(左から)若槻千夏、ゆきぽよ、藤田ニコル

 ゆきぽよこと木村有希(24)が出直しを図っている。今年1月、過去のスキャンダルが報じられ、失速。そのスキャンダルとは、2年前、彼女の自宅で友人の男性がコカイン使用で逮捕され、彼女自身も事情聴取されたというものだ。

ギャルタレントの売りは何か?

 

 しかし、3月にはライザップの記者会見に登場。表舞台から消えていたあいだにダイエットとシェイプアップに成功したことを報告した。その成果を見せるべく、5月25日にはセクシー写真集を出すという。

 その写真集にはインタビューも掲載されていて、今回の騒動にも言及。「私が罪を犯したわけじゃないのに、どうして?」とふさぎこみ「消え去りたい」と思っていたことなどが、写真誌で先行的に紹介されている。

 ただ、これで風向きが変わるわけでもないだろう。以前のように、テレビでバリバリ活躍するのは難しいのではないか。というのも、彼女はインタビューのなかでこんなことも言っている。

何も考えてない横浜のギャルのまま、ここまで来ていました。じゃあこれからどうしようかと、徐々に考えるようになったんです

 そう、彼女はギャルタレントのひとりだが、そもそも、ギャルタレントというもの自体、寿命が短いのだ。今回、明暗を分けたとされるみちょぱこと池田美優(22)だって、いつまで重用されるかはわからない。

 なぜ、そういえるかといえば、ギャルタレントの売りが刹那的イメージだからだ。今が楽しければいいというノリに若者が共感し、大人が眉をひそめつつ、面白がるという構図によって支えられている。もちろん、若くて華や色気があり、毒舌ポジションも引き受けてくれるのでバラエティー番組にはもってこいだが、本人が刹那的なら、こっちも使い捨てていいだろうという感じで扱われがちだ。

 では、使い捨てられないためにはどうすればよいのか。ギャルのままでは行き詰まるので、変化が必要になる。

ギャルタレントに必要な「方向転換」

 たとえば、ギャルっぽいグラドルとして世に出た若槻千夏(36)の場合、一時的に活動休止したりブロガー転向などにより、その毒舌キャラを消費されすぎずに済んだ。また、結婚と出産も経験。ギャルっぽさも残るママタレとしての個性が再注目され、最近また露出が増えつつある。

 一方、カリスマ性を高めていったのが飯島愛さんだ。深夜のお色気番組『ギルガメッシュないと』(テレビ東京系)でのブレイクから8年後、少女時代の非行やAV出演歴などを赤裸々に告白した自伝『プラトニック・セックス』(小学館)がベストセラーになった。これにより、ギャルタレント時代からの毒舌がより深い意味と説得力を持つことに。いわば「若きご意見番」として一目置かれるようになるわけだ。

 そんな飯島さんについて『ギルガメッシュないと』の司会者だった岩本恭生は、

なんというか、愛ちゃんは最初から“捨て身”でした》(『独りぼっち 飯島愛 36年の軌跡』(講談社)著者=豊田正義)

 と、回想している。その懸命さに好感を持ち、潰させてはいけないと思ったという。使い捨てていい存在にならなかったことが、その後につながったのである。

 ただ「捨て身」な生き方は心身に負担をかけるのだろう。『プラトニック・セックス』の7年後、彼女は体調を崩して引退。その翌年、36歳で他界した。それでも、最も成功したギャルタレントであることに疑いはない。

飯島愛さん(2006年)

 そんな飯島さんと少し似たところがあるのが、にこるんこと藤田ニコル(23)だ。ああ見えて(?)人生経験がけっこう豊富で、セレブ生活と貧乏生活の両方を体験。そのためか、ときどき深いことを言ったりもする。

たとえばさ、有名人の人が亡くなったりとかするじゃん。そのときってさ、みんな、ツイッターとかにさ、うわーっとか、悲しみの声みたいな、つぶやくじゃん。自分がもし死んじゃったときにそうなるのかなって、すごい不安なの。見えないわけじゃん。死んだらさ、ツイッターなんていじれないしさ。見たいよね、死んだときの自分のツイッターの声」(『情熱大陸』TBS系)

 こういうところを上手く活かすことができれば、さらなるステップアップも可能だろう。

 ただ、最近はギャルタレントそのものが飽きられてきた気配もある。めるること生見愛瑠(19)のような、非・ギャル系の若手タレントのほうが新鮮だという声もあがってきているからだ。ゆきぽよが結局、セクシー路線で出直すというのも、歌や演技ができないギャルタレントの限界を示しているのかもしれない。

 はたして今後、ギャルタレントから大成する人は出てくるのだろうか。

PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。