※写真はイメージです

 過労死で親を亡くした子どもたちの交流会が行われています。もともとは過労死遺族たちが始めた活動ですが、今は過労死防止の事業の一環として、厚生労働省が支援しています。

 交流会ではどんなことが行われているのでしょうか。コーディネーターの一人として参加している元経済産業省職員の飯塚盛康さんに聞きました。

「遺児同士が思いっきり遊ぶ」ための場

――なぜ厚労省が「過労死遺児交流会」を開いているのですか。

 以前は、遺族たちが自費で交流会を開いていたと聞きます。国が関わるようになったきっかけは、2014年に「過労死等防止対策推進法」という法律ができたことです。ご遺族が集まる「全国過労死を考える家族の会」(以下、「家族の会」)をはじめ、過労死問題に取り組む弁護士のみなさんなどが尽力してくれたおかげです。この法律に基づく事業のひとつとして、'16年から国の支援で遺児交流会が開かれています。

――飯塚さんはもともと経済産業省で働いていたそうですが、交流会に関わるようになったきっかけは何ですか。

 経産省で働いていたころ、出先機関にあたる近畿と九州の経済産業局で、若い職員が2人も自殺してしまいました。それをきっかけに職場の労組の委員長を務めたり、大学院で過労死を研究したりしました。退職後は社会保険労務士として、企業に対して長時間労働や残業代不払いの解決を求めています。微力ながら過労死遺族への支援も行ってきました。そうした縁で遺児交流会の事業関係者の方から声をかけてもらい、第1回からコーディネーター(準備会委員)として参加させてもらうことになりました。というか、子どもたちと一緒になって遊んでいます(笑)。

――交流会ではどのようなことを行うのですか。

 プログラムは「家族の会」の方々のご意見を聞いて決まります。私の考えでは、活動内容はシンプルで、「遺児たち同士が思いっきり遊ぶ」ということです。お父さんがいない家庭が多いのですが、そうするとスキーやキャンプ、海水浴などの遊びをする機会が少なくなります。交流会ではなるべく、そういった遊びをすることになっています。もうひとつは、保護者の方々の交流会・相談会です。みなさん、最愛の人を亡くしたなかで精いっぱい暮らしていると思います。暮らしや子育ての悩みを語り合ったり、専門家に相談したりできる時間が必要だと感じています。

――交流会ではどんなところに行きましたか。

 年1回、夏休みか冬休みの時期に泊りがけで行っています。初回の'16年は山梨県でスキーをしました。16家族、18人の遺児が集まってくれましたね。翌年は長野県でバーベキューでした。あとは川遊びをしたり、遊園地に行ったり。参加者は毎年、少しずつ増えています。昨年は新型コロナの影響で宿泊が中止になり、オンライン交流会だけ開きました。今年も感染状況を見ての判断になりますが、年末のスキー旅行が企画されています。

――交流会で子どもたちと接して気づいたことはありますか。

 事前に保護者の方々からいちばん注意されたのは、「“お父さん”という言葉を出さないこと」でした。あとは、「“学校”や“私生活”のことも聞かないでほしい」と言われました。いざ交流会に参加してみると、やっぱり必要な配慮だと思いました。遺児たちはとてもナイーブです。

――どういうところがナイーブだと感じますか。

 私のようなおじさんがいると、小さい子はすぐに抱きついてきます。意識せずにお父さんを求めてきているのだと思います。そういう子に「お父さんが死んじゃって大変だったね」などと言ってしまったら、わざわざ思い出したくないことを思い出させて、深く傷つけてしまうと思います。心の扉をこじ開けてはいけないのではないでしょうか。

過労死問題についてのオンラインイベントで語る飯塚さん

――では、どのようにアプローチしますか。

「お父さんの代わりにはなれない」と自覚したうえで、とにかく一緒になって遊ぶだけです。私も60才を優に越えてしまいましたが、だっこしたり肩車をしたり、できるだけ身体を使った遊びをするようにしています。学校に通う子どもたちのなかには、不登校やいじめを経験している子もいるため、そこにも軽々しく踏み込んではいけないと感じています。ただ、息抜きの場を作ってあげたいです。

過労死問題について今、思うこと

――思春期以上の遺児たちにはどのような影響がありそうですか。

 保護者の方々から聞いた話では、残念ですが、お母さんとの関係に悩む人が多いようです。自分のなかで、お父さんが亡くなったことに納得できない部分があるのだと思います。その気持ちの持って行き場がなくて、「なぜお母さんは止められなかったんだ」と責めるような思いが生じてしまうのではないでしょうか。また、「子どもたちが、働くこと、社会に出ることをすごく怖がる」という話もしばしば聞きます。自分もお父さんと同じ道を歩んでしまうんじゃないか、という恐れがあるのだと思います。

――深刻な傷を抱えているのですね。悩んでいる遺児に対してどのように接しますか。

 交流会に来た遺児たちが悩んでいるなと感じたとしても、私などが簡単にできることはありません。先ほども言った通り、息抜きの場を作ってあげることくらいです。遺児同士でなければ分かり合えない部分もあるかもしれません。遺児交流会には、大学生や高校生の遺児も参加しています。交流会で同年代の子と意気投合し、とても仲よくなることがあります。この事業の意義深さを感じます。

――遺児交流会に参加した経験を踏まえて、過労死問題について言えることはありますか。

 過労死をめぐる報道では、主に配偶者を亡くされた方が取材を受けています。若い方が亡くなった場合は、そのご両親がお話をされることが多いです。一方で、メディアが取りあげていないだけで、子どもたちも傷ついて大変だということに思いをはせてほしいと強く感じます。過労死・過労自殺を出してしまった会社は、その方の両親や配偶者だけでなく、子どもも傷つけます。その傷は大人よりももっと深いかもしれません。そこまで思いを巡らせて、とにかく日本のすべての会社が、自らを戒めてほしいと思います。

(取材・文/ジャーナリスト・牧内昇平)
※このインタビュー記事は、筆者(牧内昇平)が8月4日に開いたオンラインイベント「『過労死』について考える」で行った飯塚氏とのトークセッションの内容に再取材を加え、構成しています。

※記事のタイトルと本文の一部を修正しました(2021年8月26日)


【PROFILE】
いいづか・もりやす ◎1955年、埼玉県生まれ。ノンキャリア官僚として通商産業省(現・経産省)に入省。現役官僚だった頃に過労死問題に関心をもち、早期退職後の'13年にNPO法人「ディーセント・ワークへの扉」を設立。過労死防止のための活動を続ける。明治大学大学院経営学科修了。社会保険労務士。「東京過労死を考える家族の会」会員。