橋田壽賀子さん(2018年撮影)

『渡る世間は鬼ばかり』、『おしん』など、多くのテレビドラマを手がけ、'20年には文化勲章も受章した脚本家の橋田壽賀子さんが、急性リンパ腫のため95歳で亡くなった。『週刊女性』では、2018年から2021年2月まで橋田さんの“痛快放談”を連載していた。なかから「自分がお墓に入るとき」というテーマで語った回を掲載する。(初掲載は2018年12月)

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 親しい方々が亡くなり私自身も93歳になった今、お墓に入る日がだんだん近くなってきた。

 後を継ぐ者のいない爽やかな独り身の私。60歳で亡くなった主人が生前によく言っていたように、お骨は海か空にまいてくれてもいいし、近年流行りの樹木葬というのもよさそうだ。いつか土となって、木の養分になりそうだもの。

 けれど、実際はそうもいかない。

 両親のお墓が愛媛県の今治市にあり、私はそこに入るつもりだ。

「主人のお墓に入らないのか?」と、思われた方もいるだろう。

 あれほど、「海にまいてほしい」と言っていた夫も、死ぬ間際には、

「やっぱり俺は、おふくろのそばがいいよ……」と、沼津にある実家のお墓を新しく建て替えて、そこに入ってしまったのだ。

「あ~あ、私もそこに入らなきゃいけないのか……」とガッカリしていたが、主人の兄が亡くなる前に「嘉一(夫の名)はおふくろのところに入れたけど、壽賀子さんは入れにゃあ」と言うではないか。

 こちらとしてはありがたい話だ。お墓に入ってまで、姑(しゅうとめ)や義兄などに“嘉一の嫁”として気を遣わなければならないのはごめんです。

 今治にある私の両親のお墓に一度、泉ピン子ちゃんとお参りに行ったことがある。

「菊一(きくいち) 菊枝(きくえ)」と彫られてある墓石を見て、「ご両親は漫才師なの?」と、冗談めかして笑っていたっけ。

 先祖代々が奉られているそのお墓の中に「百回忌の方がいらっしゃいます」と、お寺の住職さんが教えてくれた。

「あんまり関係ないな」とは思ったけれど、「橋田家で残されたのは私ひとりだし」と、そのとき百回忌の供養をお願いした。

 つきあってくれたピン子ちゃんは、とんだところで時間を取られて楽しみにしていた「今治名物の美味しいうどん」が食べられず、何とも恨めしい顔をして私を見た。「ごめんね、また食べに来ようね」と言いつつ、その帰り道にまだ結婚していなかった彼女が、「私もママ(私のことをこう呼ぶ)と一緒にここに入ろうかな」なんて言っていたのが懐かしい。

 また、うちのお墓を見て「ちょっと、ちゃっちいね。ほら、ここ欠けてるよ~」と言われたのが頭にきて、その後、暮石をもっと大きなものにしてすっかりきれいに建て替えた。また、私で橋田家は絶えるのでお寺に「永代供養」もお願いした。

 この実家のお墓ともうひとつ、富士山のふもとにある『文学者の墓』に主人とともに供養してもらおうと思っている。ここは文学に携わった方々が納められている霊園。お友達もたくさん入っている。

 そこに私の時計と主人の時計を入れて、「夫婦として一緒に時を刻んだ」という、私たちだけの証にしたいのだ。

 そもそも私は、お墓自体には意味がないものだと思っている。

 秋川雅史さんの『千の風になって』を聞いたとき、どこか救われる思いがしたのだ。

 主人のお墓には、あの「壽賀子さんは入れにゃあ」のお義兄さんも入っているし、悔しいからお墓参りには行かなかったが、「あそこには主人はいないんだな」と思えた。お墓参りのときだけ故人を思い出すよりも、日々の暮らしの中で思い出してあげることのほうが大切だと思う。

 主人のために仏壇を買って、いただきものがあったらお供えして一緒に食べる。私は今もこの熱海の家のそこここに主人の気配を感じ、一緒にいるような気がしているのだ。

 本当にお墓って必要なのだろうか。亡くなった人を忘れないだけでいいのではないだろうか。