テレビデビュー作となった、朝の連続テレビ小説『ノンちゃんの夢』(NHK)のヒロイン役に大抜擢されてブレイク。それから33年、数多くのドラマや映画、舞台で個性的な存在感を放ってきた藤田朋子さん。女優としてのキャリアは長いのに、それを鼻にかけることなく気さくで人懐っこく、自然体なところが魅力だ。

 取材でうかがった日も、「福岡へ仕事で行ってきたのでどうぞ」とひよこ饅頭をスタッフ全員に配ってくれた。こういうさり気ない気配りができるのも、愛されるゆえんなのかもしれない。

 女優として、妻として、ひとりの女性としての生き方について話を聞いた。前編は“女優・藤田朋子”の半生と新型コロナを経験して気づいたこと、後編は“ひとりの女性・桑山朋子”の生き方〜結婚、これからの夫婦のあり方ついて〜をお届けする。

藤田朋子さん(撮影/近藤陽介)

 ニコニコと笑顔で現れたのは、大正ロマンを彷彿とさせるアンティーク着物の藤田さん。蝶々の柄が入った帯に、襟元には白いレースが可愛らしい。普段から着物はよく着ているそうで、ひと目でこなれた感じが伝わってくる。

「初めてお太鼓にしてみました。いつも自分で着付けるときは半幅帯なんだけど、今日の取材で『ご自分で着られたんですか?』って聞かれたら、『はい』って答えようと思って昨日、帯の締め方を習いに行ってきたの(笑)」と、屈託なく笑う姿がチャーミング。その言葉で一気に取材の場が和む──。

 そんな藤田さんだが、突然降りかかった世界レベルの厄災にエンターテイメントの意義が問われ、ツラい思いをしていた最中、追い打ちをかけるように本人が新型コロナウイルスに感染してしまった。

自分が大丈夫じゃなかったと気づいた瞬間

──1月13日に新型コロナウイルス感染を公表して、それから2月に舞台『デジタル博品館』で女優復帰されました。藤田さん自身は、記憶障害の後遺症が不安だったそうですね。

「コロナに感染する前に、『完治したと思っていたら記憶障害が残った』という方の記事を読んで、職業柄、そんなことになったら仕事ができなくなってしまうという恐怖があったんです。でもありがたいことにその心配はなく、舞台を無事に終えることができました」

──コロナに感染したときのことを覚えてますか?

「今、冷静に振り返ると、あのとき変だったんだなって思いますね。呼吸も苦しくて家の中を歩くだけで息切れがして、トイレへ向かう廊下でひと休みしないとダメなくらいだったんです。38.6度の高熱が出たんですけど、一度平熱にも戻ったし、自分としては大丈夫だと思っていたんですよね。主人に『大丈夫?』って何度も聞かれたんですけど、『大丈夫』って答えてました。

 PCR検査後、陽性だとわかってからも自宅療養をしていたんですけど結局、入院することになって……。病院のベッドで看護師さんが鼻に酸素を送るチューブを刺してくださったときに、涙があふれてきちゃったんです。お医者さんからは、『ツラい時期をおうちで過ごされたんですね』って声をかけられて、やっと自分が大丈夫じゃなかったんだっていうことに気づきました。医療従事者の方たちには、本当によくしていただいて感謝の気持ちでいっぱいです

──退院後すぐに舞台がありましたが、改めて演じることの幸せを感じられたのではないですか?

「私が病気だったということを抜きにしても、お客さんの前で表現することをしばらくしてなかったので、舞台に立てるだけでうれしかったです。

 舞台に立ったときのいちばんの収穫は、お客様の笑い声や拍手を肌で感じられたこと。それは私だけじゃなくて、キャストのみんなも同じく幸せを感じられた3日間だったと思います。私にとっては、1か月興行を終えたような充実した時間でした」

 1987年、大学生時代にミュージカル『レ・ミゼラブル』で女優デビューを果たし、翌年には『ノンちゃんの夢』でヒロインに。その後、国民的ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)に出演するなど、たくさんの経験に裏打ちされた高い演技力と表現力で多くのファンを魅了してきたが、「もともとは中心にいるようなポジションではなかった」と言う。だから『レ・ミゼラブル』の出演は、女優業に憧れていたとは言え、自分でも驚いたんだそう。当時を振り返ってもらった。

「真ん中に立つ人になるとは思っても見なかった」と語る藤田朋子さん(撮影/近藤陽介)

朝ドラのヒロインは宝くじに当たった気分

──芸能生活の中で思い出深い作品は何ですか?

いちばんはデビュー作の『レ・ミゼラブル』ですね。プロになった瞬間だと自分でも思っている作品です。でも、アンサンブルだったので、舞台を観に来た親も私がどこにいるか見つけられないくらいでしたけど(笑)」

──次はもっと頑張ろう!って思いましたか?

「いえ、ずっとアンサンブルをやっていくと思ってました」

──それが翌年には『ノンちゃんの夢』で主演ですよね?

そう、だからそれがちょっと宝くじに当たったような気持ちでした(笑)。『レ・ミゼラブル』のオーディションに受かったし、この時期にすべてのいい運を使い果たした気分でしたね(笑)

──(笑)。朝ドラのオーディションを受けたときの手応えはありましたか?

「全然! 受かったとしても、ヒロインの友達の役だと思っていたくらい。真ん中に立つ人になるとは思ってもみなかった。

 学生時代の写真を見ても、集合写真はほぼ端のほうにいる子でした。あとから付け足して入ったみたいな感じの写真がけっこう多くて(笑)。今でも集合写真を撮りましょうってなったとき、指定席を与えられない限り端っこにいます

──小さい頃から、目立つのが好きではなかった?

「そういうことではないと思います。真ん中に立ちたい! っていう性格でもないけど、引っ込み思案でもなかったし。……でも、自意識過剰なところはあったかな(笑)。高校生のころ、トイレの鏡の前で女子が髪の毛をイジってたんですけど、そういう子たちを横目に、私は手だけ洗って鏡を見ずに出て行ってましたね。そんなの誰も見てないのにね(笑)

 人生の大半を女優として生きてきた藤田さん。女優の基礎を作り上げてくれた「忘れられない出会い」として、奈良橋陽子さんと石井ふく子さんの名前を挙げてくれた。石井ふく子さんは誰もが知っている、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の名プロデューサー、そして奈良橋陽子さんとの出会いは、なんとゴダイゴのタケカワユキヒデさんが関わっていた!?

着物が大好きなことで知られる藤田朋子さん。Instagramに着物専用のアカウントも持つ(撮影/近藤陽介)

「本気で女優になりたい」と思えた瞬間

──女優になったきっかけは、英語塾(MLS)に入塾されたことだったとか?

「はい。私、中学のときにゴダイゴの大ファンで、当時、作詞を担当されていた奈良橋陽子さんを知って、どんなコネクションを使ってでもゴダイゴに近づきたいと不純な動機で、中3のときに奈良橋さんが主宰する演劇の要素を取り入れた英語塾に入ったんです(笑)

──(笑)。そこで女優の基礎を学んだんですね?

「そうですね。学校の演劇部でも活動はしていたんですけど、奈良橋さんからはたくさんのことを学びました。今でも思い出すのは、東京学生英語劇連盟(MP)の公演に向けたエクササイズで、壁にへばりついて、『むこうの壁まで無事に行くことができたら、あなたの夢は叶います』というものでした。でも、たどり着くまでに稽古仲間が妨害をしてくるんです。

 そのとき、ぼんやりですけど『女優になりたい』と思って歩くことにしたんです。けど、羽交い絞めにされて結局たどり着けなくて……。どんな夢かは奈良橋さんに言ってなかったけど、この世の終わりかというくらいビービー泣いてる私を見て、奈良橋さんが『It’s good! That’s right!』って声をかけてくれたんです。そのときに“あぁ、私は本気で女優になりたいんだ”ってことに気づいて

──奈良橋さんの言葉によって具体的になったんですね?

「何か目に見えて手伝ってくださったわけではないですけど、自分の本当の気持ちに気づかせてくれたのは奈良橋さんだし、デビューしてからも精神的な支えになってくださいました。それが形になって、朝ドラの主演につながったと思います

──若い時期に、恩師と呼べる方と出会ったのは財産ですね。あと、藤田さんと言えば『渡る世間は鬼ばかり』の岡倉家の五女、長子役も思い浮かびますが……。

「そうですね。私にとって石井ふく子先生も大きな存在です。朝ドラの撮影が終わってすぐに『渡る世間は鬼ばかり』にキャスティングしていただいて、その後『空のかあさま』(2003年)という舞台の演出で、私を主要キャストとして呼んでくださったんです。そのときに演出家・石井ふく子先生とがっぷり四つを組ませていただきました

──石井さんからは何を学びましたか?

「それまでは奈良橋陽子さんの演出方法を学ぶことで、それが私の血となり肉となっていたんですけど、それと同じ感覚を石井先生からも味わいました。石井先生の舞台ならどんな小さな役でもいいから、端から全部出たい!っていう気持ちになります(笑)。

『渡る世間は鬼ばかり』での石井先生はプロデューサーの立場でしたが、石井先生に演出していただける舞台は、私にとって本当に大切な宝物です。石井先生の舞台に立たれた方はみなさん、私と同じ気持ちだと思います。いつまでも、先生に怒られたいし、注意されたいという気持ちがすごくあるんですよね。石井先生から、お芝居をすることの幸せを教えていただきました

*後編は5月29日(土)12:00配信予定です。

(取材・文/花村扶美)

●プロフィール
藤田朋子(ふじた・ともこ)/1965年8月3日、東京都出身。A型。1987年、ミュージカル『レ・ミゼラブル』で女優デビュー。翌年にはNHK連続テレビ小説『ノンちゃんの夢』で主役に大抜擢。その後、数多くのドラマや映画、舞台などで活躍。橋田寿賀子脚本の大人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』では、岡倉家の五女・長子役を熱演。1989年9月にはシングル『THE WOMAN IN ME』で歌手デビューも。配偶者はアコーディオン奏者の桑山哲也氏。1928年創業の和装小物メーカー「岩佐」で、バッグや草履のブランド「苺壱ゑ(いちごいちえ)」のプロデュースを手がけるなどマルチに活動。

【ホリプロオフィシャルサイト】https://www.horipro.co.jp/fujitatomoko/
【オフィシャルブログ「笑顔の種と眠る犬」】https://ameblo.jp/tomoko-fujita/
【Twitter】@tomoko_fujita
【Instagram】@chiendormant
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【YouTube「tokoecoちゃんねる」】https://www.youtube.com/channel/UClB6phh9nAKPDdfh9vVrOkQ/

●出演情報
5月28日より、1970年代の旧ソ連に実在した「忠犬パルマ」のエピソードをもとに、犬と人間の関わりや親子の葛藤を描いた日露共同制作映画『ハチとパルマの物語』が公開される。日本からは渡辺裕之、藤田朋子らが参加。
【公式サイト】https://akita-movie.com/