快進撃を続けるNiziU(上)、公開オーディションブームの先駆けとなったJO1

 昨年、コロナ禍で初のステイホームを体験したわれわれに夢を与えてくれたNiziU。『スッキリ』(日本テレビ系)でオーディションの様子が放送されると、1月の初回から放送ごとに話題を呼び、メンバーを決定する6月の放送回はSNSなどを中心に大反響を呼ぶことに。

 今年に入ってもその勢いは続き、JO1を生み出した『PRODUCE101JAPAN』(TBS系)のシーズン2、AAAのSKY-HIによる『THE FIRST』(『スッキリ』日本テレビ系)も大好評。

 さらにはNiziUを生んだJYPによる男性グループのオーディションも控えている。

 今なぜオーディション番組が求められるのか。

頑張っている人を応援したい、という気持ちが大きくなっていると思います。特に昨年は外出もままならない状況で、10代の女の子たちが次々とミッションをこなしていく姿はなんだか自分も頑張っている気にさせてもらえました」(放送作家)

 続けて、

青田買いという言葉もあるように、人は自分が見つけた、育てたという達成感を得たいという思いがある。だからオーディション番組はいつの時代も視聴者の注目を集めるのではないでしょうか」(同)

 まだまだこのブームは続きそうだが、過去のオーディション番組にも大注目を集めたものがある。伝説のオーディション番組を振り返る。

トラブルも多かった『ASAYAN』

「いちばん多く有名人を輩出したのは何といっても『ASAYAN』ではないでしょうか。13歳の後藤真希ちゃんがモーニング娘。の3期オーディションに登場したときに素人の中学生とは思えないオーラに驚いたことを覚えています」(制作会社スタッフ、以下同)

 日曜の夜9時からテレビ東京系で放送されていた『ASAYAN』はもともと『浅草橋ヤング洋品店』という番組だったが、'95年にリニューアルされた。

「当初は2部構成で、前半は浅草キッドがメイン司会の『浅ヤン』、後半はメイン司会者ナインティナインの小室哲哉プロデュースオーディションコーナー『コムロギャルソン』という流れでした。'96年に総合演出のテリー伊藤さんの降板を機に『コムロギャルソン』が拡大し、夢のオーディションバラエティーと変貌。そこからはKABA.ちゃんが在籍していたdosなどを生み出し、'98年からはつんく♂さんが参戦。モーニング娘。が誕生するのです」(同)

モーニング娘。はASAYANの成功を象徴するグループだった

 モーニング娘。はもともと女性ボーカルオーディションの落選組で作られたグループ。そのオーディションに落ちた面々も豪華!

モーニング娘。には倖田來未、しずちゃん(南海キャンディーズ)、木下優樹菜、柏木由紀(AKB48)、若槻千夏など多くの芸能人が落選しています。CHEMISTRYを輩出した男性ボーカルオーディションでは、ATSUSHI、NESMITH(EXILE)が落選しています。

 CHEMISTRYは堂珍ありきで、彼の声に合う相方を探していたようなものですから、実力者のATSUSHIが落選したときは視聴者からブーイングが来ました」(同)

 同番組は大スターを生んだだけではなく演出の面においても多くの伝説を残した。

「川平慈英さんの“いいーんです!”という独特なナレーション、細かいカット割りとテロップに句読点を多用するなど演出面でも新しい風を吹かせました」(同)

 今でも語り継がれる番組だが、トラブルは絶えなかったという。

「どのオーディションかはあえて言いませんが、やっぱり同年代の若い女の子が集まると放送できないことも多かった。ライバルの悪口を吹聴するのは当たり前、スタッフに気に入られようと泊まりがけの撮影では部屋を訪れる子が続出なんてことも。もちろん“商品”に手を出したスタッフはいなかったと記憶していますが」(同)

 番組の裏では熱い蹴落とし合いがあったのだ。そっちを放送してほしかった?

“中3トリオ”を発掘した伝説の番組

 28・1%の視聴率を獲得したお化けオーディション番組といえば、昭和世代なら誰もが知ってる?『スター誕生!』。

「それ以前にも『味の素ホイホイ・ミュージック・スクール』('62年~'65年)などがあったのですが、特定の芸能事務所主導のものでした。スター誕生は、放送作家・作詞家として頭角を現していた阿久悠さんが“本格的な歌手を生み出したい”と企画したもので、事務所の影響を受けずに新人を発掘するというスタイル。スカウトとして各芸能事務所が札を上げて参加者が選ぶというのも新しかったですね。視聴者も一緒に楽しめる番組として認知されていったのです」(当時を知る関係者)

 初回視聴率は約4%だったものの、徐々に右肩上がりになったのは文字どおりスターが誕生していったからだ。

「第1回のグランプリは森昌子さん。その後、桜田淳子さん、山口百恵さんと後に花の中3トリオとなる3人を選び出し、売れたことで勢いがつきました。友達の付き添いで来ていたという小泉今日子さんは無欲で勝利した天才

 中森明菜さんは1度目は落選して2度目の登場でデビューを決めました。当時審査員を務めていた中村泰士さんが明菜さんを見て電流が走ったといい、周囲の反対を押し切って合格させたという有名なエピソードもあります。スタ誕にはまさに原石を視聴者が探すという楽しみがありました」(テレビウォッチャー)

 初代司会者の萩本欽一が合格者が出なかったときに放つ「バンザーイ、なしよ」は当時小中学生の間で流行したという。まさにお茶の間でテレビを楽しむ時代のオーディション番組だったといえよう。そのスター誕生の兄弟番組として生まれたのが、『お笑いスター誕生!!』('80年~'86年)だ。

お笑いスター誕生出身のとんねるず

「とんねるずを輩出したことで有名ですが、若き日の竹中直人さんなども出ていました。また、すでに頭角を現していたダウンタウンやウッチャンナンチャンといった面々も勝ち抜きバトルに出場していました。その勝ち抜きバトルではハイヒールが唯一ダウンタウンに勝ったことを語り草にしています」(同)

 バブル絶頂期だった平成元年に生まれたお化け深夜番組が『三宅裕司のいかすバンド天国』。毎週10組のアマチュアバンドが登場し、5週連続でイカ天キングに選ばれるとメジャーデビューというオーディション番組だったが……。

「尖っている若いロックアーティストが出るうえに深夜の生放送で放送事故はつきものでした。ガールズバンドが“ばかやろー”と叫びながら下半身を露出させたり、出演者が演奏中に失神したり。大人気番組だったにもかかわらずわずか1年で打ち切りになったのは、制作会社のディレクターが麻薬取締法で逮捕され、続けて構成作家も薬物逮捕されるという不祥事が続いたからといわれています」(同)

 どのみち生放送での過激パフォーマンスの連続で打ち切りは時間の問題という噂も。

 これから続々と始まるオーディション番組。あなたも伝説の目撃者になれるかもしれない。

今年、放送されたオーディション番組

『PRODUCE101JAPAN』(シーズン1'19年、シーズン2'21年/TBS系)
'19年に放送・配信された韓国の『PRODUCE101』の日本版。練習生101人から視聴者の投票によって番組に出演する60人が決定し、最終的に11人がグローバルに活躍するボーイズグループとしてデビューする。シーズン1では「JO1」が誕生、シーズン2では「INI」が誕生した。シーズン2ではダンストレーナーのKENZO(DA PUMP)の喜怒哀楽も話題に。

 

『THE FIRST』('21年4月~現在も)
AAAのSKY-HIによるプロデュースオーディション。『スッキリ』内で放送し、Huluで配信している。出場者よりもSKY-HIに目がいくという意見も。

 

『バズるイケメンオーディション』が話題!
最近の応募者の傾向とは?

バズるイケメン募集

 芸能事務所BACSエンターテイメントがバズるイケメン発掘企画を発動! TikTokを審査するという今風のオーディションを開催する山下プロデューサーに昨今のオーディション事情を聞いた。

「以前と比べて変わったなと思ったのは、’90年代だったら似合う似合わないにかかわらずほとんど全員がロン毛で木村拓哉さん風にしていたんです。ですが、今はすでにSNSで似合わない姿を投稿するとフォロワーさんに指摘してもらえるんですよね。それでフォロワーさんの好みに寄せていっているというか。自分を客観的に見られているなと感じますね」

韓国っぽい男子が増えている

 今求められる男子は?

「韓国っぽい男の子が増えていますよね。ガタイがよくて長身の男の子の需要をすごく感じますね。今まではわりと小柄な男の子が多かったですが、時代は男らしい肉体にシフトしている気がします」

 記憶に残っている番組を聞くと、

「オーディション番組といっていいのかわかりませんが、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のダンス甲子園ですね。山本太郎さんなどを輩出した。高校生がダンスを踊るという単純なオーディションだったのですが、当時自分も世代だったので一緒に楽しみました」

 いつの時代も見る人を夢中にさせるコンテンツが人気の秘訣なのだろう。

山下大輔
’11年に男性タレントに特化した芸能事務所BACSエンターテイメント設立。「イケメンといえば」をスローガンに掲げ数々のイケメンコンテンツを発信。
バズるイケメンオーディションについてはこちら http://buzz.number-one.jp