再婚などで血縁のない親子関係やきょうだい関係を結んだ「ステップファミリー」が抱える問題とは? 20年にわたってステップファミリー研究を続ける、大阪産業大学経済学部准教授の菊地真理氏が解説する。

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親の離婚と再婚を子どもの視点から見ると

 離婚の増加とともに、親の離婚を経験する子どもたちは年間21万人にものぼります。再婚も増えており、年間婚姻件数の1/4を超えるまでになりました。離婚・再婚の増加とともに顕在化してきたのが「ステップファミリー」という家族のかたち。親の再婚などによって継親子関係が生じた家族のことです。

 私は、野沢慎司教授(明治学院大学社会学部)と20年かけて、継親、実親、継子それぞれの立場にある人たちにアンケート調査とインタビュー調査を行い、さまざまな声を集めてきました。その結果をもとに野沢教授と共同執筆したのが『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』(KADOKAWA)です。

 離婚後から子どもと同居している実親(同居親)は、再婚を機にパートナー(継親)に子どもの「新しいお父さん/お母さん」になってほしいと期待します。継親は、継子のいなくなった実親(別居親)の代わりに、自分が親代わりになってあげるのが当然だと思い、「親」になろうと努力します。そして、継親と継子は、実親子のような関係を目指そうとするのです。

 ところが、このやり方ではうまくいかないことに気づきます。それはいったいなぜなのか。親の離婚と再婚を子どもの視点から見つめ直し、子どもが家族の変化をどのように受けとめているのか、インタビュー調査をした事例をもとに考えてみましょう(※本書の内容を一部編集して引用します)。

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 智子さん(仮名・20代前半・女性)は、2歳のころに両親が離婚し、続いていた実父との交流は実母(同居親)が再婚した5歳のときに途絶え、その後は音信不通となっていました。一緒に住むようになった継父のことは「お父さん」と呼ぶようにと言われ、「この人は再婚してお父さんなんだって思って過ごしてきた」と言います。

 体育会系の継父は、たまに体罰もあるほどしつけに厳しく、「自分の子どものように怒ったり自然に接してくれた」と感じる一方で、遠慮があり甘えることはできなかったとも振り返っています。

 再婚してまもなく生まれた弟妹に対する態度との違いを感じることもありました。弟妹たちは、両親が再婚であることも、智子さんとは異父きょうだいであることも知らされていません。両親と過ごすこの家庭で「自然体」で、継父に叱られても「あっけらかん」と過ごせている弟妹たちを目の当たりにして、智子さんはひとり疎外感を抱えます。

 高校3年生のころ、智子さんは大学への進学を希望し、住まいから離れた地域にある大学から合格をもらっていました。しかし、継父は進学の必要性を感じておらず、認めてもらえませんでした。実母も支援してくれず、諦めてしまいます。これを機に継父との関係は一気に悪化し、冷戦状態であった家を出て遠方にある寮生活のできる会社に就職します。継父には「仲悪い状態だったんで、もう勝手にすれば」と送り出されます。継父との衝突そのもの以上に、そのとき母親(同居親)が自分の進学希望をはっきり応援してくれなかったことに失望していました。

実父との関係を深めていった矢先…

 継父との心理的距離のある関係が続いていたところに、智子さんは実父(別居親)と偶然の再会を果たします。智子さんが再会を望んだのは「本当の父親と娘の感じを知りたかった」からです。しかし、十数年ぶりに再会した実父は、「もう完全に他人っていうか、知り合いの人」としか感じられませんでした。(以下《》は智子さんの発言)

《全く写真も見たことがなくって、記憶にもなかったんで、もう初めて会うというか。んー、似てるとも思わなかったし。んー、何か不思議な感じでしたね、ちょっと。》

 それでもその後は頻繁に実父との交流が続くようになります。実父はすでに再婚しており、異母きょうだいと会う機会もありました。少しずつ関係を深めていくように見えた矢先、実父はすでに病魔におかされていて長く生きられないことを知ります。入院先には頻繁に見舞いに通ったのですが、高校を卒業して就職のため上京してまもなく、実父がすでに亡くなっていて、葬儀も終わっていたことを、実母から聞かされるのです。

《自分でもその、(実父の死に)あまりショック受けると思わなかったんで、その、予想以上にショックでしたね。その、うーん。だから、そう思うとやっぱり、何か、家族だから特別な気持ちがあるのかなと思いましたけど。》

 幼少期に別れたまま別居親(あるいは親族)と交流がなければ、継親との関係に葛藤が高まり深刻な虐待的行為が行われたときに、どこにも逃げ場がなく支援者もいないことになります。智子さんのように、継父から進学への理解と経済的援助が得られない場合には断念せざるをえず、自立に向かうための資源を何ひとつ持てないまま成長するしかありません。その当時、再会したばかりの実父に相談すれば学費を出してもらえそうだったけれども、継父のメンツをつぶすことになると気遣って、言い出せなかったそうです(実父と再会したことも継父と弟妹には秘密なのでした)。

 もし、再婚後も実父との交流が続いていて、父親としての役割を実父と継父が協働することができていたら、進学への理解と支援を受けて希望を叶えられたかもしれません。進学をめぐって継父との関係が悪化した青年期に、ほぼ同時期に病死というかたちで智子さんは実父との別れを経験しています。再会して交流を深めつつあったさなか、まだ親密な感情を確かめられないまま別れた実父への、大きな喪失感を抱えているように見えます。継親と実親の双方の喪失を象徴する事例といえるでしょう。

《まあ全部納得はできてるんですよ。今の戸籍上の父(継父)とか、血縁の父とか、そういう頭の中で全部理解できてて、どっちもお父さんなんだろうなっていうのはわかってる状態なんですけど。うーん。お父さんではないなっていう感じ。(中略)どちらも。本当の意味でのお父さんとは言い切れないっていうか。》

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大人側と子ども側で家族観にギャップがある

 智子さんのほかにも、継子や継親の立場にある方から聞き取った事例を、本書には多数掲載しています。いずれの事例にも共通するのが、大人側(実親・継親)と子ども側とのあいだで、家族観にギャップが生じていることです。

 実親は継親に、子どもの「親代わり」となることを期待し、継親も「新しいお父さん/お母さん」として役割を果たそうと努力します。親や継親は疑うこともなく、子どもに継親を「親」として受け入れるよう求めます。その一方で、子どものもうひとりの実親である別居親の存在は、最初からいなかったかのように、無視あるいは軽視されてしまいます。

 しかし、子どもが以前の家族のいい思い出や、別居した実親のいいイメージを持っている場合もあります。幼少期に別れた実親の記憶がなくても、思春期に自分のルーツに関心をもち始め、もうひとりの血縁の親やその親族のことを知りたいと思っても不思議ではありません。大人が理想とする「ふつうの家族」よりももっと柔軟に、子どもは家族の変化を受けとめようとしているのです。

 子どもがもうひとりの実親の存在を確かめようとする自然な反応は、大人側からすれば自分たちが努力して築こうとしている「ふつうの家族」を受け入れようとしない、反抗的な態度のように映ります。継親にとっては、親になろうとする善意や努力を否定されたように感じて、継子の行動を非難・否定することにもつながり、子どもはさらに追い詰められてしまいます。

 継親子間に摩擦が生じているのに、同居親が継親の側に立ってしまうと、子どもは家族のなかで疎外感や孤立感を抱え、居場所がなくなってしまいます。その葛藤が、自分を傷つけたり、外で気持ちを発散させたり、問題行動としてあらわれるのも無理ありません。智子さんのように、支援を受けられず進学への希望をあきらめて、早めに家を出ようとしたのも、自分の居場所を家族外に求めようとした行動だと理解できます。

 同居親はむしろ、子どもの本音に耳を傾け、離婚・再婚がもたらした喪失に気づき、それを癒すことができる、重要なキーパーソンです。実親子ではない関係を築けるよう、継親とのあいだを仲介・仲裁する役割を果たす必要があるのです。同居親は、子どもの成長発達を見守る「ゲートキーパー(門番)」なのです。

「ふつうの家族」という罠に誘導されている

 なぜ、大人側(実親と継親)は、当然のようにふたりの親が揃った「ふつうの家族」を目指してしまうのでしょうか。それは、離婚・再婚後の家族を、初婚と同じような「ふたり親家庭」と見なしてしまう「常識」があるからです。「家族」とは、親ふたりと子どもで1セットという「常識」は、ステップファミリーの当事者だけでなく、社会全体で共有されている強固な価値観(核家族観)でもあります。

 この強固な核家族観は、戦後の高度経済成長期に形づくられ、日本社会に広く浸透したものです。離婚・再婚した大人と子どもは、「離婚→ひとり親家庭→(ひとり親の)子連れ再婚→ふたり親家庭(ふつうの家族)」という追加標準コースをたどっていくのが「常識」とみなされるようになりました。「常識」にそってこのようなコースをたどっていくように「罠」をしかけられているともいえます。

 常識化した離婚・再婚観の罠へと誘導しているのが、離婚後はひとりの親しか親権をもてない単独親権制と、当事者の合意だけで成立する協議離婚制です。日本の家族法で規定されている、離婚後の単独親権制は、実は明治期の民法から続くものです。当時の家制度の影響により、原則父親が親権をもつことになっていました。高度経済成長期になって、子どもに対する母親の責任が強調されるようになり、この時期に親権は父親から母親へと移行します。子どもが小さいうちは母親の愛情が何よりも必要だという三歳児神話、母性神話が、この家族観を補強してきました。

 また、第三者や外部機関がいっさい介入せず、当事者の合意のみで離婚が成立する協議離婚制度も、離婚後の子の養育を保障するように制度改革を行った諸外国に比べて、珍しいものです。別居親が、養育費の支払いや面会交流の継続を通して、離婚後の子の養育に関わる重要な事項についても、当事者の話し合いによって取り決められるだけです。それが反故にされても法的な罰則はありません。また、その取り決めについて、子どもの意思が尊重される機会がないのです。

 再婚後は、養子縁組制度を利用して、継親と継子が法的にも実親子のような関係になることを選択しやすくなっています。親権者の配偶者と継子の養子縁組は、その他の縁組であれば必要となる家庭裁判所や、別居親の承諾すらも不要で、簡単に成立します。このような家族制度によって、常識化した離婚・再婚観の罠へと陥っていくように方向付けられているともいえます。

 現行の日本の法制度にある、離婚後に子どもが実親のひとりとの関係が断絶されてしまうという重大な欠点に目を向け、世界のトレンドから大きく立ち遅れているという事実を、まず知る必要があります。そのうえで、親の離婚・再婚後も親子が交流を持ち続け、再婚後に家族に加わる継親や、継きょうだい(異父母きょうだい)とは独自の関係を築いていく、「ステップファミリー」という新しい離婚・再婚観を本書では提案しています。

 親とは独立した個別の思いや考えを子ども自身が表明する権利、親から適切なケアを受ける権利を保障できるような法制度を、構築する必要があるのではないでしょうか。

『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』野沢慎司・菊地真理=著 ※記事内の画像をクリックするとAmazonのページにジャンプします

菊地真理
1978年生まれ、栃木県宇都宮市出身。2009年、奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。専門は家族社会学、家族関係学。大阪産業大学経済学部准教授。2001年よりステップファミリー研究および当事者支援団体SAJでの活動を始める。共著に『ステップファミリーのきほんをまなぶ 離婚・再婚と子どもたち』『現代家族を読み解く12章』などがある。