冨士眞奈美

 女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、親友であり“かわいい弟”でもあった故・石立鉄男さんとの思い出を綴る。

北の富士と飲み仲間だった

 7月場所が幕を閉じた。6場所連続休場だった白鵬の全勝。そんな白鵬にはいつも苦言を呈するものの、軽妙な解説が面白いことでおなじみなのが北の富士さん。

 以前、お気に入りの宇良と炎鵬が顔を合わせたときには、「本妻と彼女の戦いを見る感じかもしれない」なんて表現していて笑っちゃった。

 “現代っ子横綱”と呼ばれた北の富士さんは、土俵を下りても面白くて洒脱な方。現役時代は、バンダナを巻いてハワイで遊んでいたりと話題に事欠かない関取だったけど、私の大親友だったてっちゃん(石立鉄男さん)と飲み仲間だったとか。

 よく銀座のバーで鉢合わせしたらしく、「『あの取組、あの足さばきは違うだろ~』なんてダメ出しをすると、あの大横綱の北の富士さんが涙ぐんじゃうんだよ、かわいいだろう」なんて、てっちゃんが(笑)。

 てっちゃんは、もともと俳優座養成所第13期生だから私の後輩にあたる。“かわいい弟”のような存在で、『おくさまは18歳』、『パパと呼ばないで』、『おひかえあそばせ』などで共演し、どういうわけか事あるごとに彼を追いかけまわす役だった。

 ああ見えて、てっちゃんがお酒を覚えたのは28歳のとき。それまで飲めなかったのだけれど、杉浦直樹さんが教えてね。でも、飲み方がわかっていないものだから、二日酔いを理由に、朝8時スタートの撮影現場に来られない……なんてこともあった。

 かくいう私も前夜に痛飲しているから、人のことは言えない。頭痛薬を口に放り込んで、眠い目をこすりながら自分で車を運転し、現場まで向かった。だけど、てっちゃんが来ないもんだから、撮影は中止になって、仕方なく郊外の現場から車で都心へ戻る─と、なんだか見覚えのある車が、高速道路の路肩に停車している。

「あれ!?」と思って、よく見るとてっちゃんの車。その中で、ぐうぐうと気持ちよさそうに寝ている彼の姿が見えて。もちろん、怒る人は怒る。だけど、てっちゃんはあの風貌も相まって、憎めなくて、かわいい人間だった。

ブーゲンビリアを見て、てっちゃんを思い出す

 私が結婚するとき……私はその後10年間女優を休業することになるのだけれど、新宿の老舗居酒屋「どん底」で披露宴を開いた。多士済々の飲ん兵衛が集まるなか、てっちゃんも来てくれた。そのとき、彼は私の妹と弟を片隅に呼んで、「君たちはきょうだいなのになぜ反対しなかったんだ?ダメだよ、結婚なんかさせちゃ」。そう伝えたらしい。

 私は、そんな裏話があったなんて寝耳に水。つい先日、2人から「実はあのとき石立さんから……」と教えられた。どうやら元夫の女性関係について耳に入れていたらしい。実際、私は離婚をしたわけだから、その話を聞いたとき、空の上にいるだろうてっちゃんに、「なんで直接言ってくれなかったのよ」って、ぼやきたかった。

 でも、彼は本当に優しい人だった。私に子どもが生まれたときのこと。1人でやってきて、赤いカーディガンとブーゲンビリアの鉢をプレゼントしてくれた。一年もののブーゲンビリアといっていたけど、まったく枯れる気配がない。私は翌年、クリスマスのもみの木の鉢に植え替え、お米のとぎ汁なんかを注いでときどき、「てっちゃん、こんにちは」なんて声をかけて育てていた。

 気がつくと、毎年、たくさんの花を咲かせるようになって、今もまだ元気に花を咲かせている。もう40年以上はたつかしら。わっと咲いている根元に、どこからかやってきた鳥が播種したのか、いつの間にかブーゲンビリアを囲むように、色鮮やかにいろんな種類の花が1つの鉢に花笑んでいる。

 とってもにぎやかなブーゲンビリアたちを見ては、私はてっちゃんのことを思い出す。

 冨士眞奈美 ●ふじ・まなみ 静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

〈構成/我妻弘崇〉