小山田圭吾

 東京オリンピック・パラリンピックの開会式で楽曲担当であったミュージシャン、コーネリアスこと小山田圭吾氏(52)が辞任した。小山田氏が、障害を持つ同級生へのいじめ行為を明かした過去の雑誌のインタビュー記事がネット上で拡散、まるで犯罪自慢や武勇伝のように語っていたとして批判が集まっていた。

 いじめは、被害に遭ったときだけでなく、心的外傷後ストレス障害(PTSD)として、その後も長期にわたって被害者を苦しめることがある。つらい記憶が突然よみがえる「フラッシュバック」のほか、身体や精神が自分から切り離された感覚に陥ったり、特定の記憶が抜け落ちたりする「解離」の症状を伴うこともある。

 こうした「いじめ後遺症」について、ひきこもり問題の第一人者である筑波大学教授の斎藤環氏(精神科医)は、1990年代から注目していたという。

「診療や調査・研究をする中で、中学・高校時代に受けたいじめが起点になって成人後もひきこもり、ずっと苦しんでいる人たちがいました。自分の意思とは無関係につらい記憶がよみがえったり、不眠になったりする症状が出ていたのです。いじめによるトラウマの影響と思われます」

被害後も苦しめる深刻なPTSD

 中学生のころにいじめに遭い、今でもPTSDに苦しんでいるひとりが佐藤和威さん(22)だ。いじめの加害者とその保護者、通っていた中学校の設置者である佐賀県鳥栖市を訴えている。

一審判決後、和威さんは実名・顔出しで記者会見を行った

 '19年12月の佐賀地裁、今年7月12日の福岡高裁の判決では、ともに加害者たちに一定の責任を認める一方で、市の責任については認めなかった。

 また高裁では、いじめによるPTSDについても、「自然災害または人工災害、激しい事故、他人の変死の目撃、拷問、テロリズム、強姦または他の犯罪の犠牲」の要件を満たさないとして、いじめとの関連性が認定されなかった。佐賀地裁の判決では認められていたため、高裁で判断が後退した形だ。

 和威さんは佐賀地裁の判決後、実名を公表したうえで“顔出し”をした。当初は匿名での会見を予定していたが、「当時の自分のためだけでなく、報道を見ている、同じような境遇の子のためにも、“前に進む”ってことが伝わればいいと思った」ためだ。PTSDの症状が強い中での決断だった。

 前出・斎藤氏は言う。

「トラウマは、生命の危機を感じる場面で生じると言われ、“いじめはそこまでのことではない”と主張する人たちもいます。しかし、いじめられた本人にとっては死活問題で、危機的な場面です」

 '19年11月、筆者が和威さんを取材した際、被害現場を案内してくれた。現場周辺を回っていると、和威さんは「黒く見える」「黒い感じじゃなく、黒いんです。でも、なかなか伝わらないですよね」と話し始めた。筆者には、どこにでもある郊外の風景に見える。通常の感覚ではなかなか理解できないほどストレスがかかっている状態がうかがえる。

 また同じころ、同意を得て和威さんの主治医(当時)に話を聞いたが、治療を始めた当時の様子をこう語っている。

「目はキョロキョロし、視線が合わず、音に対しても敏感でした。最初は、あえていじめのことは聞かず症状をみていましたが、まったくしゃべれないこともありましたね。身体や心の痛みを回避するために、(現実感がなく白昼夢を見ているような状態に陥る)解離症状が出ていたのです。いじめを受けていた当時の記憶が生々しくよみがえるフラッシュバックも起こしていました」

 7月の福岡高裁の判決後、比較的冷静を保っていたものの、和威さんは「僕がこうやって(解離せずに)意識があるうちはいいんですけど、問題はそっちが入った(心身が自分から切り離されたように感じられる解離状態になった)とき、自分でも制御できない。そのためには、申し訳ないけど、周囲に迷惑をかけると思う」と話していた。それほどに、いじめ後遺症によるPTSDの症状が深刻なのだ。

 被害現場を案内してもらった際のエピソードに戻ろう。和威さんから最初に案内されたのは、農道だった。この道を加害者は“うさぎ狩りロード”と呼んでいた。裁判では、加害生徒は教室内や屋外で和威さんを「エアガンで撃ったことがある」と認定している。

 いじめに遭っていた当時、市内にあるスーパー『トライアル』(スーパーセンタートライアル みやき店)の近くでも、和威さんを走らせて、後ろからエアガンで撃つということが繰り返されていた。その現場へ案内してもらう途中、和威さんは「風景を見たくない」と言い、ずっと目をつぶっていた。

「いじめが始まった4月のころは、毎日のようにエアガンで撃たれていたんです。とにかく逃げました。のちに、(加害者がゲームセンターで遊ぶために)行く場所が『フレスポ』(ショッピングセンターフレスポ鳥栖)に変わったんですが、そのときには車の通りが激しい、人目に付く場所でもエアガンで撃たれていました」

 和威さんが耐え続けたのは、「家族に危害を加える」と加害者におどされていたからだ。

「エアガンの弾は痛いんですが、家族が危険にさらされると考え、自分はどうなってもいいと思っていました」

 フレスポには、ゲームセンターがあり、両替機がある。和威さんは「その付近で、複数の加害者から現金を奪われた。まるで(自分が)ATMのようで、みんながお金を取って行ったんです」と話してくれた。

 屋上の駐車場に着いたとき、和威さんは「すごい、吐きそう」と言い出したため車内で待機することにし、ゲームセンターには父親が案内してくれた。

加害者には武勇伝、被害者には進行形の恥

 和威さんが被害に遭っていたのと同じ時期に、同じ学校に通っていた、当時中学2年生の女子生徒Aさん(20代)も別の加害者からいじめを受けていた。

「夏ごろからクラスメイトの男子から執拗な嫌がらせが始まったんです。最初は頭を叩かれていたのが、徐々にエスカレートして、私の筆箱に入っていたカッターナイフを勝手に取り出し、それを私に向けて追いかけ回したりしました」

 Aさんは担任にいじめ行為を訴えた。しかし、十分な対応をされたと感じていない。

「担任には“加害者の親を呼んで話しました。謝っていたよ”と言われました。しかし、私からすれば、本当に親を呼び出したのか、謝ったとしても、謝る相手は私では? と思い、今でもその話は信用していません。加害生徒に謝るように促していましたが、謝罪されたことはありません」

 和威さんの場合も、学校の対応が十分だったとはいいがたい。いじめがようやく明るみになったのは、被害を受け始めてから半年後のことだ。学校は聞き取り調査を始め、'13年3月、鳥栖市教育委員会は保護者説明会と記者会見で、いじめを認めて「犯罪に等しい」と話していた。

 しかし、裁判になると、市側はいじめを否定する主張をしてきた。前述のとおり、一審、二審とも市の責任は認められなかったため、和威さんは最高裁への上告を検討している。

 前出・斎藤氏は、いじめトラウマからの回復に必要なこととして、加害者の謝罪と処罰、そして被害者の納得を挙げる。

「謝罪といっても、いじめた側といじめられた側がお互いに謝ったり、握手をする“喧嘩両成敗”ではダメです。いじめでけがをしていたら、警察の関与を要請すべき。そこまで至らない場合でも、いじめを禁じるルールに違反したならば罰して、そのうえで被害者に謝罪させることです。

 重要なのは、悪いことをすれば罰せられるという明確なルールを設けることです。現状では多くの場合、ルールがあいまいな中で、末端の教師の指導でお茶をにごしています。被害当事者が学校の対応に納得することが必要です。いじめがあった直後の対応が大切なんです。学校や周囲が解決してくれない場合、大人への不信感が生まれます

いじめ後遺症の深刻さを指摘する斎藤環氏。被害者はうつ・自殺のリスクが増すとの研究報告も

「いじめ後遺症」が残ると、PTSDはもちろん、他人と関わることに恐怖感を覚え、大人になってからも生きづらさを抱えて苦しむ人が少なくない。東京大学准教授で精神科医の滝沢龍氏らによる研究では、いじめ被害にあった経験者の「自殺・うつ」の発症リスクは2割高いと指摘されている。

「いじめは、加害者にとっては武勇伝なのかもしれませんが、被害者にとっては現在進行形のスティグマ(恥)です。ただし、回復はできます。新たに少しでも親密な人間関係を築いて、人間不信を上書きすることです」(斎藤氏)


取材・文/渋井哲也 ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。若者の生きづらさ、自殺、いじめ、虐待問題などを中心に取材を重ねている。『学校が子どもを殺すとき』(論作社)ほか著書多数