トライアスロンなどの競技会場となったお台場海浜公園の夕暮れ。自由の女神像の向こうには五輪エンブレムが

「もう終わりですもんね。静かなものでしたよ。もともとは海外からものすごい数の観戦客が来ると身構えていただけに、閉幕と言われても拍子抜けした感じですね」

 と江東区の競技会場近くの自営業男性は振り返る。

 東京五輪の中心は新国立競技場ではなく、お台場、有明などを含む臨海副都心地域だ。金をかけず選手の移動距離が短い「コンパクト五輪」を招致段階から掲げ、水泳、トライアスロン、バレーボール、ビーチバレー、体操、スケートボードなどの13会場が集中する。当初予定よりずいぶん費用はふくれあがったものの、晴海の選手村からは近く、海外メディアの報道拠点もある。

 新型コロナウイルスの感染拡大による無観客五輪が終わろうとする中、一帯をつなぐ新交通「ゆりかもめ」に乗って各会場の周辺などを歩いた。

“バブル崩壊”は既成事実

 ビーチバレー会場の潮風公園は、ゆりかもめの車内からスタジアムの輪郭が少しだけ見え、参加国の国旗がたなびくなどそれっぽい雰囲気がちらり。しかし、最寄り駅を降りて会場近くまで行くと、高いフェンスと公園内の樹木にさえぎられて何も見えない。

 会場入り口には警備員が立ち、その先にある“検問”がのぞける程度だから人通りはほとんどなかった。

 近くにバスケットボール3×3とスポーツクライミング会場の青海アーバンスポーツパークがある。こちらも歩道から競技場の一部が遠くに見えるぐらいで閑散としたものだった。

「ここからは何も見えないんですよ~」

 と女性スタッフ。

 ゆりかもめを乗り降りしていると、外国人乗客が目立つ。五輪関係者らは入国14日後から公共交通機関を利用できるが、外部と遮断する「バブル方式」をとるため観光やショッピング、外食は禁じられている。

臨海副都心を走る新交通「ゆりかもめ」には外国人乗客が目立った

 しかし、お台場の大型商業施設にある五輪グッズのショップには、五輪のADカード(資格認定証)をぶら下げた外国人が複数いた。中にはADカードをポケットにしまいこむ外国人もいたが、おおむね堂々としたものだった。

 五輪グッズ販売の関係者は言う。

「外国人に人気なのは東京五輪のマークが入ったTシャツとバッジですね」

 帰国が迫っているのか、レジ待ちの列が44人になっても並ぶ外国人男性がいた。

 近くの飲食店ではADカードを下げたまま味噌ラーメンを食べる外国人も。別の店では大柄な外国人男性が、ADカードを隠すふうもなく本格的なハンバーガーにかぶりついていた。もはや“バブル崩壊”は既成事実と捉えられているようだった。

サラダチキン&あのアイスが人気

 ある競技会場近くのコンビニ店長は言う。

「五輪期間中、外国人客によく売れたのはワインやウイスキー。緊急事態宣言下の都内の飲食店は酒類を提供しなくなっているため宿泊先で飲むのでしょう。せっかく来日したのに日本酒は売れていません。つまみもビーフなど肉類が好まれ、“あたりめ”などには手を出しません」

 さまざまな行動制限をかけられる中、リラックスするための酒で異国情緒を味わう気にはなれなくなっているのだろうか。

 一方で、意外な商品が人気になっていた。

「サラダチキンがかなり売れています。大会関係者にしろ、報道陣にしろ、アスリートを相手にしている人たちですから、タンパク質が豊富で身体づくりの源になるサラダチキンを気にいったようです。風味のバリエーションが多いのも人気の要因かもしれません」(前出のコンビニ店長)

 別のコンビニ店長はにこやかに話す。

「意外に売れたのはアイスの『チョコモナカジャンボ』です。なぜ売れたか? サイズがジャンボなところが受けたんじゃないでしょうか」

 一帯を歩いていると、大会スタッフがタオルと紙製扇子を無料配布しているのに何回も出くわした。タオルは水にぬらすと冷たくなるといい、扇子には臨海副都心地域の会場案内のほか、《熱中症に気をつけて、東京2020オリンピック・パラリンピックを応援しよう!》と数か国語で書かれている。

 無観客なのにどう使えばいいのか。

「純粋に熱中症対策として使ってくださればいいんです。せっかく作ったのに、配らないともったいないじゃないですか。海外の方から“What is this?(これは何?)”と尋ねられたときは、“クールタオル&ジャパニーズファン”と答えています」

 五輪応援グッズは熱中症対策グッズに切り替えられ、連日の暑さで配り始めるとすぐなくなるほど人気だった。

熱中症対策グッズを無料配布するボランティアら。本当は応援グッズになるはずだった
無料配布されていたぬらすと冷たくなるタオル(右)と、折り目をつけると扇子にもなる会場案内図

母の願いをかなえてあげたくて

 聖火台が移設されている「夢の大橋」へ。当初は「オリンピックプロムナード」として海外からの観戦客らが集まるエリアになるはずだった。しかし、感染対策のため自粛が呼びかけられ、立ち止まらないようプラカードなどでうながしている。

《ほかの方とのフィジカル・ディスタンスを確保し、肩を組む、ハイタッチなどの接触は避けるようお願いいたします》

 とアナウンスも。

 聖火台の前にはまばらに20人程度。心配するほど密ではないし、ハイタッチするテンションではない。カップルや夫婦、仕事仲間などで聖火台を背景にスマホで何枚か記念撮影し、おとなしく帰っていく。

 ボランティアの男性は、

「土・日曜はこの3倍くらい来るんですけどね」

 と話す。

聖火台にカメラを向ける人たち。遠目からしか見ることはできない

 聖火台を見に来た年配の女性とその家族に話を聞いた。

 都内で暮らす女性は現在85歳で、1964年の東京五輪開催時は28歳。見物に付き添っていた長男(57)が生まれたばかりで生観戦することはできなかったという。

 女性が当時を振り返る。

「それでもね、当時は、こんな東京に世界中から選手が集まってオリンピックをするなんて夢みたいな話だったんです。女子バレーボールの決勝で日本が懸命にプレーして金メダルをとったことは今でも忘れられない。今回の東京五輪はどの競技がどうということはなくて、五輪に出るのにどれだけ努力してきたのだろうかと思いながらテレビ観戦しています。東京でやっているんだから聖火台をどうしても見たかった」(85歳女性)

 オリンピックイヤーに生まれた長男は言う。

「母は“○○したい”などとめったに言わないんです。コロナは心配でしたが、息子としては母の願いをかなえてあげたくて」

 聖火台を見た女性は満足そうな表情で帰っていった。

◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)

〈PROFILE〉法曹界の専門紙『法律新聞』記者を経て、夕刊紙『内外タイムス』報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より『週刊女性』で社会分野担当記者として取材・執筆する