会見に臨んだ渡部建

 7月28日、当時17歳だった少年にわいせつな行為をしたとして、歌舞伎役者の坂東竹之助(本名・柴原永太朗)が逮捕された。

 報道によると、昨年3月13日の夕方、東京都墨田区にある商業施設の「トイレ」で少年にわいせつな行為をしたという。2人はツイッターを通じて出会い、犯行日が初対面だった。容疑者は「間違いない」と容疑を認めている。

 同容疑者はかつて人間国宝の片岡秀太郎さん(故人)の代役に抜擢されたこともある実力の持ち主で、歌舞伎界でも期待されていた人物のひとり。それだけに、このニュースは大きな衝撃を与えることとなった。

 また、この件で注目を集めたのが、「トイレ」が現場だったということ。トイレで“行為”といえば、記憶に新しいのがアンジャッシュ・渡部建の多目的トイレ“ゲス不倫”。今回の報道を受け、ネット上には「あの人の名前を連想してしまう」「またか」と言った声や、「不衛生だし、迷惑だからやめてほしい」というごもっともな意見が。

 なぜ、わざわざ「トイレ」なのかーー。精神科の先生に真剣に聞いてみた。

スリルよりも、いかにバレないか

「ホテル周辺で知人などに目撃されて『そこで何やってるの?』と聞かれたときは、言い訳もしづらい。ましてや芸能人ならなおさら。そのため、できるだけ人目につかない場所であり、何かと言い訳が通用しそうな“商業施設のトイレ”という場所は都合がいいのです」

 そう話すのは、精神科医であり産業医でもある井上智介先生。しかし、いくら言い訳がきくとはいえ、商業施設は多くの人が行き交う場所。その中の多目的トイレ(※現在は“みんなのトイレ”“だれでもトイレ”などに名称変更)ともなれば、障害を持つ人や、赤ちゃんのオムツ替えをするお母さんなど、必要としている人も多く、人の出入りもある。

 バレそうでバレない、彼らはその“スリル”を味わっているようにも思えるが……。

そもそも、そういうことをする人たちには<人目があってリスキーな部分を味わう目的>はなく、どちらかと言えば、いかにリスクがなくバレないようにと、用意周到に頭の中で計算し尽くされていることがほとんどです。

 トイレでの性交渉であれば、ホテルでの行為と違って、パパッと短時間ですぐに性行為に至ることもでき、より簡便に自己の欲求を満たすことができる。

 簡便性を相手の素質に求めるケースも多く、例えば相手も自分より若い人や立場の弱い人、自分の意思でコントロールすることができる人を選びがちです」

 さらに、トイレを選ぶのには、こんな心理的背景も。

「ただ性的欲求を満たすだけではなく、支配欲、優越性の欲求、復讐欲などの欲求も満たすことが目的となっていることも多いです。例えば、トイレはホテルよりも相手の同意を得るのにハードルが高い。そこで同意させることができれば、相手をコントロールできたという支配欲も満たされる。

 ただこういった場合、相手が同意していたとしても、トイレで性処理の道具のように扱われたことが相手の尊厳を踏みにじり、それが怒りに変わって、被害者からの通報・暴露で事件が明るみに出ることも少なくありません」

 当時、渡部の多目的トイレ不倫を報じた週刊文春によると、渡部は女性を呼び出しては15分ほどで行為を済ませ、しまいには1万円を渡していたという。そんな「女性をモノのように扱う」渡部の行為は、相手の女性だけでなく、世の女性たちの怒りを買う形となってしまった。

 しかし、渡部の場合は不倫だったが、今回の歌舞伎役者の件は、れっきとした犯罪。そもそも、人の心理観点から見ても、商業施設のトイレは犯罪に利用されやすい面があるという。

犯罪の機会を減らすためには、(1)領域性(2)監視性(3)抵抗性を高めることが必要と言われていますが、商業施設のトイレは(1)と(2)が低いんです。領域性というのは、いわゆる“入りやすさ”のこと。誰でも利用できるとはいえ、トイレの入り口からさらに男女で別れるようなタイプは、境界線がはっきりしておらず領域性が低い。

 (2)の監視性は“見えやすさ”。商業施設のトイレは奥の方に設置されていることも多く、当然トイレの中には監視カメラもありません。入りにくい、見えにくいという意味では、犯罪の温床となりやすいのです」

なぜ、私たちは許せないのか

渡部健が不貞行為に及んだ「六本木ヒルズの多目的トイレ」

 どちらにせよ、「トイレで」というのはインパクトが強く、好感度が重要となる芸能人ともなれば、そのダメージは計り知れない。渡部に関しては不倫発覚から1年以上経つが、いまだ世間が許す気配は見られない。

「とくに“和をもって尊し”の精神をもつ日本人は、社会の一般的な秩序や道徳観念が外れる行為に対して、かなり冷ややかな視線を送ります。そのため、道徳観念を捨ててまでトイレでの性交渉が出来てしまう鬼畜な人格に対して、気持ち悪さを感じてしまうんだと思います。

 しかし、2人がそうだったとは決して言いきれませんが、もし2人に何かしらの依存性があったのならば、不健全さから『早くやめなくてはいけない』と普段から思っていながら、やめることができず、イラつきや自責の念、葛藤などを感じて苦しんでいた時間もあったことでしょう。そういう意味では、バレたことで“やっとやめることができる”とどこかホッとした気持ちもあるかもしれません」

 欲求のままトイレを「現場」に選んでしまった2人。その悪行は、そう簡単には水に流すことはできなさそうだ。