大量にあった爪ケアの品々は、今やこの目薬入れ一個に。愛用のラジオの上に置き、気づいた時に中に入れたゴマ油で爪と皮膚の間を潤す(写真:筆者提供/東洋経済オンライン)

 疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第12回をお届けします。

江戸の町娘に感謝する

 さて、そんなこんなで人知れず涙ぐましい試行錯誤を繰り返し、洋服も化粧品も決死の覚悟で手放した果てに、ようやく「キラキラ」と「買わない生活」の両立は可能という揺るぎなき結論に達したイナガキである。

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稲垣えみ子氏による連載12回目です。

 いや~ホント、自分で自分を褒めたいというのはこういう時にこそふさわしい言葉ではなかろうか。

 何しろロールモデルってのがいなかったわけですよ。いるのかもしれないが、我が貧弱な情報収集力では発見することができなかった。

 かろうじて見つけたのは「江戸の貧乏長屋の町娘」という、実際には見たことも会ったこともない存在。それでも大昔のこの地にちゃんと生きていたに違いない町娘の存在は、間違いなく私の心の支えであった。

 彼女たちのおかげで私は何とかくじけずに挑戦を積み重ね、ついに、今を生きる確かなロールモデルとしてフランスはリヨンのおしゃれな娘っ子たちにまでたどり着くことができたのだ。

 まさか町娘も300年後のアフロに感謝されるとは思ってもみなかっただろうが、それでもこの場を借りて深く感謝を申し上げたいと思う。

 で、物事とは何事も最初が大変なのであって、まったくビクともしないように見えた大岩も、なんとか諦めずに「ビク」と動くまでウンウン押し続け、そしていったん斜面を転がり始めてしまえば、あとは何の力も加えずとも加速度がついてゴロゴロと転がっていくものである。

 要するに、図に乗った私はとどまることなく「買わないキラキラ」を追求することにした。

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体も頭も「湯」で洗う

 まず、シャンプーおよびリンスをやめた。ボディーソープもやめた。

 と言うと、え、体も頭も洗わないの? と驚かれることがままあるが、そうではない。「湯」で洗うことにしたのである。理屈としては、基礎化粧品をやめたことの延長ですね。

 余分なものを塗らなければ取る必要もなしという貴重な教訓を私は身をもって得たわけで、ならば髪に関しても、いわゆる整髪料を使うことをやめれば湯で洗えば十分ではと考えたのだ。リンスはそもそも髪に何かをつける行為だから、当然それも不要。

 ボディーソープも同じ考え方である。体に化粧をするわけじゃなし、さすれば薬剤でゴシゴシ取らねばならぬ何ものもなし。タオルでそっとこする程度で十二分ではないか。

 で、ご想像のとおり、いずれもまったくどうということなく今に至る。

 ……いや正確に言えば、髪に関しては、最初のうちはどうも、洗えども洗えども頭が痒いような気がした。初めてのチャレンジゆえ多少うろたえて、すでにこの方法を実践していた友人に相談すると「慣れれば痒くなくなる」と、精神論のようなことを言う。

 でもよく聞くとそうではなくて、痒くなるのは長年シャンプーを使った影響で油を取りすぎて皮脂の分泌が過剰になっているからであり、シャンプーを使わなければそのうち脂が出なくなるとのことなのであった。

 実は痒みに負けて数回に一度はシャンプーを使っていたことを告白すると、「それがダメなんだよ! せっかく出なくなった皮脂がまた出てくるでしょ」と諭された。

 正直、半信半疑だったが、別に急ぐ話でもない。

 助言どおりじっと痒みに耐えていると、数カ月後にはそんな悩みがあったことすらいつの間にやら忘れていた。つまりは、確かに痒みなど感じなくなったのだ。

 ほほうと図に乗って、毎日髪を洗うこともやめてみた。夏は大量の汗をかくのでそうもいかないが、近頃では冬は3、4日に一度。何しろこのところ、洗って何日経とうが痒くもなんともない。我が皮脂はそこまで進化したらしい。

 彼女の助言はまったく正しかったと言わざるをえない。疑ったりして申し訳ないことであった。今や私が身をもって断言いたします。あなたの頭が痒くなるのはせっせと洗いすぎているからかもしれません!

 確かに考えてみれば、子供の頃は髪を洗うとは結構特別なことで、一週間に一度しか洗わないことも普通にあった。

 その後、バブル到来とともに「朝シャン」という言葉が生まれ、それは実に新しくリッチな日本の夜明けの如きライフスタイルに思えて当然私もせっせと実行し始めたわけだが、考えてみれば十年やそこらで人の体が急に汚れやすくなったはずもない。

 全然洗わないのも不潔だろうが、洗えば洗うほど清潔というわけでもなかろう。「洗いすぎの害」というものも当然あるはずだ。

 ついでに言えば、一定の化学物質を下水に流し続けることの環境負荷も無視できない。他の生物を犠牲にして自分だけがキレイになるなど、そもそもその心根がちっともキレイではなかったと、今更ながらに反省するところである。

 ボディーソープに関しては、今となってはなぜあれほど熱心に使っていたのか不思議でしかない。何しろ顔と違い、体は日中何かを塗りたくるわけでもないので、ゴシゴシ洗えばその分、ひたすら乾いて当然だ。

 ゆえに秋冬になると肘や膝やかかとがガサガサになり、足のすねもヒビ割れて痒くなるのが長年の悩みのタネで、風呂上りには素早く全身にクリームを塗る作業が欠かせなかった。

 ところがソープをやめて湯で洗うようになってから、冬だろうがなんだろうが、何も塗らずともスネもカカトも何の問題もなくしっとりしているではないか!

 いやもうまったく、私はいったい何をしていたのだろう。もしかすると、前回書いたゴマ油マッサージの効力かもしれない。何れにしても、私はすべてをやめることですべてを手にしてしまったのである。

歯磨き粉もやめてみたら

 まだまだ「やめた」シリーズは続く。

 キラキラとは直接関係ないが、身だしなみ関連として、私は歯磨き粉をやめたことをご報告しておく。

 歯磨きは、歯ブラシでこするのみ。例の小さすぎる洗面台収納に悩んでいた頃、知人から「歯磨き粉は使わなくても歯磨き効果に影響なし」「むしろ、歯磨き粉を使うとそれだけで歯磨きをした気になってちゃんと磨かなくなる」と聞いたのがきっかけである。

 ナヌー、そ、そうだったの?!

 もちろん、すぐにやめた。

 ちなみに驚いたことにこれは堂々たる定説らしく、歯医者さんに聞いても「そのとおり」とおっしゃるではないか。まったく世の常識っていったい何なのか?

 キイテナイヨーと叫びたくなるが、ちょいと深呼吸して冷静に考えますと、歯磨き粉とは、歯を磨くという単調な行為に味や香りで素敵にアクセントをつけるためのものなのかもしれませんね。それで歯磨きが楽しくなるのならそれはそれで良いことである。

 しかし味や香りに満足して肝心の歯磨きがおろそかになるとなればまったくもって本末転倒。何れにしても、こうなってくると世の中の何が本当で何がうそなんだかわからなくなってくる。

 フェイクニュースが社会問題になっているが、我らは案外ずっと前から、何がフェイクで何が真実か、実は曖昧モコモコな世界を生きているのやもしれぬ。まずは何事も自分でやってみることである。

真っ黒な足の爪が簡単ケアでピンク色に

 最後に、以前ご報告した「ネイルケア品を収納する場所がなく、いっさいがっさい捨てる羽目になりガーンとなった」問題のその後についてご報告しようと思う。

 当然のことながら、長年にわたり何とか濃い色のネイルでごまかし続けた我が足のダメ爪は、いきなりその悲惨な状態を白日の下にさらすこととなった。

 親指の爪は何年も前に死に絶えたままほぼ真っ黒、しかも長年の巻き爪で妙な形に歪みきっている。そして痛い。さらに表面がボコボコ。まったくいいところなんてひとつもありゃしねえ。

 改めてその現実にしげしげと直面してみると、恥ずかしいというよりも、むしろ我が体の一部ながら、ここまで延々とほったらかされてきたのが何とも気の毒になってくるのであった。

 あ、もちろん、ほったらかしてきたのは私です。

 今こそ贖罪の意味も込め、何はともあれこの悲惨な現実を少しずつでも変えていくことはできないものか。とはいえもう本当に長い間、この状態はまったく改善されることなく今に至るのであり、「少しずつでも変えていくこと」など本当にできるのかまったく不明である。

 でもここまで来たらやるしかない。というわけで、まずは専門家に頼ろうと巻き爪治療の検索をしてみると、近所の病院で6万円! 高いのか安いのかまったくわからない。つまりはどうも納得できずグズグズする。

 そうこうするうち、たまたま知人から爪のセルフケアの本をいただいた。自分の爪はちゃんと自分で育てることができると書いてあった。ちょっと泣けた。私にもまだできることがある。で、遅まきながら人生で初めて爪のケアなるものに勤しむことにしたのである。

 といってもそれほど大変なことでもない。爪やすりで表面のボコボコを平らにし、切りすぎない程度にマメにカットし、風呂に入ったら一つひとつやさしく洗い、あとは例の「ごま油」を目薬の容器に入れ、こまめに爪の先端と皮膚の間に油を差す。本によれば、油はごま油でなくとも。爪の乾燥を防ぐのだそうです。

 足の指をグーチョキパーと動かす運動も始めた。指でしっかりと地面を押す癖をつけ、巻き爪を改善するためである。トータルでせいぜい1日5分程度だが、にしてもこれほど我が足の爪に注意を向けたことは人生初である。

 で、その結果はといえば、ボディーソープなどと違い、やってみればメキメキ物事が解決というわけにはいかずに何カ月も変化なし。

 それでもめげずにコツコツ爪に愛を注いでいると、3年ほど経つと巻き爪が回復して痛みが消え、さらに数回の爪の生え変わりを経て、最近ようやく、そこそこ鑑賞に耐えるようなピンク色の爪が戻ってきたのであります。

 5年前に「ガーン」となっていた私に、大丈夫だよと言ってあげたい。これでようやく、化粧品がなくとも平気と心の底から言うことができる。やっとここまで来た。やればできたのだ。

自分は自分のままでいい

 と、そんなこんなでいろいろと書いてきたわけですが、このようにして私の体のお手入れは、ごま油、歯ブラシ、タオルのみとなり、もはや洗面台の極小収納がスカスカに余っている。

 おそらくもう一生、化粧品類を買うことはないだろう。というわけで結果的にかなりの金額の節約につながっているわけだが、本当に肝心なのはそこではない。

 私が得た最大のものは、お金よりも何よりも、自分の体に対する信頼である。

 物心ついてからというもの、たいしたことない自分を精一杯美しく世間にプレゼンせんと、ずっと最新の、画期的な、あるいは最先端流行の商品の情報を集めては熱心に買い集めてきた。

 それは確かに心踊ることではあったけれど、一方で、自分そのものにノーを突きつけ続ける行為でもあった。私はそのままではダメなのであった。だからこそいろんなものを買って補い、整えねばならなかった。そうしなければ今も将来も悲惨なことになる。ずっとそう信じて疑わなかった。

 でも、そんなことはなかったのだ。

 画期的な商品など何も買わなくとも、自分の体はちゃんと機能している。もちろん急に美人になったりするわけじゃないが、体は体で精一杯ちゃんと頑張っているのである。

 ほんの少し気を配ってさえあげれば、ちゃんと健やかな状態で、丸く収まるようにできているのだ。自分は自分のままでよかったのである。足りないものなんて何もなかったのだ。

 そんなこと、ずっと考えてもみなかった。

 自分は自分のままじゃ駄目なんだ、何かが足りないんだと思ってきた。

 そうじゃなかったんだよ。

 そう思うとちょっと涙でも出てきそうな思いである。


稲垣 えみ子(いながき えみこ)Emiko Inagaki フリーランサー
1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。