病室の窓から見える風景。青空が広がる日は気持ちがよかった 撮影/若林理央

「陽性です」看護師の静かな声がした。「ひどい風邪だと思いますよ」と励ましてくれた医師が、顔色を変えて診察室に戻ってくる。

 新型コロナウイルス。テレビやインターネットで、毎日のように目にしている病気だ。病院から連絡を受けた保健所のヒアリングを経て、入院が決まった。「入院はいつまでだろう」。私はフリーライターだ。仕事ができなければ、そのぶん収入がなくなる。身体のつらさより、不安のほうが大きかった。入院先の病院での隔離生活も想像がつかなくて怖い。

 回復し日常生活を取り戻した今、そのときの気持ちを冷静に振り返ることができるようになった。新型コロナにかかったからこそ、わかったことがある。それを、この記事で伝えたい。

「人ごと」だった新型コロナ

 2021年3月14日、倦怠感と咳(せき)があった。

「風邪でもひいたかな」

 似た症状の夫と、そんな会話をした記憶がある。

 新型コロナウイルスが流行し、初めての緊急事態宣言が出てから、早くも1年がたとうとしていた。とはいえ、私の周りでこの病気になった人はいなかった。

 翌15日の朝、咳がひどくなり飛び起きた。熱を測ると38.8℃。

『東京都発熱相談センター』に電話をして症状を説明すると、丁寧な口調でこんな言葉が返ってきた。

「発熱外来のある内科に行ったほうがいいですね。PCR検査をするかどうかは、医師の判断で決まります」

 PCR検査。検査をするとなったら、新型コロナ陽性の可能性があるということだ。

 私たち夫婦は30代。2人で生活しており、どちらも最近は自宅で仕事をしていた。私はフリーライターだが、この数週間は対面取材もなく、3日に1度、スーパーに行くときしか外出をしていない。

 まさか。

 発熱相談センターの担当者は「先に病院に電話してください。今、急に発熱のある患者さんが来ても、病院は受け入れられないんです」と付け加えた。

 自宅からいちばん近い内科の開院を待って、電話をした。体温と症状を伝えると到着時間を聞かれ、その時間に合わせて医師に診てもらえるようにすると言われた。いつもは1時間くらい待たなければならない人気の病院なので驚いた。

 予約した時間に夫婦で赴くと、受付の前には待っている人たちがいる。私たちは熱があるので、ついたてで仕切られたスペースに案内された。

 3分ほどで看護師がやってきた。発熱のある患者を前にして、医師と看護師が装着しているのはマスクとフェイスシールド、首から足までを覆う医療用のガウンである。このガウンがニュースで時折耳にする、防護服と呼ばれているもののようだ。聴診器を胸にあてるとき、医師は私たちのすぐそばまで近づかなければならない。

「新型コロナかもしれない患者の診察って嫌だろうな」と思うのだが、医師はなんでもないことのように言った。

「風邪がひどくなったのかもしれませんね。2人ともPCR検査を、奥さまは高熱もあったのでインフルエンザの検査もしましょう」

「風邪がひどく」という言葉に、彼の気遣いが感じられた。

 インフルエンザの検査は、綿棒で鼻の奥の分泌物を取る。患者と医師の間はパーティションで仕切られていて、鼻の部分だけあいていた。

「今年はインフルエンザになる人が少ないので、大丈夫だと思います」

 医師の言葉のとおり、すぐにインフルエンザではないと判明した。

 PCR検査のため、紙コップに入った水を全部飲み込んでから、専用の容器に引かれた線のところまで唾を吐き出す。最後にキャップのようなもので容器を閉じ、看護師に渡した。

「PCRの結果は、明日の夜に電話でお知らせします」

 そう言われて解熱剤と咳の薬の処方箋をもらい、帰路についた。

発症2日目には体温が38.8℃まで上昇した 撮影/若林理央

「陽性」と告げられて

 私の症状が悪化したのは、その日の夕方である。関節痛、食欲不振、嘔吐、咳。体温は38度台のままだ。

 PCR検査を受けた病院はもう閉まっていたので、『東京都発熱相談センター』に連絡した。今朝、新型コロナの検査を受けて結果待ちだと言うと、一般の救急外来での診療を勧められた。自宅の近くにある救急外来は発熱相談センターでは見つからず、救急センターの電話番号を教えてもらった。

 救急センターで紹介された病院は4つ。すべてに電話したが、高熱の患者は受けつけていない、もしくはベッドに空きがないとのことだった。

 3月半ばの東京は、感染者数が以前より少なくなっていた。しかし、診察時間外に病院を見つけるのは、こんなにも大変なのか。何件も電話しながら、苦しむ人を受け入れられない病院のジレンマも感じた。

 私は睡眠障害があるため、精神科で睡眠誘導剤を処方してもらっている。行ける病院がないので、それを飲んで寝た。幸い、夜中に苦しむことはなかった。

 目が覚めると、体温は37.2℃まで下がっていた。とはいえ、いつ昨夜と同じ症状になるかわからない。PCR検査を受けた病院に電話をして、昨日と同じ流れで診察を受けた。

 夫の症状は私と少し異なっていた。倦怠感と頭痛があり「味覚と嗅覚があまりない」と言っていたが、その日の夫は平熱だった。

 私だけ新型コロナの抗原検査を受けた。緊急性が高いと判断されたのかもしれない。これはPCR検査と異なり、15分ほどで結果が出る。昨日のインフルエンザと同じように、鼻の奥に綿棒を入れて検査した。

「いよいよ結果がわかる」という緊張感と安心感が、同時に押し寄せてきた。

 看護師が、診察室の外で医師を呼んだ。高い声が印象的な女性だったが、そのときだけ声が低くなった。

「陽性です」

 はっきりと聞こえた。医師がすぐに戻ってきた。

「マスクの鼻のあたりを、もう少し押さえてもらえますか」

 そう言った医師は平静を保とうとしていたと思う。だが、明らかに驚いていた。

「病院から保健所に伝えます。保健所から今後の療養先などの連絡があるので、自宅で待っていてください」

 新型コロナ陽性。

 テレビの報道やネットニュースの見出しが、めまぐるしく頭の中をよぎる。

 どうやって患者を帰らせるのがいいか、医師と看護師が相談している。この病院で陽性患者が出たのは初めて、もしくは久しぶりなのかもしれない。

「タクシーなどは使わないで歩いて帰ってください」

 そう言われたので、夫と一緒に人があまり通らない道を選んで帰った。

 自宅のあるマンションの前で、管理人さんが掃除をしていた。「おはよう」と、いつものようにあいさつしてくれる。

 彼は高齢者だ。マスクはもちろんしている。だが、何か発すれば飛沫(ひまつ)が飛んで感染するかもしれない。管理人さんに万一のことがあれば私のせいだ。心の中で謝りながら、離れたところで会釈してマンションに入った。管理人さんは、不思議そうに私たちを見ていた。

 この日の東京都は、新型コロナ感染者数が300人ちょうどだったことを覚えている。

 その中のひとりが自分だった。

保健所からのヒアリング

 スマホの音が鳴るように設定して3時間ほど寝ていると、保健所から電話がかかってきた。所要時間は30分ほどだった。症状が出た時期や症状の内容、直近2週間の行動、これまでにかかった病気、手術歴などを聞かれた。

 保健師の判断は、私の場合は病院入院になるというものだった。「ホテル療養じゃないんですか」と、思わず言ってしまった。ホテルならWi-Fiもつながるし、仕事ができるのに。

 フリーランスは仕事をしなければ収入がないので焦った。だが、保健所の判断は絶対だ。

「だめです。病院入院は確定だと思ってください」

 陽性が確定してショックを受けている感染者に対して冷たい保健師だな、と感じた。

 しかし、今振り返ると、それは私が動揺していたからだ。保健所の忙しさを想像できていなかった。

 濃厚接触者は、昨日のPCR検査の結果がまだ出ていない夫だけだった。夫と完全に部屋を分けるように言われ、入院に必要な物の説明を受けた。入院期間は長くなるかもしれないが、もちろん家族や友人との面会はできない。

 聞きながら、以前にテレビ番組で目にした映像を思い出した。オンラインで家族に見守られながら、最期のときを迎えた重症患者。死因が新型コロナだったせいで感染の恐れがあり、死後も会えないまま火葬しなければならなかった、志村けんさんのご遺族。

 私は高齢者でも重症者でもない。それなのに大げさだと自分でも思う。だが、彼らが直面した苦しみは、私にとって、もう人ごとではなかった。

 電話中、泣きそうになったがこらえた。えたいの知れない「感染症」が、形をなしていった。

「重症患者ではないので大部屋なら無料、個室ならプラスで3万円以上かかると思うが、どちらがよいか」と聞かれた。睡眠障害があるので「結婚前の貯金を切り崩そう」と決め、個室を希望した。

 明日の朝に体調確認の電話をすると伝えられ、通話は終わった。入院は病院が決まり次第、恐らく次の日からになるそうだ。

 夜、医師から電話があり、夫のPCR検査の結果が伝えられた。陽性だった。

民間救急車の車内の様子。運転席と後部座席はビニールで仕切られていた 撮影/若林理央

民間救急車に揺られ、病院へ

 3年前、海外旅行中に腎盂腎炎(じんうじんえん)になり、緊急入院した。眠ることすらできないほど苦しかった。

「あのときほどは身体がつらくないし、日本の病院だから言語やシステムの違いで苦労することもない。なんの心配もない」と自分に言い聞かせる。

 翌朝、体温は36度台に下がった。だが、発症2日目の症状がひどかったので、体調確認の電話をかけてくれた保健師は言葉を選びつつ、「やはり入院で」と私に告げた。

 ホテル療養の可能性が消えたのは残念だったが、病院なら土日も当直の医師がいるし、看護師もたくさんいる。ありがたいと思わなければならない。

 13時、知らない番号から電話がかかってきた。出ると民間救急の職員だった。

「13時半に到着します」

 保健所と連絡が行き違ったらしい。慌てて入院用の荷物を確認していると、すぐに保健所からも電話があり、入院する病院名を教えてもらった。そこまで民間救急車で連れていってくれるそうだ。

 私が新型コロナになったのは比較的、感染者の少ない時期だった。それでも保健所や民間救急、病院は忙しい。

 民間救急の職員は、恐らく同じマンションの住民を不安にさせないため、マンションの入り口から見えにくい場所に車を停めてくれた。民間救急車は、消防署の救急車よりも小さい。救急車というより小型バスのようで、色は白かった。

 医療用ガウンで首から足まで身を包み、マスクをした2人の男性が降りてきた。あいさつしてすぐ、手袋をつけた手で私の持ってきたスーツケース2つと、大きなバッグひとつを手際よく運ぶ。

「後ろの席にどうぞ」

 そう言って私を誘導した後、2人はビニールのパーティションで仕切られた運転席と助手席に座り、髪にキャップをした。乗るまでキャップをしなかったのは、私がコロナ患者だと周囲に思われないよう、最大限の配慮をしてくれていたのだ。

 車の後部にあるスペースはとても広い。すぐ横には、青いシートをかぶった車イスがある。保健所によると、ほかの新型コロナ患者と同乗することもあるらしいが、そのときは私ひとりだった。

 民間救急車にはサイレンも赤色灯もない。通常の車と異なるのは、私と運転席・助手席の間にスペースがあり、ビニールのパーティションで仕切られていることと、助手席の職員がひっきりなしに電話をしていることだ。

「立てない高齢の方ですね、15時にお迎えに行きます」

 そんな話が聞こえた。

 病院に着いたのは14時過ぎだった。

 民間救急の職員は私を支えて車から降ろし、私と、新型コロナ専用病棟の前で待っていた看護師にあいさつをして去っていった。

 こうして、私の入院生活が始まった。

(文/若林理央)

《※新型コロナ体験記・後編では入院生活の様子を綴っています→【新型コロナ体験記】入院患者が見て、聞いて、感じた病院と医療従事者の“リアル”


【PROFILE】
若林理央(わかばやし・りお) ◎読書好きのフリーライター。大阪府出身、東京都在住。書評やコラム、取材記事を執筆している。掲載媒体は『ダ・ヴィンチニュース』『好書好日』『70seeds』など。ツイッター→@momojaponaise