作画/大沖(漫画家)

 2021年7月、東京都で再び新型コロナウイルス感染者が再び増加。12日、4回目の緊急事態宣言が発令されました。ワクチンも、まだ希望者全員が接種できる状態ではありません。

 前回の緊急事態宣言が発令中だった今年5月、新型コロナを発症したときの様子を綴ったとある4コマ漫画が、ツイッターで大反響を巻き起こしました。描いたのは37歳の人気漫画家・大沖(だいおき)さんです

 同年3月、感染者数が比較的落ち着いていた時期、当時36歳だったフリーライター・若林理央(筆者)も、新型コロナを発症しました。「どうして自分が」。大沖さんも若林も、そう思ったのには理由があります。

 今回、同年代の漫画家とフリーライターによる“新型コロナ対談”が実現。発症前の生活、発症後の症状、隔離生活中に仕事はできたかなど、詳しくお話をさせていただきました。

じゅうぶんな予防をしていても

若林:昨年から、新型コロナ陽性になった人を「予防していなかったのでは?」と決めつける風潮があると感じていて。今年3月に自分が発症したとき「(予防をしなかっただなんて、)そんなことない」と改めて実感しました。5月の大沖さんのツイートには、発症前、どれほど予防をしていたかが詳しく描かれていて、経験者として、とてもありがたかったです。

大沖さんが新型コロナを発症したときの経験を描いた漫画“発症編”の1コマ ※記事中の画像をクリックすると全編が読める大沖さんのツイートにジャンプします

大沖:私は漫画家なので、もともと自宅にいることがほとんどなんです。打ち合わせも電話だし、外出といえば、マスクをして生活必需品を買いに行くぐらい。店の出入り口にある消毒液は必ず使っていたし、エアコン工事の業者さんが来たときも、お互いにマスクをしていました。だから、どこで感染したのか全然わかりませんでした。発症前、若林さんはどんな感じでしたか?

若林:私はどうしても出かけないといけないときは、2時間ごとにトイレで手を洗って消毒液をかけていました。同居している夫も感染したのですが、フルリモート勤務に切り替えていたので、大沖さんと同じで、感染経路は今もわかりません。発症した日、大沖さんは寒気がしたと漫画で描かれていましたね。それはいつですか?

大沖:5月7日(金)です。部屋を換気していたからだと思って寝て、起きたら全身に関節痛がありました。過去に経験したインフルエンザに近い症状でしたね。

若林:私の発症日はその約2か月前の3月14日(日)で、最初は倦怠感と咳だけでした。次の日、38.8℃の高熱が出ました。

大沖:私は平熱が35.8℃、発症2日目は36.5℃でした。

若林:同年代で近い時期に発症しても、症状や発症後の状態ってほんとに違いますね。

大沖:「こんな症状が出たらコロナ」と、一概には言えないんですよね。

症状は人によってこんなに違う

若林:発症後、「食べ物の味はする?」とよく聞かれたのですが、私は発症してから回復するまでずっと、味覚と嗅覚は通常どおりでした。

大沖:私も、発症日からしばらくはいつもどおり。発症してから6日たったころに鼻がツンとして、その2日後くらい、ホテル療養中に支給された昼食のカレーを食べたときに、ほとんどにおいが感じられないことに気づきました。さらに、その日の夕食は完全ににおいがしませんでした。「塩辛い」とか「甘い」とかはわかったので味覚はあるはずなのですが、においの強い食事は味もほとんど感じられなくて、療養が解除された後も症状が続きました。

若林:今は治りましたか?

大沖:はい。鼻がツンとしたのは1週間くらいで治りました。嗅覚異常が治ったのは、コロナ発症から1か月たったころですね。6月初旬に自宅でカレーパンを食べたら、すごくにおいがしてほっとしました。今は、ほぼ回復しています。

若林:長い間、においが感じられないのはつらかったですよね……。私の場合、症状がいちばんひどかったのは、発症の翌日でした。朝に激しい咳で飛び起きて熱を測ると38.8℃。すぐに発熱センターと病院に電話して受診、PCR検査を受けたんですが、夜に体調が悪化し、関節痛と嘔吐がひどくて何も食べられない状態でした。発熱も続いていたので、救急外来のある近隣の病院4つに電話をかけたのですが、「高熱の患者は受け入れられない」もしくは「ベッドの空きがない」と言われて行けませんでした

大沖:陽性だとわかったのはその次の日ですか?

若林:はい、翌朝です。前日のPCR検査の結果が出る前に、医師の判断で抗原検査を受け、すぐに陽性だと判明しました。その日は3月16日で、東京都の新規感染者数が300人ちょうどだったのを覚えています。大沖さんが発症した5月上旬は、感染者数が再び増えていた時期ですよね。発症後はスムーズに受診できましたか?

大沖:発症翌日は土曜で、仮眠をとっても関節痛が治らなくて。土曜の夜は病院も閉まっているし発熱もなかったので寝て、日曜、まだ関節が痛かったので発熱センターに電話すると「高熱がないなら月曜日に受診を」と勧められました。

若林:「もしかして」という気持ちはありましたか?

大沖:はい。ネットなどで調べて、熱がなくても陽性の人がいることを知ったので、知人に「食事を買って玄関先に置いてほしい」とお願いしました

若林:同じくです。私は近所に住む妹に頼みました。ただ、陽性だとわかってからは早かったです。診断を受けた3時間後には保健所から電話があり、30分ほど話して病院入院が決定。翌日から入院しました

大沖さんが新型コロナを発症したときの経験を描いた漫画“療養編”の1コマ ※記事中の画像をクリックすると全編が読める大沖さんのツイートにジャンプします

療養中は仕事ができないほど苦しかった

大沖:私の場合、月曜に受診しPCR検査を受けて、次の日に電話で陽性だと言われました。それが5月11日です。

若林:調べたところ、その日の東京都の新規感染者数は925人 。私が陽性と診断された日の3倍以上の数です。保健所からの電話は、その日のうちにありましたか?

大沖:ありましたが短時間で、発熱があるかなどを聞かれました。たぶん、病院への入院が必要か判断するためだったと思います。詳しいヒアリングは次の日でした。

若林:症状に変化はありましたか?

大沖:そのころから、運動したときのような熱っぽさを肺に感じるようになりました。宿泊療養ホテルに入所したのはその2日後の金曜からです。

若林:ホテル療養は私が経験した病院療養と異なることが多いと思うので、気になります。

大沖:施設によって違うかもしれませんが、着いてすぐ、名前と部屋番号の書かれた大きな袋を受け取って、自分で部屋に行きました袋の中に同意書や説明書、ペン、医師や看護師と連絡をとるためのガラケー、毎日の血中酸素濃度や体温を入力するためのiPad、体温計、パルスオキシメーター(血中酸素濃度を測る機械)が入っていて。部屋に着いてから、今の状態を電話とiPadで伝えました。

若林:入所日に人と接触したのは、袋を受け取るときだけですか?

大沖:そうです。他のやりとりは、部屋に入ってから電話で行いました。毎日、iPadに血中酸素濃度と体温の数値、それと「咳はありますか」といったチェック項目を入力します。その後に医師か看護師から電話がかかってきて、「熱が下がっていますね」とか「新たな症状は?」といった話をしました。

若林:私の入院した病院は1日3回、看護師が病院食を持ってきてくれました。大沖さんはどのように食事を?

大沖:あらかじめ指定された時間にロビーに行くと、お弁当とマスクが入った袋と、自由にもらえるようになっている水やタオル、ペーパー類があるんです。必要なものを部屋に持ち帰ってお弁当を食べていました。病院は看護師が様子を見に来るのですか?

若林:私の入院先は看護師が頻繁に来てくれて、入院した日と退院前日は、医師から対面で直接、説明も受けました。ただ、夫が入院した病院はナースコールや電話でのやりとりがほとんどだったみたいです。不安だったのは仕事ですね……。私はフリーライターなので、仕事をしないと収入がない。病室でパソコンに向き合っても、すぐに咳が止まらなくなってしまって。

大沖:私も入所の際、仕事道具を持って行きました。次の漫画の構想を練ろうと思っていたので、ネームやラフを描きたくて。ただ、体温と血中酸素濃度は正常値だったんですが、息苦しさとだるさがあったので寝ていました。「何事もなく退所できたらいいな」と考えていましたね。

若林:わかります。私も“仕事より治すほうを優先しないと入院が長引くぞ”と思い、仕事をもらっている媒体に相談すると、みなさん「気にしないで今は休んでください」と気遣ってくださって助かりました。また、私は入院中にかなり症状がよくなったのもあって、入院は3月17日から23日までの7日間で済みました。大沖さんの療養期間は?

大沖:5月14日から17日までの4日間です。退所後も症状は残っていましたが、療養中よりもよくなっていたので、仕事はすぐに再開しました。ただ、嗅覚異常は1か月続きましたね。

若林:人によりますが、退院もしくは施設退所=完治したとは限らないんですよね。私の場合は、退院後も咳が1か月続きました。

日本は医療の仕組みがしっかりしている

若林:自分自身が陽性になって、新型コロナが他人事ではなくなりました。医療従事者の方々が奮闘されている姿を目の当たりにしたことも大きくて。大沖さんは、発症してから気づいたことはありますか?

大沖:日本は医療の仕組みがしっかりしているな、と実感しました。陽性だとわかってからの流れがスムーズですよね。

若林:2018年のはじめ、海外旅行中に別の病気で入院したんです。入院中ずっと苦しくて、それを英語で必死に伝えても看護師に舌打ちされるし、間違いがあっても謝ってもらえないし。帰国後、日本の病院に行ったら一気にストレスがなくなって、安心感が押し寄せてきました。だから今回、新型コロナで入院して、ますます日本の医療や医療従事者ってすごいなと思いました。

大沖:私が発症したとき、感染が拡大していたにも関わらずスムーズに療養できたのはそのおかげだと思うし、感謝しています。

若林:陽性患者が迅速に療養するためには、個々で予防をして、感染者を増やさないようにすることが大切ですよね。ワクチンもまだ希望者全員が接種できる段階ではないようですし、東京都は新規感染者がまたジワジワ増えて、4回目の緊急事態宣言が発令されました。

大沖:予防、大事ですよね。あと、自分と同じ場所にいた人が陽性になったら、すぐに情報共有ができるようになるといいなと思っています。一方で、どんなに予防していても、かかるときにはかかってしまうんですよね。

若林:大沖さんも私も、予防に力を入れていたのに感染してしまいました。周囲の理解も必要ですよね。大沖さんは、新型コロナの経験を出版するご予定はありますか?

大沖:今のところないのですが、機会があれば漫画にしようと思っています。一例として参考になればと。

若林:いろいろな人の役に立つと思います。大沖さんの経験をもっといろいろな人に知ってほしいという気持ちが、今回の対談で強まりました。

(取材・文/若林理央)


【PROFILE】
大沖(だいおき) ◎漫画家。主な作品に『はるみねーしょん』 『ひらめきはつめちゃん』『わくわくろっこモーション』『たのしいたのししま』 『小学生半沢直樹くん』などがある。ツイッター→@daioki

若林理央(わかばやし・りお) ◎読書好きのフリーライター。大阪府出身、東京都在住。書評やコラム、取材記事を執筆している。掲載媒体は『ダ・ヴィンチニュース』『好書好日』『70seeds』など。ツイッター→@momojaponaise