紀子さまと眞子さま(2019年6月)

「考えすぎなのでしょうか……。紀子さまは近ごろ、以前にも増して顔色は悪く、思いつめられているようなお姿が多く見受けられます。

 今は、各界の専門家から新型コロナの状況をオンラインでお聞きになっていますが、無理やり笑顔をつくっていらっしゃるようにも見えて、痛々しいというか……」

 そう紀子さまの近況を明かしてくれたのは、秋篠宮家関係者のひとり。

「先日の『母子手帳国際ウェビナー』へのご出席が“異変”のきっかけになったのかもしれません」(同・前)

 5月末、紀子さまは妊娠中の女性への支援をテーマにしたウェブセミナーに、オンラインでご出席。

 日本発で世界中でも使用されている母子手帳を、紀子さまも妊娠中に活用されていた。

「'18年にタイで開かれた『母子手帳国際会議』に出席された紀子さまは、日本から持参した眞子さまのときの母子手帳を取り出し“母子手帳は日本の多くの母親を助けてきました。私もその1人です”と、スピーチされていたのが印象的でした」(皇室担当記者)

12歳の眞子さまと8歳の佳子さまを連れて赤坂御苑をご散策('03年11月)

 このスピーチでは「私はいつも健診に母子手帳を持っていき、それに医師や看護師が記入していました。家では、成長の記録を自分で記入しながら、子どもたちの発達をたどることができました。母子手帳は私たちの家族にとって、とても大事なものです」とも述べられている。

 実際、眞子さまを妊娠中の紀子さまは母子手帳と向き合い、お腹の子に思いを馳せられていたという。

「妊娠中はつわりでつらいことも多いようでしたが、いっさい弱音は吐かれなかった。むしろ“今、とても貴重な体験をしています”と、笑顔で前向きにご出産を楽しみにされていたことを覚えています」(宮内庁OB)

“お子さまのお名前をどうするか”という点にも、とてもこだわっておられたという。

「紀子さまが妊娠されていたころ、ご夫妻での散歩中や食事の際は、いつもお名前の話題になっていましたね。

 最終的に“自然のまま、飾ることのない人生を歩むように”との願いを込められ、『眞子』と名づけられました。

 おふたりは名前の音にもこだわっており、『眞子』は“まさこ”とも読めますが、紀子さまにならって“まこ”と読むことにされたと当時お聞きしました」(同・前)

'91年12月、生後2か月の眞子さまを秋篠宮さまと紀子さまは幸せそうに見つめられて

 ご自身の名前にちなんで名づけた眞子さまを愛情深く、礼儀正しく育ててこられた。

眞子さまの結婚も素直に幸せを願われていたが……

「まだ眞子さまが小学校高学年のころ、ご一家で私的旅行に行かれたときのことです。

 宿泊先の旅館で食事する際、従業員がご飯をよそおうとしたところ、眞子さまは“私がやります”とご家族分のご飯をよそわれたのです。普段もご家庭で手伝われていたから、自然とそうされたのでしょう。

 その旅行で訪れたお宅でも、眞子さまはお行儀よくずっと正座。おやつにスイカが出されたところ、紀子さまを見て“食べてもいいですか”といった表情を。お母さまが頷かれるのを見て、眞子さまは“いただきます”と言ってからスイカを召し上がられていました」(宮内庁関係者)

 眞子さまは、次女の佳子さまよりも厳しく育ててこられたといわれるが、その分、お母さまからの信頼は厚かった。

 '13年ごろに小室圭さんを紹介された際も、紀子さまはお相手を疑わず、素直に幸せを願われていたという。

 しかし、'17年末に発覚した小室家の金銭トラブルによって婚約は延期に……。

7月末にニューヨーク州の司法試験を控える小室さんと、金銭問題をまだ解決させていない佳代さん

「小室さん親子を宮邸に呼び、金銭問題の経緯などを問うも、“借金ではない”と繰り返すばかり。紀子さまは“借金自体が悪いのではなく、お金を工面してくれた相手に対する誠意が欠けている”ことで、小室さん親子に対する不信感を募らせていたのです。家同士の問題である婚約など、到底考えられないといったご様子でした」(皇嗣職関係者)

 小室家とは縁がなかった─。そうお考えになったのか、小室さんがアメリカ留学に旅立つ直前、紀子さまは“策”に打って出た。

「小室さんの留学先である『フォーダム大学』のHPに掲載された記事に“眞子さまの婚約者”と表記されたところ、宮内庁が大学側に“フィアンセではない”と通達しました。実は、このことを指示したのは紀子さまだったそう。

 妃殿下は当初、おふたりが日米の遠距離恋愛となるため、自然消滅を狙われていたようです。だからこそ、“小室さんはあくまで婚約内定者で、結婚すると決まったわけではない”と主張されたかったのだと思います」(同・前)

「フラワーギフト」を母娘で手づくり

 小室家の問題による国民からの批判がやまない中、紀子さまは眞子さまとの“意思疎通”を図られていたそうだ。

「『全日本ろうあ連盟』が配信した映画や、若手芸術家を支援するチャリティーコンサートを一緒に視聴され、週末には畑の草とりや野菜の収穫をご一緒になさっていました。

 コロナ禍では、医療団体におふたりで手づくりしたフラワーアレンジメントを贈られていました。そういった中で、結婚問題も含めた眞子さまとの“対話”を大切にされていたようです」(前出・宮内庁関係者)

'16年5月、悠仁さまが参加された運動会の応援に。紀子さまは今も変わらず眞子さまをご心配されているという

 しかし、眞子さまのご意志は想像以上に固く、昨秋あたりから“結婚容認”のスタンスに傾かれてしまったという。

「昨年9月のお誕生日に公表された紀子さまの文書には“長女の気持ちをできる限り尊重したい”と綴られ、今はそのおことばどおりのスタンスです。とはいえ、眞子さまが小室さんと結婚した場合、これまで以上の誹謗中傷を受け、場合によっては身に危険が及ぶ可能性すらあります。母親として、非常に心を痛められているのです」(同・前)

 母としての苦悩を抱える中、冒頭のセミナーで母子手帳を手にしたことで、胸にしまわれていた“自責の念”がついこぼれてしまった─。

「セミナーに寄せるおことばを練られていたころだと思います。ごく近い関係者に“娘を守れていませんね……”と、漏らされたのです。

 いつも気丈に振る舞っておられる紀子さまが、弱音を吐かれるとは大変驚きました。多くの国民から祝福を受けて眞子さまが結婚することは、もう不可能だからでしょう。

 紀子さまは、大切に育ててきた眞子さまを幸せに送り出すことができず、その責任を強く感じていらっしゃるのです」(前出・皇嗣職関係者)

 30年前、母子手帳に込めた眞子さまへの気持ちを思い出した母のご心境は─。