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 2010年半ばからブームとなった「丁寧なくらし」。だが、その言葉に抵抗を感じる人も少なくない。現状は多くの人が“生きるため”に必死に働いている。そもそも“健康で文化的な生活”すら送れていない人も。金銭的に余裕がないと、心に余裕は生まれない。貧困、格差問題を取材し続け、自らも“隠れ貧困”の家庭で育ったという『年収100万円で生きる―格差都市・東京の肉声―』の著者でフリージャーナリストの吉川ばんびさんが、自身の経験をもとに、その「現実」を訴えかける。

次第に心が病んでいった家族

「丁寧な暮らし」という言葉がよく使われるようになったのはいつごろからだったろうか。

 不景気の時代、日々生活費を稼ぐためにあくせく働いている私にとってこの言葉は、あまりにも非現実的で、浮世離れしているように思えてならない。きっと金銭的に余裕があって、死ぬまで食うのに困らないほど上級の社会的ステータスに属している人々が言い出した幻みたいなものだろう。

 働きアリのように毎日せこせこ労働していると、ただただ目の前にあるもの以外、なにも見えなくなってしまう。一日のうちほとんどの時間を会社で過ごし、一人暮らしの賃貸アパートにはせいぜい寝に帰るくらいで、限界まで疲れ果てている身体では、睡眠時間を削って趣味に費やすことすらできない。

 生活の質も目に見えて落ちていき、社会人2年目になるころには自炊する時間も気力も失われてしまって、健康に悪いと分かっていながらもカップ麺やコンビニ弁当に頼ることが普通になってしまった。

 家事も疎かになり、毎週末必ず行なっていた掃除も、次第に手につかなくなった。使用済みの汚れた食器が、シンクの中で無造作に積み重ねられている。排水溝の掃除を少しでも怠ると、みるみるうちに家中にコバエが飛び回る。分かっているはずなのに、どうしても掃除をする気にはなれない。

 自分は、この光景をよく知っている。社会人になるまで暮らしていた実家での、あまり思い出したくない記憶だ。

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 私が生まれ育った家庭は両親が揃っていて、夫婦共働きでもあったが、とにかく金がなかった。私が3歳のころ、阪神・淡路大震災で住んでいた家が倒壊。新しい住居で生活を立て直すのがやっとで、両親は貯金を使い果たした。

 父はアルコールに依存しがちで、頻繁に仕事を辞める癖があった。ローンの返済にくわえ、一家四人の生活は母の稼ぎだけでは到底まかなえず、親族から借金をすることも少なくない。父は家庭や子どもに一切の興味を示さず、母は精神的に不安定でよく「死にたい」とむせび泣いていて、兄は非行に走り、家庭内暴力が激化していった。幸い、食べるものがなくて飢えるようなことはなかったが、生活環境は最悪だった。

 貧困は心までも蝕むのだ。

 今思えば、あの家では全員の心が病んでいたのだと思う。風呂場やトイレ、洗面台、キッチンはいつも水垢やひどい汚れ、黒カビに覆われていて、コバエが大繁殖していた。風呂場で身体を洗っているとき、ボディタオルにくっついていた体長5ミリくらいの黒い幼虫が肌の上でくねくねと蠢くことがよくあって、気持ちが悪かったのを覚えている。黒い幼虫は風呂場のいたるところにいて、主に浴槽内やフタの上で繁殖しているようだった。洗った食器の水を切るためのトレーにも、同様に水垢と幼虫がびっしり付いていた。

 誰も掃除機をかけないので、家中ホコリや髪の毛、いろいろなゴミがたくさん落ちていて、絨毯や畳の下でも虫が繁殖し、茶色い幼虫や素早く走る成虫(紙魚という虫らしい)、謎の甲虫が大量発生している。その上に薄い布団を年中敷きっぱなしにしていたので、虫にとってはこれ以上ないほど住み心地がよかったと思う。

 高校生くらいになるころ、これまでの反動からか私はやや潔癖症のようになり、神経質に掃除機をかけたり風呂やトイレ、キッチンを掃除したり、布団を干したりするようになった。それでも掃除をする人間よりも汚す人間の方が圧倒的に多いので、家の中はいつも汚かった。実家には20年ほど住んでいたが、父や母、兄が布団を洗ったり干したりしているのを一度も見たことがない。だからうちはいつも、人間の脂の臭いと、カビの臭いがしていた。

壁には穴が ※画像はイメージです

 おまけに、兄は気に入らないことがあるとすぐに大暴れするので、壁にはいくつも穴が空いていて、私と母が使っている部屋のドアは蹴破られてプライバシーも何もない状態で、あらゆる家具家電が破壊されてそのままになっていた。

 そんな環境で暮らしていると、だんだん生きる気力が失われ、かといって死ぬきっかけもないので、ただただ今日明日を切り抜けることしか考えられなくなってくる。

 だからますます「家をきれいにする」とか「生活に手間をかける」「食事に気を遣う」「適度な運動をする」なんてことは、優先順位の最後の方に追いやられていく。「転職のために勉強をする」みたいに、長期的な視点も持ち合わせていない。未来の自分に投資できるだけの体力も精神力も残されていない。

 今日の仕事が終わったら、もう明日の仕事のことしか考えられないのだから。

 誰かの力を借りるのは、
「恥」じゃない

「丁寧な暮らし」ができるのは、経済的な不安がなくて、心も身体も健康な人たちくらいだと心底思う。貧困や虐待、DVが行われているなど、劣悪な環境で生きていると、「健康で文化的な最低限度の生活」を実現することすら難しい。健康も、文化的な生活も、まずは心が休まる場所があって、生活に困らないだけの金がなくては成り立たないのだ。

 私の場合、成人して実家から逃れて、これまでの働き方を考え直し、うつ病とPTSDの治療を始めて3年か4年ほど経って、ようやく「健康で文化的な生活」を送れるまでになった。無茶な働き方をしていたころ、生活の質はどんどん落ちていき、身だしなみや身の回りのことにまったく気を遣えなかった。虫歯は10年間放置していたし、新しく作り直しにいくのが億劫で、度が合わないメガネを何年も使い続けていた。

 人間は、心の状態が落ち着いてからでないと、自分を客観的に見ることも、合理的な判断すらもできないことを知った

 無理に「丁寧な暮らし」をしなくてもいい。でも、もしも「健康で文化的な生活」を送ることができていないなら、まずは今、自分に何が必要なのか、一度立ち止まって考える機会があってもいいかもしれない。時には誰かに話を聞いてもらいながら、客観的に見て自分をどう思うかを尋ねてみながら。

 私たちは一人では生きていけない。生活保護など、公助に頼ることを「恥」だと言う人がいるけれど、私はそうは思わない。まずは誰かの力を借りながら、心と身体のケアをすることは、誰にとっても当然必要なことだと思う。

吉川ばんび(よしかわ・ばんび)
 '91年、兵庫県神戸市生まれ。自らの体験をもとに、貧困、格差問題、児童福祉やブラック企業など、数多くの社会問題について取材、執筆を行う。『文春オンライン』『東洋経済オンライン』『日刊SPA!』などでコラムも連載中。初の著者『年収100万円で生きる ー格差都市・東京の肉声ー』(扶桑社新書)が話題。