2016年9月の結婚会見にて。退場時に福原は江選手の手をそっと握って

 3月20日、不倫・離婚騒動の渦中にある福原愛、その実母・千代さんが台湾から帰国。車椅子で羽田空港のロビーに現れた千代さんを迎えたのは福原の兄だった。

 福原は母の帰国に合わせて、マネジメント会社の『電通スポーツパートナーズ』経由で《母は、高齢で介護も必要なため、皆様にはご配慮いただけますと幸いです》との書面を発表したものの、彼女自身が空港に迎えにくることはなかった。

 一方で、台北の松山空港から出国する際に彼女に付き添ったのは、義母の出国手続きをとった夫の江宏傑(ジャン・ホンジェ)選手と、2人の子どもと彼の両親。総出で“家族”を見送ったのだ。

 江選手は同日、インスタグラムのストーリーズにて《故郷に戻るのは複雑な気持ちですが、いつも健康でいられることを願っています》と、義母に向けたと思われるメッセージを寄せた。

モラハラは本当にあったのか

 今回の彼の対応を含めて、一連の騒動を取材する芸能リポーターはとある疑問をもったようだ。

愛ちゃんの不倫騒動の一方で、“夫からモラハラを受けていた”とも報じられましたが、かたや不倫を絶対に認めようとはしない彼女に対し、彼の一貫した紳士的な言動を見ていると本当にモラハラがあったのかと思えてしまいます。もちろん、表面には見せない夫婦関係もあるとは思いますが、少なくとも千代さんにとって良き“息子”で、子どもにとって良き父親なのでは、と。

 もしも母親に対して日常的にひどい言葉や態度を向けていた父親だとしたら、子どもたちも愛ちゃんの側にいたいでしょうし、祖母と一緒に日本に行きたがりそうなものですが……」

 福原が1月に帰国してから2か月、別居騒動が勃発した際に江選手は「リモートで妻と子どもは毎日会っている」とし、「妻は3月に戻る」とも話していた。しかし、福原は台湾に戻るどころか、子どもに会いに行くことはなかった。

「愛ちゃんはもう、江さんの顔も見たくないのでは?」とは、スポーツ紙芸能デスク。

「彼女は1月に東京を拠点にした個人事務所を設立し、モラハラを報じた『週刊文春』はすでに“離婚届を夫に送っている”とも報じました。仮に協議に入って財産分与や親権でもめるようなら、次に夫婦が顔を合わせるのは裁判所になるかもしれません。

 決定的とも言える写真を撮られながらも、愛ちゃんが頑なに不倫関係を否定するのは裁判を見越してのことで、夫のモラハラ報道も法廷で優位に事を運ぶための“印象操作”という可能性も否定できない。ひとつ言える確かなことは、彼女に優秀なブレーンがついた、ということでしょうね」

 4歳で「天才卓球少女」としてテレビデビューし、泣きながらも試合に臨む“泣き虫愛ちゃん”の姿は視聴者のハートを鷲掴みにし、瞬く間に“国民的アイドル”になった福原。10歳でプロ契約を結ぶとメキメキと才能を開花させ、2004年に15歳の最年少でアテネオリンピックに出場。

 するとテレビ番組やCMへの出演、また各種イベントにも引っ張りだことなり、卓球選手の枠を超えてタレントとしても“稼ぐ”存在になっていった。

「愛ちゃん獲得をねらう芸能プロダクションやマネジメント会社が常について回り、そんな状況に10歳離れたお兄さんが個人事務所を立ち上げてマネジメントを担当。そして2016年に結婚、引退すると、お兄さんの元から離れて現在の『電通スポーツパートナーズ』に業務を委託するようになったのです。

 彼女で商売をしたい大人たちに囲まれ、常に“愛ちゃん、愛ちゃん”と気を使われながらチヤホヤされてきたことでしょう。それこそ、千代さんは幼少時よりコーチとして厳しく接してきただけに、より甘やかしてくれる芸能界の環境は心地よく感じていたのかもしれません」(広告代理店営業スタッフ)

 そして“卓球王子”との素敵な結婚生活を期待して、単身台湾に渡った福原。しかし、彼女を待っていたのは、国際結婚による慣れない異文化生活と、より顕著に“見せ物”として扱われるビジネスとしての生活だった。そんな募らせた不満が夫に向けられるのは、ごく自然の流れだったのかもしれない。

夫婦は甘いものではなかった

 2月に台湾限定で発売されたフォトエッセイ『不管怎樣的哭法,我都準備好了(どんな泣き方だって、私は準備ができている)』では、彼女の思うようにいかない苛立ちを表す描写があった。

《実際、私と江の幸せは、みなさんが思うような「甘い」ものじゃないんです。そして“好きな人のことはなんでも好き!”というわけでもないんです。江は私に(思っていることを)ストレートに話しますし、多くの方々が思い描いている「福原愛」として私のことを見ていません》

台湾のテレビで放送された福原愛と夫のキスシーン

 台湾のテレビ番組では「キスは1日100回」などとラブラブ生活を見せつけていたが、それは虚像の夫婦の姿だったのだろう。そして、

私が太っていても、彼は「そんなことないよ、痩せてるよ」とは絶対に言いません。それに、私の着ている服がダサくても、彼は「すごく似合っているよ」とは言いません。(略)「他の人に君のダサい格好を見せられないでしょ?」って、思ってることをそのまま言ってくるんです。外に出かけるときであっても、完璧な「福原愛」であることを望んでいるんです》

 これを福原が“モラハラ”と感じたのなら、そうなのかもしれない。しかし、彼女もまた結婚生活に夢を見過ぎていたフシもありそうだ。

「愛ちゃんは、自分のわがままを聞いてくれて、チヤホヤしてくれる、それこそ江さんからお姫様のように扱ってほしかったのでしょう。ですが、夫は家族を養うためにビジネスとしての結婚生活を優先した。それが彼女にとっては“モラハラ”に映っていたとも考えられます。

 そんな折に、中国語を母国語として台湾でアイデンティティーを確立していく子どもたち。夫としてみれば、いまさら日本で育てる選択肢はなかったでしょうし、当の子どもたちも江家に馴染んでいるように見え、現地での生活を望んでいるのかもしれません。千代さんが同居していたとはいえ、愛ちゃんは台湾で1人、孤独感と疎外感を募らせていったのではないでしょうか」(前出・スポーツ紙芸能デスク)

 2019年11月にはイヤイヤ期を迎えた長女に対し、《私が厳しすぎるのか…あいらちゃんに「ママいらない!」と言われたまま仕事に出かける朝》と、自身のツイッターで嘆いていた福原。こんな時も、夫からの「そんなことないよ、君は最高のママさ!」という言葉を待っていたのかもしれない。