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「月に変わってお仕置きよ!」というハンパじゃないスケール感で相手をばったばったとやっつけていく『美少女戦士セーラームーン』(テレビ朝日系)。「戦闘する魔法少女」という様式をつくった同作は、まさに1990年代を代表する美少女アニメだ。このフォーマットは2000年代に入って『プリキュアシリーズ』(テレビ朝日系)に受け継がれることになる。では、両者は何が変わったのか? 東映アニメーションが魅せた”強くて美しい女性像”の移り変わりについて、熱く語らせてほしい。

セーラームーンに始まる“戦う魔法少女”

『美少女戦士セーラームーン』は'91年にマンガ連載、'92年にアニメ放映がスタートした。

 魔法、恋愛、友情、ギャグと、とにかく楽しめる要素がそこかしこにあるが、なかでも特筆すべきは「悪との戦い」だろう。セーラー戦士たちが月に代わってお仕置きをする様に、ドラマを感じた視聴者も多いはずだ。なんてったって"月の下請け“だ。こりゃ、やはりとんでもないスケール感である。

 当時、ディレクターを務めた演出家の佐藤順一氏は「それまでの少女アニメを変える実験をした」 とインタビューで答えている。そのひとつが「脱・ぶりっ子宣言」'80年代特有の、フワッフワでキラッキラな"松田聖子的お嬢さま像"に別れを告げたわけだ。

 裾が広がったスカート、そしてレースやフリルなどの装飾を取っ払い、手足をすっきりと出したキャラクターデザインを意識した。実際、戦場においてお嬢さま的な装飾はあまりにリスキーだ。ロングスカートだと、裾を踏んで転びかねない。レースが枝に引っかかることは、すなわち死を意味する。

 しかし、女の子としての「美」は取り入れた。戦士たちはそれぞれ、チョーカーや最小限の髪飾り、ティアラなど、戦闘の邪魔にならない程度のアクセサリーは身に着けている。これは「美少女戦士」として大事だ。
 
 いかに「動きやすい服装」を追求したからといって、皇居ランナーみたいな格好では、さすがに敵も視聴者も「え、ちょっと、ガチなんだけどこの人……」と引いてしまう。その上、Apple Watchで心拍数を測り出した日には、もう愛着もくそもない。

 そんな衣装を纏(まと)う変身シーンも、当時の少女向けアニメの演出としては斬新だった。アップテンポなBGMに乗せて画面がコロコロと変わり、最後は「キラーン☆」とカメラに向かってキメる。これは『マジンガーZ』などの少年向けロボットアニメを参考にしたそうだ。

 極めつけは「5人1組」という、スーパー戦隊シリーズのフォーマット。セーラームーンは東映制作のもと、少女向けアニメに少年向けの要素を取り入れ始めたのだ。

'04年にプリキュアシリーズが放映開始

 強く美しい女性ヒーロー・セーラームーンの成功のあと、「戦う魔法少女」はいくつか誕生していた。『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』などが、その代表例だ。当時はあくまで“魔法を使って、相手に触れることなくやっつける”のが主流だった。
 
 '04年、プリキュアシリーズの1作目『ふたりはプリキュア』が放送される。『おジャ魔女どれみ』というヒット作を生み、『明日のナージャ』で軽くコケた東映アニメーションによるオリジナルアニメだ。

『ふたりはプリキュア』では、運動神経が抜群で勝気な美墨なぎさと、頭脳明晰なお嬢様の雪城ほのかが、伝説の戦士と呼ばれる「プリキュア」に変身して、悪の組織「ドツクゾーン」を倒していく。

 コンセプトは「女の子だって暴れたい!」。ディレクターを務めたのは『ドラゴンボール』を成功に導いたアニメ監督の西尾大介氏だ 。この背景を見ればわかる通り、プリキュアの戦いは主に肉弾戦。可愛い顔して、格闘技イベント『PRIDE』の出場選手並みの武闘派なのである。

 では、『セーラームーン』と何が変わったのか。両者の1話で比較してみよう。

 主人公の月野うさぎは、ある日、人の言葉を話す黒猫のルナと出会い「あなたはセーラームーンよ。敵が現れたから倒してほしい」と、ホント急なお願いをされる。ちょっとあまりに唐突すぎる。

「いやいや、なんのこっちゃ」と思いつつ、うさぎは同級生が襲われているところにやってきて戦うわけだが、当然うまくはいかず苦戦する。

 すると、一輪のバラが投げられ、おなじみタキシード仮面が登場。簡単に自己紹介して「泣いているばかりではダメだ」と、うさぎを励ます。いや、まったく実用的でない。「おい。お前はいったい何をしにきたんだ」とツッコみたくなる。

「そんなこと言ったって」とさらに泣くウサギ。あまりの絶叫に怯(ひる)む敵。黒猫のルナは「ティアラをとって“ムーン・ティアラ・アクション”と叫んで、投げて!」と、船場吉兆のささやき女将ばりに具体的な指示を出す。うさぎはマニュアル通りに動き、無事に敵を倒すことに成功する

たくましさを増したプリキュアの2人

 一方のプリキュアはどうなのか。主人公のなぎさとほのかは同じクラスだが、違うグループに属している。だからお互い「顔は知っているけれど……」くらいの距離感。そんな2人は、ひょんなことからメップルとミップルという“光の園の住人”と出会う。導かれるように街を歩くうち、敵に遭遇してしまう。

 またも「なんのこっちゃ」と事態が飲み込めないままプリキュアに変身して戦闘に入るが、ここからがセーラームーンと大きく違う。

 ばっちばちの肉弾戦なのだ。なぎさが一発目にもらう打撃は、まさかの顔面へのパンチ。ほのかは足首をつかまれて、ぶん投げられる。それでも、パワーアップした2人はケロッとした顔で敵を圧倒。ほのかは華麗に二段蹴りを披露し、なぎさなんて、最強のラグビー選手・オールブラックスも顔負けのタックルを決める

 1話で彼女たちが使う魔法は、トドメの「プリキュアマーブルスクリュー」だけだ。あとはすべて“肉体で語る”スタイル。もはや魔法少女というより、女子プロレスラーの長与千種とライオネル飛鳥のタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」に近いのである。

 つまり、両者を比べてみると、'92年のセーラームーンに比べて、'04年のプリキュアは“たくましさ”を増しているのである。この12年間で、だんだんと女性が強くなったことを象徴しているのではないだろうか。

 そして、現在は2021年。『美少女戦士セーラームーン』から29年、『ふたりはプリキュア』から17年がたった。セーラームーン世代はアラフォーに、プリキュア世代は20代半ばに差しかかったころだろう。

「幼いころに見たアニメは性格を左右する」と、私は本気で思っている。そう考えると、現代において女性が強く美しく自立している姿をみるたび、その背景に「戦う魔法少女」を感じてしまうのである。

(文/ジュウ・ショ)


【PROFILE】
ジュウ・ショ ◎アート・カルチャーライター。大学を卒業後、編集プロダクションに就職。フリーランスとしてサブカル系、アート系Webメディアなどの立ち上げ・運営を経験。コンセプトは「カルチャーを知ると、昨日より作品がおもしろくなる」。美術・文学・アニメ・マンガ・音楽など、堅苦しく書かれがちな話を、深くたのしく伝えていく。note→https://note.com/jusho