左上から時計回りに、草刈正雄、西田敏行、小林薫、泉谷しげる、中村雅俊、柄本明。全員、65歳以上!

 「役者に定年はない」。

 よく言われる言葉だ。サラリーマンの大半は65歳までに会社を去るが、役者は何歳になろうが現役を続けられる。

 もっとも、実際に65歳を過ぎながら活躍する役者はごく僅か。この人たちには特別な何かがあるのだろうか。放送中のドラマに出ている“オーバー65”の役者たちを考察してみたい。

大御所に惚れ込まれた逸材
説得に「包丁」を持ち出されたことも

 まずNHK大河ドラマ『青天を衝け』(日曜午後8時)で主人公・渋沢栄一(吉沢亮)の父親・市郎右衛門役を演じているのは小林薫。69歳だ。

 役者人生を歩み始めたのは1971年、20歳のとき。大鶴義丹(52)の父で作家の唐十郎氏(81)が主宰していた伝説のアングラ劇団『状況劇場』に入団した。通称・紅テント。東京・新宿の花園神社境内や新宿西口公園に紅いテントを張って公演を行っていた。

 唐氏は完全主義であるため、演技指導はことのほか厳しく、稽古中に物を投げることもあった。それに耐え、1970年代に劇団の大スターとなったのが故・根津甚八さんと小林だった。

 だが、新しい道を求めた小林は1979年に退団を申し出た。28歳のときだった。すると唐氏は大層残念がる。小林に考え直させるため、包丁を持参し小林宅へ説得に訪れたという。そこまでされた劇団員はほかにいない。

 唐氏は読売演劇大賞芸術栄誉賞など数々の栄誉を総ナメにした偉大な演劇人。故・蜷川幸雄さんや故・つかこうへいさんらにも影響を与えた。そんな人にとことん惚れ込まれたのだから、小林は逸材中の逸材なのだ。

 日本テレビ『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』(水曜午後10時)に出演中の中村雅俊は70歳。故・松田優作さんに見込まれたことが発端となり、役者デビューした。

 自ら劇団を持ったり、映画監督を務めたりした優作さんは、仲間や後輩たちの演技に厳しく意見した。けれど、文学座研究所の1期後輩である中村のことは高く評価。1973年、当時の日本テレビの青春ドラマと刑事ドラマを全て取り仕切っていた大物プロデューサー・岡田晋吉氏(86)に紹介する。

 すると岡田氏も中村を大いに気に入る。中村から漂っていた知性のにおいもプラスになったようだ。当時の中村は慶應大経済学部に在学中。当初は外交官を目指していたくらいなので、成績もよかった。

 在学中から『われら青春!』(1974年)の収録に主人公の教師・沖田俊役で参加。以後、『俺たちの勲章』(1975年)、『俺たちの旅』(同)と立て続けに主演する(『勲章』は優作さんとダブル主演)。前代未聞の厚遇だった。

 中村は歴史的名優と大物プロデューサーが推した大器だったのだ。

西田敏行

西田敏行は「熱い人」

 TBSホームドラマ『俺の家の話』(金曜午後10時)に出演中の西田敏行は73歳。劇団「青年座」の出身だ。早くから演技力への評価は高かったが、世に出たのは遅く、きっかけは同じTBSのホームドラマ『いごこち満点』(1976年)。28歳のときだった。ちょっと面倒な下宿人をコミカルに演じた。

 福島県郡山市出身。東日本大震災時の福島第1原発事故から1か月が過ぎた2011年4月には故郷・郡山市のスーパーに入り、県産の野菜や果物をバクバクと食べて安全性をアピール。その後、「美しい福島を汚したのは誰だ! 誰が福島をこんなにしたんだ!」と怒りの声を上げた。

 もとから熱い人なのだ。売れっ子になった後、マネージャーたちが止めたのにも関わらず、1978年から82年までTBSラジオの深夜放送『パックインミュージック』(毎週火曜日の深夜1時から同3時)のパーソナリティーを務めた。

 深夜放送はドラマと比べたらギャラが遥かに安く、一方で睡眠時間が削られた。それでも西田は番組内で「夢だった」「感激している」と繰り返した。若者たちからハガキで悩みが寄せられると、真剣に答えた。

 フジテレビ『監察医 朝顔』(月曜午後9時)に出演している柄本明は72歳。『劇団東京乾電池』の座長だ。今をときめく江口のりこ(40)は柄本に憧れて同劇団に入った。

 劇団名などからコミカルな演目が多いと誤解している人もいるようだが、シェークスピア、チェーホフなど古典にも取り組んでいる。演出するのは柄本。役者としては日本アカデミー賞最優秀主演男優賞(1998年)などを得ているが、演出家としての評価も高い。

 長男が佑(34)で次男が時生(31)、義娘が安藤サクラ(35)と入来茉里(31)なのは知られているとおり。妻の角替和枝さん(享年64)は2018年10月にがんで他界した。バイプレーヤーとして数多くのドラマに出演していた和枝さんは、1970年代の演劇界でナンバー1アイドル。絶大な人気を誇った。そのハートを射止めた柄本は役者仲間やファンに羨ましがられた。その後、和枝さんは東京乾電池の看板女優に。柄本にとっては同志でもあった。

 柄本は愛妻家として知られた。このため和枝さんが亡くなると、周囲が見ているのがつらいほど憔悴しきっていた。このところ以前に増して精力的に仕事をしているように見えるのは悲しみを断ち切るためなのかもしれない。

 テレビ朝日『にじいろカルテ』(木曜午後9時)に登場中の泉谷しげるは72歳。本業は言わずと知れたフォークシンガーだ。1970年代からドラマ、映画でバイプレーヤーも務めていたが、転機は1979年に放送されたテレビ朝日のノンフィクションドラマ『戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件』。犯人の小原保役で主演した。

 その演技は圧倒的な迫力で、リアリティーもあり、大反響を巻き起こす。以後、ドラマ、映画から出演依頼が相次ぐ。

 この作品の大成功により、ノンフィクションドラマのブームが起きた。1983年にはビートたけし(74)がTBS『昭和四十六年 大久保清の犯罪』(1983年)に主演した。泉谷の演技がドラマ界の潮流を変えたのだ。

草刈正雄。資生堂専属モデルとして人気を集めていた'72年撮影

 テレビ東京『おじさまと猫』(水曜深夜0時58分)に主演中の草刈正雄は68歳。モデル出身だ。かぐや姫の名曲をモチーフにした映画『神田川』(1974年)で関根(高橋)惠子(66)の相手役を務め、世に出る。当時からずっとカッコイイままだ。

 もっとも、それは草刈の努力の賜でもある。ある芸能プロダクションの幹部は東京都渋谷区内のスポーツジムに通っているが、コロナ禍前にはそこへ行くたび、懸命にトレーニングに取り組む草刈の姿があり、頭が下がったという。

「40代でもあんなにハードには鍛えられない」(芸能プロ幹部)

 “オーバー65”の役者はどこかが違う。

高堀冬彦(放送コラムニスト、ジャーナリスト)
1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立