対談した原田龍二と山田邦子

 服も魂も脱ぎ捨てて、全裸で人生と向き合う漢・原田龍二。自ら犯した過ちは、これから一生を賭して向き合う強い覚悟を持ち、今日も突き進んでいる。今回の対談相手は芸能界の大先輩・山田邦子(60)だ。女性ピン芸人のパイオニアとして奮闘し、一時代を築いた彼女の波瀾万丈な人生の片鱗に迫る──。

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山田 最初に会ったのは『水戸黄門』の撮影だったよね!

原田 はい! その節はお世話になりました。僕は『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)世代なので、今日は対談の機会をいただけて本当に感慨深いです。

山田 え! そんなに年離れてるの!? いくつ?

原田 僕は今50歳ですね。

山田 私は60歳だから、10歳違うんだ。『ひょうきん』のとき私は20歳だから、原田くんは小学生だったのか。あははは! それは離れてるね!

原田 当時の少年たちは土曜の夜『ひょうきん』と『8時だョ! 全員集合』のチャンネルをガチャガチャ回しながら見てましたからね。ギャグもみんなでマネしました。

山田 テレビがテレビが子どもたちのおもちゃだったもんね。私自身、子どものころに見てた『8時だョ! 全員集合』の裏番組をやるとは思ってなかったし、すごく不思議な気持ちだった。

原田 そうですよね。僕は『ひょうきん』を見て「大人でもふざけてもいいんだ!」という衝撃を受けたんです。その体験がDNAに刻み込まれてるからか、ふざけるのが大好きな大人に成長しました(笑)。

山田 確かに私、ふざけてたかも! 学校を卒業してすぐだったし、みんな年も近いから学校の延長感覚で仕事してたよね。でも、必死だったなあ。(ビート)たけしさんが突発的に投げる球を反射神経で打ち返さなきゃならない、それができないと出番をカットされちゃうの。NGを詰められる懺悔室では、水をかぶるのを想定して事前にシャンプーを仕込んでずぶ濡れになったら髪を泡立てたり……。

原田 まさにサバイバルですね……!

山田 そう、全員がライバルでしたね。みんなで泣いたり語り合ったりして、青春してました。

原田 もしも、邦子さんが『ひょうきん』に出ていなかったら、どんなタレントさんになっていたでしょうね?

山田 もっとおとなしい芸風になっていたかもね(笑)。

ものすごく思い詰めて警察に……

原田 3月に『生き抜く力』という本を出版されたとのことですが、執筆したきっかけについてもお聞きしたくて。

山田 もちろん出版社からオファーをいただいたから書けたんだけど、芸能生活40年で年齢も60歳。ふたつを足すとちょうど“100歳”になるんですよ。とにかくおめでたいから、人生をまとめようというのが、ひとつのきっかけですね。

 初めは自叙伝だから存命の人の名前も出てきていろいろ面倒だし、自分のことを文章にするのも恥ずかしいなあって思っていたんですよ。でも、書いていくうちにたくさんの人にお世話になっていたことに気づけたんです。

原田 本にはビッグネームばかり出てくるので、タイトルどおり“芸能界を生き抜いてきた”ことがわかります。

山田 例えば『ひょうきん』の章で「たけしさんに本当にお世話になったな」とか、乳がんになったときは友達に支えられたなとか、ひとりひとりと向き合えましたね。ずっと「私はピン芸だからひとりでやってきたんだ」なんて生意気にも思ってたんですけど、全然そんなことなかったね。ありがたいなあと思って、久しぶりにたけしさんにお手紙書いちゃった(笑)。そしたら、たけしさんから初めて直筆のお返事がきてうれしかったなあ。

原田 おお〜、貴重な経験になったんですね。

山田 それ以外の理由は、このコロナ禍もあって、たくさんの人がつらい思いを抱えていると思うので、一緒に乗り越えようよ、と。私も、忙しすぎて気絶しながら仕事したり、捏造に近いようなウワサでバッシングされたりとか、かなりしんどいときもありましたしね。

対談している原田龍二と山田邦子

山田 実は、一度本気で死がよぎったことがあるんですよ。

原田 え!

山田 どうしても行きたくない仕事があって、事務所に相談しても「休めない」と言われちゃって。「行かなきゃいけないなら死のう」って思っちゃったの。一晩中考えて警察に電話したら、すごく親身になって話を聞いてくれて。もしかしたら自殺相談の専門知識を持っている担当者かもしれない。

 その人に今の心情を話していると「お仕事の悩みですか?」と聞かれたんです。そこで“このまま話を続けると、山田邦子だと言わなきゃならないのか”と思ったらわれに返ったというか、ちょっと元気になったんですよね。そこで「もう大丈夫です」と伝えて電話を切りました。

原田 そんなにイヤな仕事だったんですね……。

山田 それが、大したことじゃないのよ! 芸能人大運動会に出るというだけ。私はピン芸だからもともと集団が苦手だし、そんな大勢の中に私が行く意味って何?と思ったら、すごく気落ちしちゃったんです。

 警察の電話を切ったあとに友人にも連絡したら「そこまでイヤだと思って行くと、案外楽しいかもよ?」とアドバイスされて、そういう考えもあるのかと目からウロコでしたね。

悪口を書いてきた人と仲よくなった

山田邦子

原田 行ってみてどうでした?

山田 すっごく楽しかった!(笑)。仲よしのタレントや役者さんにもたくさん会えてうれしかったなあ。終わったあと、本当に死ななくてよかったって思いましたね。

原田 もしかしたら大運動会の仕事はあくまできっかけであって、いろんな要素が絡み合って思い詰めてしまったのかもしれないですね。

 それ以降は「死にたい」と思うことはないですか?

山田 ないね〜。「死ね」って言われることはあるけど(笑)。そういえばこの前、フワちゃんに会ったら「あ、山田邦子だ!」って言われて。これがフワちゃんのタメ口か!って、うれしくなっちゃった。

原田 フワちゃんならまだしも(笑)、とくに今は、いろいろな声がダイレクトに届きやすい時代ですからね。

山田 昨年からYouTubeチャンネルの配信もしてるんだけど、コメント欄に書き込まれる悪口がすごいの。人の心をえぐるような表現……よく思いつくなっていう言葉を投げてくる。私はコメント欄の悪口にも返信するんですけど、やりとりするうちに仲よくなった人もいるんですよね。みんな寂しいのかもしれない。

 あまりにも悪口の表現が秀逸だから、今度一冊にまとめて出版したいくらい。転んでもただでは起きないよ!

原田 さすがですね! 僕は、顔が見えない相手からの悪口は全然気にしてないです。

山田 気にしろ!(笑)

原田 あはは! もちろん、僕を知っている人に言われたらいろいろ考えるんですけど、知らない人からの悪口は気にしないほうが自分のためかなと思ってます。

2回目の不倫は?

山田 それもそうね。本にも書いたけど、人間誰しもやらかすから1回は大目に見てもらえるかもしれない。でも2回やっちゃったらそれは“性分”だから、本当に反省しないとダメですよね。原田くんの反省期間はもう終わったんだっけ?(笑)

原田 反省は一生終わらないです(笑)。時々「反省してない」なんて言われますけど、反省に正解はないので、粛々と目の前のことに向き合ってますね。

山田 そうだね。悪口言うヤツは何をしても言ってくるからね。

原田 僕は2回目はもうない、と心に決めてます!

山田 本当!? でも、原田くんほどの男前だと、自分から何もしなくても魔の手が伸びてくるよ?

原田 いやいや、2回も100回も同じなので「次はない」と、日々自分自身を戒めながら生活しています。

山田 私はまたやると思うな〜(笑)。雪山のロケで、女優さんとふたりきりで山小屋に閉じ込められたりして……。

原田 あはは! そんなコントみたいなシチュエーションにはならないですよ!

【本日の、反省】『ひょうきん族』世代の僕にとって、すごく楽しい時間でした! 今日は明るくて元気な邦子さんが抱えていた苦悩もお聞きできたのが印象的でしたね。でも実は『水戸黄門』でご一緒したときに「とてもこまやかなお芝居をする方だな」と印象に残っていたので、納得した部分もありましたね。今日は“元気なクニちゃん”とは違う、邦子さんの芯にある優しくて繊細な一面に少しだけ触れられた気がします。

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山田邦子(やまだ・くにこ)●1960年、東京生まれ。1980年に芸能活動をスタートし、その後『オレたちひょうきん族』や『やまだかつてないテレビ』などのバラエティー番組で一世を風靡する。NHK好きなタレント調査では、1988年〜1995年のあいだ8年連続1位を獲得するなどお茶の間の人気者に。2018年には長唄名取「杵屋勝之邦」を襲名。現在、YouTubeチャンネル「クニチャンネル」を配信中!
原田龍二(はらだ・りゅうじ)●1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、さまざまな作品に出演。司会者として『バラいろダンディ』(TOKYO MX)金曜日を担当。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。現在、YouTubeチャンネル「原田龍二のニンゲンTV」を配信中!

《取材・文/大貫未来(清談者)》