A君の野球帽と、第三者委員会による報告書(写真:遺族提供)

 2012年7月25日に県立岡山操山高校(岡山市)の野球部マネージャーだった2年の男子生徒A君(当時16)が自殺した問題。

 岡山県教育委員会は6月9日、同教委が設置した第三者委員会が「自殺は監督(顧問)の叱責が原因。教員という立場を利用したハラスメントであったとも言える」とする報告書の全文を公開した。

 遺族からの長年の要請を受け、亡くなって6年後の2018年に第三者委員会を設けたものの、すでに社会人になった生徒たちを追跡しての調査は容易ではない。原因究明までさらに3年を要した。

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 今回、遺族が望んだ、監督による叱責と自殺の因果関係が認定された。そして9年目の真実が報告書という形で、白日のもとにさらされた。

 しかし、遺族にとって一区切りかと思いきや実はそうではない。筆者のインタビューを受けたA君の両親は「(県教委への)不信感は募るばかりだ」と顔を曇らせた。

「今年3月下旬に報告書の概要が発表され、学校、県教委から詳しい説明を受けたいと伝えたが、2カ月以上経っても正式な説明はなく、謝罪や関係者への処分報告もない。私たちからすれば、(県教委は)報告書を公開しただけ。事実を受け入れていない気がする。私たち遺族はいつまで苦しまなくてはいけないのか」

 こう言って、父親はうなだれた。

 県教委が遺族に「事実を受け入れていない」と感じさせてしまうのはなぜなのか。まずは報告書に従って、経緯を振り返ってみたい。

報告書で明らかになった驚くべき経緯

 当時の顧問は部員の人格を否定するような「死ね」「帰れ」などの発言があるうえ、感情的になって怒鳴ることが多かった。態度が気に入らないとしてパイプ椅子を振り上げるなど、体罰やパワハラ行為を繰り返していた。

 A君は暴言指導に苦しみながらも、1年2学期の野球部日誌に「自分は無意味な存在だった。自分はチームにとって存在価値がないので、これからはチームの役に立つよう頑張りたい」と書いている。ところが、3学期にあたる2012年2月、野球部日誌に「もう自分の存在価値も目標もわからなくなった」と記述、練習を休む日が出てきた。

 2年生になった6月には、顧問から捕球できないところにばかりノックされ「声を出せ」と怒鳴られた。さらに「いらんわ。おまえなんか制服に着替えて帰れ」「ベンチにも入るな」と叱責され、練習試合2試合を一塁側のバックネット裏で見るしかなかった。その日以降も「2年生なのに、そんなことをしていいのか」「ルールを知らん三塁じゃから、誰かルールを教えちゃれ」などと罵倒が続いた。

2012年2月6日にA君が書いた部日誌

 A君は「もう耐えられない」と一度退部。退部を申し出た際も「夏の大会前の3年生の気持ちがわからないのか。チームの士気が下がる」と叱られている。

 しかし、同級生から野球部復帰を誘われるなか、3年生の引退とともに部にマネージャーがいなくなることもあって、マネージャーとして復部。顧問から「1回辞めたんじゃから、覚悟はできとるんじゃろうな」と威嚇するような態度をとられたものの、7月23日に復帰した。

 その日のミーティングでは「マネージャーなら自分から気づいて板書くらいしろ、それぐらい気遣いができんとマネージャーじゃねえで」「マネージャーなら、お前が書けや。マネージャーだったら、そんくらいせーや」と強い口調で叱責された。翌日の練習では「男のマネージャーなのだから声掛けしろ」などと怒鳴られたり、ノックの球出しのタイミングが悪いと怒られたりした。

野球部復帰3日目に起きた”事件”

 復帰3日目の25日。猛暑の練習で「マネージャーなら声を出せ!声を出さなかったらマネージャーの存在価値はねえんじゃ。元選手ならわかろうが」と怒鳴られた。足をつった1年生部員を介抱したが、氷を持ってくるのが遅いとして「マネージャーだったら対応しろ」などときつく叱られもした。

 この後、顧問とA君との間で小さなすれ違いが起きる。他の部員が体調不良を訴えたため、顧問は氷を持ってこさせようとA君の名前を何回も大声で叫んだが、部室の清掃をしていたため気づかなかった。

 練習後、顧問から炎天下のグラウンドに残され、「あのとき、何をしよったんだ」「聞きよるじゃろうが!」と大声で問い詰められた。だが、A君は黙っていた。何も答えないことに腹を立てた顧問に「熱中症で倒れた部員がいたら氷の用意をせい!」「他の(部の)マネージャーにしてもらっとるがな!」「部室におっても外の様子は気にしとけ!」などと怒鳴られ続けた。

 学校を出た帰り際「体調不良者が出て大変じゃけど、これからもマネージャー頼むわ」と声をかけた同級生に対し、「もう俺はマネージャーじゃない。存在してるだけだ」と返答した。その数時間後、A君は命を絶った。

 操山高校のPTA会長だった男性は、自殺から8カ月近く経った2013年2月の新聞報道で事実の詳細を知り、初めて遺族と対面。「事件の重大性とPTAとして遺族に寄り添う必要性を感じた」という元PTA会長は同年3月、遺族とともに県教委と面会した。

 その際に生徒指導推進参事(県警からの出向者)が言った「調査委員会を立ち上げても、(自殺と顧問の指導との)因果関係はわからんよ」という言葉を脅しのように感じたそうだ。

 一周忌直後の2013年8月、顧問は当時の校長と前出の元PTA会長に促され、一度だけ遺族と対面した。だが、顧問は話の途中で「あなたの考えは間違ってる、あなたの表現は違うとすべて言われたら、すべて違うんです。私自身も多分ここにいないほうがいいんです、多分。もう、もう、はい、わかりました!」と声を荒らげてキレてしまい、遺族への謝罪の場とはならなかった。

 その後顧問は操山高校に置かれたまま、通信制教員にシフト。軟式野球部の監督に就任した。

 A君の三回忌法要が営まれた2014年7月、顧問率いる軟式野球部が全国高校定時制通信制軟式野球大会東中国予選を突破し、本大会出場を決めたニュースが地元紙を飾った。顧問は何の処分も受けず、教員を続けている。

第三者委員会設置を拒み続けた、県教育委員会

 一方の県教委は、遺族が求める第三者委員会設置を拒み続け、遺族との調整もついていないなか、「自殺予防と発生時対応マニュアル」を操山高校での自殺問題を受け作成したと2013年10月に地元紙で公表した。

 A君の父親は「そうやって論点をずらす姿勢は、ずっと変わらない」と不信感を隠さない。

「今の教育長も、子どもの気持ちに気づける環境整備をする、子どもの悩みを聞くと言う。そうではなくて、そういう気持ちにした先生が悪かったと原因を探らなければ、学校や部活動での暴言やパワハラはなくならないはずだ」

 運動部活動の顧問による暴言やパワハラを「暴力」ととらえない風潮は、今も日本の社会では根深い。

 2018年に自死した岩手の県立高校バレーボール部員も、今年1月に亡くなった沖縄の県立高校の運動部員も、顧問の暴言や無視など理不尽な扱いがその要因だ。両方ともA君のように叩く、蹴るといった有形暴力は受けていない。どの子もみんな、パワハラという教員の立場を利用した「いじめ」を受けて亡くなったと解釈できる。

 亡くなったA君が小学6年時に書いた作文。「建築士になりたい」と将来の夢を綴っている(写真:遺族提供)

 そこで思い浮かぶのは、A君が顧問から投げつけられた「存在価値はない」という言葉だ。上述した報告書にA君の言葉で「存在価値」「存在」が出てくる。顧問が発した言葉の刃に16歳が敏感に反応していることがわかる。

 顧問や生徒指導推進参事の言葉に対する事実確認等を岡山県教育委員会へ申し込むと、岡山県教育庁教育政策課より「ご遺族から求められている詳しい説明に向け、現在、ご遺族と調整を続けており、引き続き真摯に対応していきたいと考えているため、当該教諭も含め、現段階で取材をお受けすることは控えたい」と返事があった。

 そのことを遺族に伝えると「ほとんど進展のない調整を言い訳にしないでほしい。息子の死後から、県教委に真摯に対応いただいている印象はありません」と父親は顔をゆがめた。

 当時、県教委との面会に同席した元PTA会長は「(県教委は)亡くなった生徒の命より、自分たちの立場を守っているように見えた。だから、いまだに遺族にとって誠意のある謝罪もない。自らを省みて変わろうとしていない」とあきれ果てた様子で話した。

なぜ遺族への謝罪も、教員の処分もないのか

 とはいえ、ほかの自治体でも遺族への十分な説明や謝罪、教員の処分を行わないまま、一足飛びに、再発防止策の策定に話を変えてしまうケースが少なくない。

 その背景として、一般社団法人「ここから未来」理事で指導死に詳しい武田さち子さんは教員からの「訴訟リスク」を挙げる。

「教員を処分した教育委員会が、その教員から処分不当で訴えられるケースも少なくないため、簡単に実行できない。近年、文科省が教員の(児童生徒に対する)わいせつ行為を原則として懲戒免職にするとしたように、パワハラ事案に関しても処分基準を国がつくるべきだ。ただ、大阪や兵庫などで適切に処分する自治体も出てきているので、参考にしてほしい」

 体罰根絶宣言から8年。いまだ日本のスポーツ界や部活動で暴力やパワハラが蔓延する理由のひとつは、加害者の責任がほとんど問われてこなかったことが挙げられる。

 その意味で、説明責任(アカウンタビリティ)の向上を図りつつ、本格的なパワハラ防止に着手すべきだ。関係者は対症療法より原因療法に重心を移し、真実と向き合ってほしい。そうしなければ、子どもの命は永遠に守れない。


島沢 優子(しまざわ ゆうこ)Yuko Simazawaフリーライター
日本文藝家協会会員。筑波大学卒業後、広告代理店勤務、英国留学を経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。主に週刊誌『AERA』やネットニュースで、スポーツや教育関係等をフィールドに執筆。著書に『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』(カンゼン)、『部活があぶない』(講談社現代新書)、『左手一本のシュート 夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』(小学館)など多数。