小室佳代さんと眞子さま

記事に掲載されていた発言は、どれも佳代さんらしいと感じました。

 彼女はいろいろ考えるというよりも、思い立ったら即行動といったタイプで、それが強み。ときには失敗して周囲から誤解されることもあると思います。

 圭くんをバイオリンや絵画教室に通わせたのも、とりあえずクリエイティブな分野に触れさせようと考えたのでしょう」

 そう話すのは、小室圭さんとその母親・佳代さんと交流のあったAさん。

世間に衝撃を与えた“母”の告白

“記事”とは、6月下旬に発売の『週刊文春WOMAN』に掲載された《小室佳代さん 「密着取材」一年》と題されたスクープ記事のこと。

 沈黙を守り続けてきた佳代さんが初めてメディアに口を開き、圭さんの子育てや現在の心境、金銭トラブル、眞子さまへの思いなどを語り、その肉声は世間を驚かせた。
《息子は全部自分で決めてやるタイプなんです。中学でインターナショナルスクールに進学することも自分で決めました》

 と、東京都品川区にある『カナディアン・インターナショナルスクール』に圭さんが中学から入学した経緯を明かした佳代さん。あくまで息子が進路を決めたというのだ。

『週刊文春WOMAN』に掲載された6ページにも及ぶ佳代さんの告白は世間に衝撃を与えた

 圭さんが通っていた『国立音楽大学附属小学校』は、音楽の道を志す子どもが多く、自然と留学を視野に入れる家庭も多いという。

 周囲の影響もあって、圭さんは自分の意思でインターを希望したのだろうか─。

「いやいや、圭くんは佳代さんの“言いなり”でしたよ」

 圭さんが小学生のころ、小室家の行きつけだった飲食店のオーナーはそう証言する。

「お店に来ると、佳代さんが旦那さんと圭くんの食べ物や飲み物のメニューを全部勝手に決めちゃうんです。圭くんはもちろん、旦那さんも何も言わない。というか、旦那さんの声を聞いたことがないと思うほど、佳代さんが主導権を握っている家族でした。

 佳代さんは一時期働いていた自然食品店のお菓子を、私の店で売ってほしいと言ってきたり、そのお店で雇っている障害者の方をうちの店でも雇ってほしいと頼んできて困りました。彼女はとにかく、自己中心的な方なのだと思いました」(飲食店オーナー)

 佳代さんの元婚約者も以前、このような“自己中”エピソードを明かしていた。

「お正月に佳代さんと圭くんが私の実家に挨拶に来られました。私の母親はおせち料理を出したのですが、佳代さんは断りもなく好きな食材を勝手に取り分けて“圭ちゃん、これ食べなさい”と。それを見た母は後日、“あの振る舞いはどうなのかしら……”と不信感を口にしていました」

 佳代さんは『文春WOMAN』で子育てに関しては、

《“マザコン”“教育ママ”だなんて書かれたりもしましたよね。五十年生きてきて、初めて言われました。どこかの記事には私が“うちの息子はバイオリンの天才です”と吹聴していたなんて書かれていましたけど、あの子、全然下手ですからね(笑)》

3歳から小学校高学年までバイオリンを習った圭さん。両親の友人の結婚式で演奏した経験も

 と、これまで報じられてきたエピソードを否定したのだが……。

「バイオリン教室の先生から“圭が天才だとほめられた”と佳代さんは舞い上がっていましたよ。典型的な“親バカ”に見えました。そのときは、うちのホールケーキを買って先生のところに持って行ったはずでしたが……」(同・飲食店オーナー)

加速する“母子密着”

 '02年に圭さんの父親・敏勝さんが自ら命を絶った後は、シングルマザーとして歩んできた佳代さん。加速していく“母子密着”ぶりを目撃していた小室家を知るBさんは次のように話す。

「圭くんが“僕がついているから大丈夫だよ”と言ってくれたと、佳代さんはうれしそうに話していました。圭くんは『湘南江の島 海の王子』の1人に就任していたのですが、そのイベント活動後、彼だけは“お母さんが待っているから先に帰る”と同期たちとは別に帰っていて、大学生の男の子にしては珍しいなって。

「湘南江の島海の王子」に決定した直後の決めポーズ('10年7月)

 佳代さんは“圭ちゃんがいないと生きていけない”と常々話していました。2人は外食や買い物、美容院に行くときも一緒。交差点での信号待ちでも“圭ちゃん、下がって!”と過剰なほどに彼を守り、毎朝、出勤する際も自宅の最寄り駅で別れるときに、ぎゅっとハグしているのをよく見かけました」

 今回の佳代さんが吐露した心境で衝撃的だったのが“自殺”をほのめかす次の発言。

《いつ死んでもいいと思うこともありました。明日死のう、と。今だってそう思うことはあります》

 自分が抱えてしまった金銭問題が原因で、息子の縁談を延期させ続けている罪悪感に苛まれているのだろうか。

 前出のAさんは、この発言の意図をくむ。

芸術家肌の佳代さんは、“不思議な話”にも関心が強い方でした。あるときには“夫の霊が目の前に現れて、ハグしてくれたのよ”と。

 世間では、旦那さんに冷たいイメージもあるようですが、旦那さんのことを愛していたのは間違いありません。

'01年初夏、軽井沢で撮影された小室さんと父・敏勝さんの1枚。翌年3月に敏勝さんは亡くなった

 気丈に振る舞い言葉遣いも上品ですが、手相に強い興味を持つなど、ご自身の運命に苦悩され、不安定さを抱えている一面もありました。 

 ですので、今回の記事にある“いつ死んでもいいと思った”のは本音だと思います

眞子さまに憧れ「大尊敬」

『文春WOMAN』の記者が眞子さまについて言及すると、

《お相手の方はとても立派な方で。曲がったことや嘘はお嫌いで真実のみを信じて、ご自身の意見もしっかり持っていらっしゃる。僭越ながら同じ女性として尊敬……大尊敬しています》

 と、熱弁を振るっていた。

「眞子さまのことを“同じ女性として大尊敬しています”という発言は、佳代さんが自立した女性に憧れているからだと思いました。

 というのも、ご自身で“私はアダルトチルドレンだから”とお話ししていたことがあったからです。意見を周囲にしっかり伝えることのできる、自分にないものを持っている方に尊敬の念を抱いているのだと思います」(佳代さんの知人・Cさん)

『相模女子大学短期大学部』を卒業後、間もなくして敏勝さんと結婚した佳代さんは異性との付き合いや社会人としての経験が乏しく、劣等感のようなものを抱えているのかもしれない。

'90年ごろの佳代さんと敏勝さん(右端)の結婚式での写真。左のふたりは佳代さんのご両親で、父の国光さんはご存命

 眞子さまのように公務を堂々とこなされ、男性と対等にしっかりと自分の意見を持っている“芯のある女性”に、佳代さんは憧れの眼差しを向けているのだろう。

「短大を卒業後、就職せずに専業主婦になった彼女は“女子校育ちだから男性のことは違う生き物みたいでよくわからない”と話していました。

 旦那さんが亡くなった後、お疲れだったのか、立ち寄ったホテルのロビーでうとうと眠ってしまい、従業員から“ここで寝ないでください”と注意されたことがあったそう。

 そのことに対して“おじさんは注意されないのに、女性差別よね”と話していた佳代さんが印象に残っています。

 過剰反応だと思いましたが、彼女としては自立して道を切り開ける男性と対等な女性になりたいという気持ちがあったのではないかと思います」(同・Cさん)

 佳代さんの初告白は、混迷を極める愛息の結婚問題にどんな影響を与えるのか─。