレジットで頻繁に目にする名前がある。

「フードコーディネーター はらゆうこ」という名前だ。直近のクールだけでも『恋する母たち』『この恋あたためますか』『危険なビーナス』(すべてTBS系)、『監察医 朝顔』(フジテレビ系)、『極主夫道』(日本テレビ系)、『ハルとアオのお弁当箱』(テレビ東京系)をはじめとし、多くの作品を担当。名前を目にして気になっていた方も多いのではないだろうか。

 実は、これまでに300本以上のドラマや映画に携わったという彼女。今クールも『俺の家の話』『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』(すべてTBS系)、『知ってるワイフ』(フジテレビ系)、『神様のカルテ』(テレビ東京系)など10作以上を掛け持っている。なぜ、ドラマにおけるフードコーディネーターの仕事が彼女に集中しているのだろうか。そして、具体的にどんなことをしているのだろうか。本人に聞いた。

撮影現場で大御所に叱られたことも

 そもそも、料理にまつわる仕事といえばシェフ、料理研究家、フードディレクター、フードコーディネーターなど多岐にわたるが、はらさんの仕事は自ら発信することもある料理研究家と異なり「ドラマの監督さんやクライアント様など、誰かの意思に応じることが多いのが特徴」(はらゆうこさん・以下同)なのだそう。

「ドラマや映画のお仕事では基本的に、劇中に登場するメニューの開発から材料調達、当日の調理や盛りつけまで、“食に関するすべて”を担当します」

 スーパーのレシピ開発やカタログの撮影などの案件はフードコーディネーター主導で進めることができるが、ドラマの撮影現場は特殊な空気なのだという。

「お芝居がメインなので、急に“今から15分後に料理出して!”と指示されることも。たった1分間のシーンのためでも、すごく時間をかけて準備をしなければならない場合もあるし、とにかく時間がタイトですね。また、同じ料理を食べる用とブツ撮り用に分けて3~5食分、用意することも多いんです」

 さらに、前述の『極主夫道』や『ハルとアオのお弁当箱』のように原作が存在する作品は「内容をどこまで忠実に再現するか」が難しく、議論が尽きないという。

事前に原作マンガなどが資料として送られてくるのですが、絵を見ただけでは“これは何の食材が入っているのだろう?”と完全にはわからない部分もあって。そういう場合は、独自にメニューを考える必要があります。さらに、最近のドラマでは昔以上にリアリティーを求められるようになり、プロデューサーから“登場人物の人柄や家庭環境、背景などをきちんと考えたうえで料理を出して欲しい”と言われることも増えました。

 また、以前『フジコ』(Huluオリジナルドラマ)の撮影で、とある大御所女優から“あなた、ちゃんと台本を読んでこの料理を用意したの?”と怒られたことがあって。“私(の役)はこういう盛りつけをしないはず。台本を読めばわかるでしょ?”と、その女優さんが盛りつけをしなおしてくださったんです。それ以降、台本を細部まで読み込み、迷ったときは監督に相談するようにしていますね

料理を盛りつけるはらゆうこさん。その表情は真剣そのもの

 基本的にはドラマ内の食に関する部分を一括で担当することが多いはらさんだが、まれにレシピだけは別の方が監修したものを指定されることがあるという。

「『私の家政夫ナギサさん』(TBS系)は大森南朋さん演じる“ナギサさん”が作るお料理がキーポイントのドラマでもありましたので、レシピ開発は男性料理研究家の栗原心平さんが担当し、私はそれを再現しました」

 人気沸騰中の心平さんのレシピを再現するのは、やはりプレッシャーだったそうで、

「ファンもたくさんいらっしゃるし、心平さんのレシピ目当てでドラマを見る方も多いと聞いていましたので緊張しましたね(笑)。ですが、心平さんのレシピはどれもおいしく、自分では考えもしない味つけだったので、とても勉強になりました!」

 特に印象的だったレシピが『サバの醤油煮となめこの味噌バター汁』。なめことバターという衝撃の組み合わせが見事にマッチしていて感銘を受けたそう。また、番組の公式インスタグラムにも掲載され、話題を呼んだ『鶏とアボカドのクリームごはん』も絶品で「女子が喜びそうなメニューもバッチリおさえてらっしゃるとは! さすが!」と、心平さんの人気の秘訣(ひけつ)を実感したという。

34歳で公務員から転身するも……

 そもそも、はらさんはなぜフードコーディネーターを目指したのだろうか。

「幼いころから料理の仕事がしたいと思っていたんです。父は教員でかなり厳しい人だったのですが、家族や親戚が集まってご飯を食べているときには彼も楽しそうにしていて……。だから、食に関しては漠然といい思い出があるのかもしれません」

 しかし、高校生になり「料理に関する仕事がしたい」と両親に打ち明けるも反対され、料理人の道は断念。なんとなく短大に進み、公務員となる。

「振り返ると、当時は情熱が足りなかったのかもしれませんね。区役所で8年間働きましたが、30歳になる少し前に“自分って本当は何がしたいんだろう”と悩んでしまって。“今からでもできる料理の仕事を探してみよう”と思い立って調べるうちにフードコーディネーターという仕事の存在を知り、『赤堀料理学園』という養成スクールに入学したんです

 ほどなく公務員を退職して半年間のカリキュラムに励み、卒業後は講師だった赤堀博美先生のアシスタントとなった。しかし、3年ほど働き、この間にフードコーディネーターや食育アドバイザーの資格を取得するも、34歳で仕事を辞めてしまう。

理由は家族の反対でした。当時はまだフードコーディネーターという仕事が今よりも知られておらず、家族から“どんな仕事をしているのかわからない”、“レシピを開発してお金が稼げるの?”などと理解が得られなくて……。私自身、アシスタントとして働くなかで、どうしても将来に自信が持てなかったこともあって、いったん仕事を辞めて休むことにしたんです」

 飲食店でアルバイトをする日々を過ごしていたところ、ある日、アシスタント時代にたまたま連絡先を交換した人から連絡があった。

「“単発で仕事があるんだけど、来てもらえない?”と。この案件以降、“依頼されたら絶対に断らない”と決めて働くなかで、少しずつお仕事が入るようになりました」

 ドラマの仕事は急なスケジュール変更やむちゃな要望も多いが、いつも「どうにかするぞ!」と思いながら乗り切っている。

「娘を出産したあとも、2か月で仕事に復帰しました。産後の初仕事はキャンプのドラマ『ひとりキャンプで食って寝る』(テレビ東京系)だったのですが、胸の高さまで雑草が生えた現場で作業をし、本来なら事前に準備したものを差し替えるところを、実際に俳優さんが魚を釣ったり料理を作ったりするのを待つという過酷な環境でした。依頼してくださったプロデューサーさん自身が“よくこの仕事を受けたね”と、終わったあとに笑っていたくらい。いま思うとすごかったですね」

報道陣に囲まれるはらゆうこさん

 35歳でフリーランスから法人化して『株式会社 Vita』を立ち上げ、現在は6名のスタッフを抱える。仕事が急増したのはコロナ禍になって以降。撮影における各局の制限が厳しくなり、特に「役者が口にする食べ物の扱い」にはさまざまなルールや制約が設けられたからだ。これまで食事は「消えもの」として、“そこにあればよい”という位置づけだったが、このご時世下で「安全でおいしいもの」が求められるようになってきたという。

「これまでは撮影の合間に食べかけの料理にラップをかけたり、飲み物の用意をしたりするのは美術さんが担当していましたが、コロナの影響で“口に入れるものはフードコーディネーターに一括で管理させる”という方針に変わりました。ただでさえ慌ただしいドラマの撮影などでは、フードコーディネーターが現場慣れしていないと難しく、さらに、ひとりではなくチームでうまく動けることが求められるようになりました」

 そのため、場数を踏んできたはらさんは引っ張りだこに。会社としてチームで動く体制が整っていたことも大きな理由だろう。そして何より「仕事は必ず楽しむようにしているからか、“なんだか、いつも元気だね”と言われることが多い」そうで、先の見えない不安な状況下で撮影を進めるスタッフたちも、はらさんの明るさに希望の光を見たのかもしれない。

今のはらさんに周囲は何を思う?

 ただでさえ忙しく不規則な仕事をこなすはらさんだが、現在は2歳の娘の母親でもある。気になるのは日々のスケジュール。

「夫も撮影業界の人なので、保育園関連と夫婦の予定管理は欠かせません。もちろん深夜の撮影もありますし、現場以外のレシピ作成などは娘が寝てから、もしくは早朝に出社して行うなど、スキマ時間を使ってなんとかやりくりしている状況ですね」

 子育てと仕事の両立は難しそうだが、はらさんをよく知る人々は「むしろ娘が生まれてよかったね」と、口々に言うそう。

「“だって、あなた時間があったら無限に働くじゃない”って(笑)。今は娘との時間を作るためにメリハリをつけるようになって、逆に細かい時間の使い方がうまくなった気がしています。大変なことも多いですが、“おいしかったよ”とか“フード(コーディネーター)さんがいてくれると安心です”と言ってくださる俳優さんも多く、それが、励みですね」

 フードコーディネーターの仕事に長らく反対していた家族は、昨今の活躍をどう思っているのだろうか。

「父は最初のころ“ドラマの仕事をしているからっていい気になるな”なんて言っていました。だけど、担当したドラマ『トットちゃん!』(テレビ朝日系)を見たご近所さんが父に“ゆうこちゃんの名前が出ていたよ、すごいね。黒柳徹子さんのドラマでしょう”と絶賛してくれたんです。母もテロップが出るたび、うれしそうに父に報告してくれていたようで、両親とも徐々に認めてくれるようになりました」

 はらさんは近ごろ現場で、大手芸能事務所を経て現在は独立している俳優のI氏から「最近、頑張っているじゃない。今度の夢は何なの」と聞かれたそうだ。

「“夢は大きく持てよ!”とその俳優さんに言われてつい、その場で口にしてしまったのは“自社を日本一のフードコーディネーターの会社にする”ということ。スタッフたちの存在が大きな支えなので、ひとりではできないことも、会社としてみんなで頑張っていくことで実現していきたいです。

 個人的には“自分の料理を表現する”ことに、もっとチャレンジしたい。ドラマや映画の監督やクライアント様がジャッジをすることが多い仕事柄、どうしても相手ありきの正解を求めてしまいますが、“私がおいしいと感じるのはこれ!”と自信を持って出せるようになれば、可能性が広がるだろうと感じています。フードコーディネーターは、まだまだ認識が薄い職業ではありますが、これからの私たちの頑張りによって番組に欠かせない存在になるのでは、と思います」

 活躍の理由を問うても、謙遜していたはらさん。しかし、話を聞くうちに「求められる理由」が見えてきたように思う。彼女の仕事における心がけや裏側を垣間見た今、改めてドラマの食事シーンに注目してみると、新たな発見があるかもしれない。

(取材・文/松本 果歩)


はらゆうこさん

【PROFILE】
はらゆうこ ◎フードコーディネーター。創立120余年の歴史ある『赤堀料理学園』の6代目校長・赤堀博美氏に師事、約3年半のアシスタントを務め独立。  独立後はフードコーディネーターとして各種大手流通のメニュー開発や各局テレビドラマ・映画の劇中料理作成などに広く携わる。また、料理家としても大手食品メーカーのレシピ作成、レシピ企画の執筆を行う。 『株式会社Vita』設立後はイベント、ケータリングのプロデュース、調理師の観点を生かした飲食店のプロデュースなども手がける。