フワちゃん

 いまやテレビで見ない日はないくらい売れているフワちゃん(27)。だが、苦手だから見たくないという人も多いだろう。実際、そんなに面白くはない。面白ければ、芸人時代に売れていたはずだ。

「タメ口」芸風が好かれるワケ

 彼女は芸人として芽が出ず、ユーチューバーとしてブレイク。その得体の知れないキャラと、そこを活かした奇抜なパフォーマンスでのしあがった。その背景には、忖度やらお約束やらに縛られ、バラエティーが予定調和化している事情がある。彼女はその「タメ口」に象徴される芸風で、予定調和を崩し、今のバラエティーにはない笑いをもたらすのだ。

 しかも、人によっては彼女に好感すら抱いてしまう。一見、失礼でも、そこは若くて愛嬌もある女の子だ。それこそ、ヤンキーがちょっと親切なことをすると評価が爆上がりするように、業界的ずるさに染まらず、本音を貫く“いいひと”に思えたりもするのである。

 実際「タメ口」について本人は、ヤフーニュースのインタビューで、こんな説明をしている。

「あたしはついこの間まで素人だったから、テレビを見て『松ちゃん』とか『さんま』って言っていた。だから、やっぱりそこは律義な感じで呼び捨てにしたい」

 変に業界っぽくなるより、素人感覚を大事にしたいというわけだ。ただ、芸能人をテレビで見ているときと、自分も芸能人として現実に会話しているときとでは、まったく別の話である。しかも、彼女の場合、自分のことは「ちゃん」づけで呼ばせるのだから、無礼以外の何ものでもない。

 とはいえ、こういう芸風は意外と大物たちにもウケる。例えば、同じように「タメ口」で売れたヒロミがそうだ。彼は若いころ、ビートたけしをタケちゃん、タモリをタモさんと呼び、その懐に飛び込むことで出番を増やし、自分の格も上げていった。

業界の思惑ともマッチ

 なぜ、これが成功するかというと、大物たちも案外、懐に飛び込まれることを喜ぶからだ。かつて、若者に支持されて世に出た人は、若者文化から浮くことを怖がったりする。新たな人気者と仲よくすることで、若者にも好かれたいのである。

 まして今は、テレビ自体が斜陽化している。業界全体としても、ユーチューバー出身の彼女を出すことで、ネット支持層も取り込めるのではという、せこくも切実な思惑があるわけだ。

 おそらく彼女は、そのあたりのこともわかったうえで、あえて傍若無人に振る舞っている。いわば「若気のいたり」を武器にしているのだ。ある程度の年齢なら、誰しも覚えがある「若気のいたり」の恥ずかしさ。それをむき出しにしていることが、人によっては不快でたまらない。これは老害ならぬ“若害”である。

 ちなみに、前出のインタビューで彼女は「海外で爆売れしたい」と発言。「コンマリみたいに世界から必要とされる存在って最高だよね!」と、片づけコンサルタントの近藤麻理恵を例に挙げた。そして「Kondo」が海外では「片づける」という意味でも使われることから「『Fuwachan』はどんな意味の言葉になるのかな!」と言い、こう続けたのだ。

『笑いすぎてオシッコ漏らす』とかかな!

 その規格外なキャラの象徴でもある「失禁グセ」をネタにしてみせたわけである。

 こういう恥ずかしさをこれ以上、広めないためには、無視するしかない。苦手なら見ないという態度こそ、最良の“若害”対策なのだ。

PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。