インスタグラムへの最後の投稿。この3日後、ゑみさんの逝去が伝えられた(インスタグラムより)

 昨年11月2日、高木ゑみさんは自身のSNSで病気を公表する。ステージ4の肺がん。

「この先、いろんなことがあると思うけど、笑って楽しく生きると決めたの。痛みには我慢しない。絶対、味方はいるから! わたしは絶対大丈夫! 今回のがんも、“情熱大陸”のネタになるって思ったくらい(笑)」(ゑみさんのインスタグラムより、以下同)

 常にポジティブで元気いっぱい、みずからを「女・松岡修造」と言っていたゑみさん。深刻な病状にもかかわらず、告知の文面は明るくハイテンションで、フォロワーは驚きを隠せなかった。

がんとは闘わない、向き合うと決意

 この1か月ほど前、ゑみさんは尋常でない腰の痛みに襲われた。整体に通うが次第に寝ていても激痛が走るようになり、内科へ。検査につぐ検査の結果、肺がんと宣告される。脳や骨、リンパ、内臓など全身に転移し、ステージは末期を意味する4。

 ショックを受けつつも、8歳のひとり息子のことを思うと泣いているわけにもいかない。がんと向き合うことを決め、自身のSNSで病気を公表すると決めた。

 ゑみさんは続ける。

「がんは自分の細胞が変化したもの。つまり、がんは自分。自分の細胞なら元に戻す方法を知っているのも自分なんです。自分と闘っても勝てないし傷つくだけ。自分の中に敵をつくるとその敵がどんどん大きくなる。それで負けない! とさらに頑張ると、敵はどんどん大きくなる。だから、私はがんと闘わない。とことん向き合うことにしたんです。100人いたら100通りの考えがあると思う。でも私は自分の病気をオープンにして、経過も逐一報告することに決めました。できるかできないか、ではなく、やるかやらないか。恐れずに行動するのが、なりたい自分への第一歩だと信じているから

高木ゑみさん

 幼少期からの友人は、その覚悟を目の当たりにしている。

「入院してすぐ、ゑみに会いに行ったときに、私が泣いちゃったんです。そしたら、本気で怒られたんですよ。『まさか私が死ぬとでも思った?』って。彼女は心の底から絶対に治してみせると思っていたし、ひとり息子のためにも死ぬわけにはいかないという強い気持ちを持っていました」

 がんと向き合い、がんを治すと決めたゑみさんだが、入院中に現実に直面する。

「咳をしたら、痰に血が混じっていたの。ぞっとした。がんになった事実は変えられないのだと、あきらめと絶望の入り交じった感覚に襲われました。一方で、現実と向き合うプロセスが始まったと思った」と綴っている。

 取り入れたのが、小さな目標を立てて行動すること。インスタライブはいついつに何をする、と決めて告知して準備するなど、できることを行動に移していった。

グラノーラ作りは生きる源、
そして命を取り戻す作業

 毎日のようにSNSで発信するうち、闘病中の人や病気の家族を抱える人たちからも支持されるようになる。フォロワーもぐんぐん増加。誰かの役に立ちたいという希望と、役に立てているという実感が、ゑみさんの命を支え、生きる原動力になっていった。

 そのひとつが、オーガニックの「グラノーラ」作り。身体に負担の少ないメープルやオートミールの自然な甘さを活かして、糖質制限中、闘病中の人たちでも食べられるグラノーラを“お裾分け”するというアイデアをすぐに実行した。

「入院中に身体に優しいグラノーラをもらってうれしかったから、今度は自分のグラノーラで多くの人に希望とほほえみを届けたい」と願ったのだ。

グラノーラにはゑみさん手書きのカードを添え、丁寧に梱包し、みずから発送作業を行っていた

 理想のグラノーラは「ほほゑみグラノーラ」と呼ばれ、完成した今年2月15日には自身のSNSで希望者に採算度外視で“お裾分け”を開始。大きな反響を呼び、500件を超す申し込みに受注をストップせざるをえなくなる。

「申し込みが殺到して、彼女ひとりで作るには限界ギリギリ。それでも食べてくださる方を笑顔にしたいと張り切っていました。大量の段ボールに詰めて、自分で宅配所に運んでいました。お母さまが運ぶと言っても、ゑみは譲らなかったそうです」(友人)

 1日の終わりには、グラノーラ作りを手伝っていた母親とシャンパンで乾杯。この母娘の絆を確かめ合う時間をゑみさんは大切に思っていたという。

グラノーラにはゑみさん手書きのカードを添え、丁寧に梱包し、みずから発送作業を行っていた

 薬が効いたのか、がんの影もCT上では薄くなっていた。もしかしたら治るかも、と喜んでいた矢先の3月24日、急激に体調が悪化。再入院する。

 グラノーラ作りはこの再入院の前日まで続け、申し込み分をすべて作って発送し終えていた。ある意味「命を削って」グラノーラ作りに尽力していたといえるだろう。同時にそれが、病気と向かい合う原動力になっていたのだ。グラノーラ作りは「命を取り戻す」作業。家族も気持ちを理解し、無理に止めることはしなかった。

「ご家族はその行動力、生き方に『清々しいくらいだ。ここまでやり遂げるのを見ていたら、ある意味、悔いはない』とおっしゃっていました」(友人)

「娘が天国に行ったのに『充実感に満たされて幸せだ』ってご家族がおっしゃるのですから。本当に、ゑみはカッコいいですよ。死後なお、ゑみの偉大さを感じています」(友人)

 ゑみさんの支援者からは、「ほほゑみグラノーラ」の商品化を求める声が絶えないという。

最後のインスタ投稿
あっぱれな旅立ち

「インスタグラムに最後の投稿をしたときというのは人工呼吸器をはずしICU(集中治療室)から出る決断をしたあと。本人もご家族も、もうあまり長くないかもしれないことを認識していたようです」(友人)

 ICUを出ると決めたのは、ゑみさん自身。

「人工呼吸器をつけている姿を息子に見せたくなかったんです。もし余命が長くないのであれば、たくさんの愛情とありがとうをご家族にも、彼女を応援してくれる方々にも伝えて旅立ちたいと願ったのだと思います」(友人)

最愛の息子と。「入院中、家族の団結力やサポート力がすごくて、何があっても息子は大丈夫だなと心強く思った」と生前のゑみさんは語っていたという(インスタグラムより)

 病院関係者も家族もその強い意思を尊重。ゑみさんはお別れの前に、最後の力をふりしぼった。

「ラストはSNSでみんなに笑顔を届けなきゃって思ったと思うんですよ。だからICUにいるのに、ご家族にメイクボックスを持ってきてって頼んだそうです。私たちもそのメイクボックスを見たんですけど、工具箱ほどの大きさ。メイクボックスをICUに持ち込んだ人は、彼女が最初で最後だと思いますよ(笑)」(友人)

 メイクボックスだけではない。ICUにパソコンとスマホを持ち込み、管につながれながら、作業を続けた。病院でも「あんなに意思が強く、思いやりを持った末期がん患者は見たことがない」と話題になっていたという。

 SNSを更新し、さらに家族、友人に笑顔で旅立ちのあいさつをしたゑみさんは、3月28日に逝去。自分の生き方の美学を貫き、最後の最後まで自分の思うとおりに行動して死んでいったのは見事、というしかない。

 ゑみさんからのメッセージをご紹介しよう。

《健康なみなさんへ。『最善を期待し、最悪に備えよ』という言葉を送ります。定期的にがん検診に行ってください。行って損はないです。がん保険にも入ってください。むやみに病気を恐れなくていいです。でも、頭の隅に入れておいてくださいね。笑顔でね。わたしはずっとみなさんを応援しています》

高木ゑみさん
2021年3月28日逝去。享年35。
※生前のゑみさんの言葉を聞きたいという方は、YouTube「高木ゑみ」をご覧ください。YouTubeで得られた収益は、生前ゑみさんが望んでいたように、がん患者をサポートするための寄付に使用いたします。

《取材・文/吉川亜香子》