1992年8月『二十歳の約束』制作発表での牧瀬里穂。当時流行のソバージュで

「しゃべくりの牧瀬里穂、若いな可愛いなぁ同い年だよ」

「49歳には見えない良い年の取り方してるな。久しぶりに『Miracle Love』聴いてみる」(『Miracle Love』は牧瀬里穂のデビュー曲)

「牧瀬里穂さんが可愛すぎるんだけど! 49歳には見えないし可愛すぎる!」

 牧瀬里穂の5月24日『しゃべくり007』(日本テレビ系)出演がSNSをザワつかせている。変わらぬシュッとした美貌や、キュートな受け答えに絶賛のコメントが多数なのである。

 司会のくりぃむしちゅー上田晋也らと、1989年にJR東海『クリスマス・エクスプレス』のCMで脚光を浴びてから、スターダムに駆け上がった足跡を振り返っていたのだが、その中であの「ヒューヒューだよ」にも触れていた。牧瀬といえばこの言葉、とも言えるものだ。

 1992年放送の連続ドラマ『二十歳の約束』で、牧瀬演じる夕希が思いを寄せる純平(演:稲垣吾郎)に恋人がいることを知って強がって言ったこのセリフ。同連ドラはフジテレビのヒット枠として知られる月曜夜9時放送の『月9』作品の一つである。

 ただし、なにぶん約30年前の作品の上、「ヒューヒューだよ」というセリフがひとり歩きして、どんなドラマか知らないという人も多いのではなかろうか。そこで『週刊女性』編集部秘蔵の制作発表時のショットと、ネタバレしすぎない程度のあらすじで振り返ってみたい(※多少のネタバレにはなりますのでご了承ください)。

連続ドラマ『二十歳の約束』とは

 あらすじは、アメリカの大学に留学していた夕希が二十歳を機に、不思議な手紙の送り主を探すために日本に帰国し、ついに探し当てた送り主・純平と恋に落ちるのだが、実は純平は……、というもの。障害を乗り越え、実るかに思われた恋もラストで……、といった感じだ。

牧瀬里穂、恋人役を演じた稲垣吾郎とのツーショット(1992年8月26日『二十歳の約束』制作発表で)

 とにかく、当時21歳の牧瀬も、19歳の稲垣吾郎も若くてカワイイということにつきる。筒井道隆も。あと、主題歌の佐野元春『約束の橋』も今でいえばまさに“アオハル”という感じのみずみずしい名曲だった。

 牧瀬は、『しゃべくり007』で、この「ヒューヒューだよ」について、「(バラエティ出演などでも)言いたくないな、良い思い出として」というスタンスだったが、5年くらい前に別の番組でアンガールズ・田中卓志に言ったことで「こんなに気楽に言えるんだ」とふっきれたと語っていた。

 この「ヒューヒューだよ」という言葉とともに「奇跡の◯歳」を年々更新していってほしいものである。

『二十歳の約束』こぼれ話

視聴率は?

 『二十歳の約束』の平均視聴率は16.5%。同じ月9の前作『君のためにできること』が平均16.9%、後作『あの日に帰りたい』が平均15.4%だったことを考えると決して悪いとはいえない数字。ただし、前前作『素顔のままで』(中森明菜、安田成美ダブル主演)は26.4%。2つ後の『ひとつ屋根の下』(江口洋介、福山雅治ら出演)は28.4%だった。このような月9全盛期のモンスター作品には及ばなかった。

プロデューサーは大多亮氏、音楽は小室哲哉

 大多氏は『東京ラブストーリー』(1991年)、『101回目のプロポーズ』(1991年)、『愛という名のもとに』(1992年)、『ひとつ屋根の下』(1993年)をプロデューサーとして手掛けたフジテレビ黄金期を代表するヒットメーカー。小室哲哉は、いわずとしれたJ-POPの巨人である。実は2人は早稲田実業の同級生だそう。ただし大多氏の著書によると、同じクラスになったことはなく、面識はなかったそう。この著書『ヒットマン』は1996年という小室ファミリーの黄金期に出ていたため<同じプロデューサーという仕事をやりながら、この年収の差は一体どういうことだ!?>とも綴られている。

23年後に牧瀬と稲垣が共演

 2016年3月21日放送の『中居正広のミになる図書館』(テレビ朝日系)で牧瀬里穂と稲垣吾郎が共演。司会の中居から(共演していて)「好きにならなかったの?」と質問され、稲垣は「僕は好きですよ」と答えたそう。その後も2人は肯定も否定もしない薄いリアクションを見せ中居が「(交際を)ちゃんと否定して」とツッコミを入れるシーンも。

 意外にも、牧瀬が連ドラで単独主演を努めたのはこの作品が最初で最後である(1994年の日本テレビ系『西遊記』は唐沢寿明とのダブル主演)。またソフト化やVODでの配信もされていない。つまり、リアルタイムで観た人の記憶はとても貴重ということなのだーー。