雪美さん(仮名)が起こした「1円」訴訟。8月31日に判決が出る

「先生が授業中、私のこめかみと、おでこを、つっつくような感じで触れてきました。私は怖かったので、何も言えませんでした」

 中学3年生の雪美さん(仮名、15)=東京都千代田区=は、小学校5年時の担任教諭から受けた行為がセクハラだと感じた。それに加え、同級生からは担任から「ひいき」されていると見えたようで、いじめにもあった。

 それから雪美さんはうつ状態になり、自殺未遂をし不登校になったため、'19年に学校設置者の千代田区と担任の教諭と校長に対し、損害賠償を求めた裁判を起こした(判決は8月31日に出る予定)。損害額は「お金の問題じゃない」とし「1円」。当初、弁護士はつけず本人訴訟だったが、途中から弁護士をつけて闘うこととなった。

 裁判を起こした心境について、雪美さんはこう話す。

「弁護士なしで裁判をしたのは、勇気があったわけじゃないんです。どうしても、責任追求をしたいという気持ちが強かったんです。途中で何度もやめようと思ったことがありました。それでも続けたのは、事実を認めて、謝罪をしてほしかったんです。(裁判では)自分が言いたいことは言えたと思います。私が(担任にされた言動について)、そのとき、こう思っていたということをわかってほしかったんです」

「助けてほしい」と副校長に相談したが

 訴状や準備書面によると、訴えた被害は、

1)雪美さんが小学5年生のときの2017年4月10日と13日、17日、担任が雪美さんの頭部を指で触った。

2)翌11日と14日、担任は「雪美さん、かわいいですね」と語りかけた。

3)4月26日、給食の時間に、雪美さんが昼食をとっていると、担任が座っていたキャスター椅子を滑らせて訪れ、雪美さんの机の上に左肘をつき、左手に担任自身の頬をついて、「ねえ、先生が考えていることわかる?」「かわいいんだからこっちを向いて」「オレンジの皮を口に挟んでニヤっとやって」などと語りかけた。

4)5月11日の授業中、雪美さんが課題を提出して席に戻ろうとしたところに担任が「雪美さん」と呼び止め歩み寄った。そして結んでいた髪を強く掴んで、「雪美さん、背も伸びましたね。(髪の毛の結び目をさわり)コブも伸びましたね」と語りかけた。

 というもの。これらの不適切な言動によって、雪美さんは「(不快な出来事が)毎日起こるのではないか」と思いながら学校に通い、担任による言動が原因でほかの児童から無視や仲間はずれなどのいじめが起きるようになった。その結果、心身を壊し、二度、自殺未遂し、不登校となった。

 雪美さんは「男性に恐怖を植え付けられました。担任の行為が性的な目的がないとしても、ハラスメントです」と振り返る。これらの行為について、母親は「担任からセクハラを受けている」と副校長に電話で2回伝えていたが、ちゃんとした対応はされず、担任を擁護する報告書が作成されたという。

「副校長先生に『助けてほしい』と相談したんです。頭を触られこと、髪の毛を掴まれたことを話しました。そのときは『話をしてくれてありがとう』と言われました。しかし、具体的に何もしてくれませんでした」(雪美さん)

 母親は「なかったことにされないように」と、東京都迷惑防止条例による粗暴行為(著しく羞恥させ、または不安を覚えさせる行為)にあたるとして告訴したが、不起訴処分となってしまった。検察審査会に不服を申し立てたものの、結局、起訴することはなかった。

雪美さんとお母さん

「つらいことなので、子どもには被害について忘れてもらいたい気持ちもありますが、私はずっと覚えておこうと思ったんです。一度は受理されたけど、条例では学校は“公共の場所”にはならないとのことです。学校で起きたことは、なぜセクハラや性犯罪と言われないのでしょうか。学校は多くの人が出入りする、事実上の公共の場所だと思うのですが……」(母親)

 都の迷惑防止条例での「粗暴行為」の禁止規定で、場所に「学校」が加わったのは'18年の改正だ。雪美さんに対する担任の言動は'17年のことだったため、粗暴行為としてみなされたとしても、この条例では適用されない。

「ゴールデンウィークごろから学校へ行けなくなりました。少し休んだら学校に復帰しようと思っていたんですが、身体が拒否をしました」

 '17年5月、雪美さんは不登校になり翌年の1月、担任の言動がきっかけで転校する決意をすると同時に、心療内科で心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。

学校には助けてくれる大人はいなかった

 '21年5月25日、東京地裁(伊藤正晴裁判長)で証人尋問が行われた。当日、雪美さんは緊張しながらも、小声で具体的に証言をした。その後、雪美さんは裁判を傍聴してた筆者に、

「私の声、聞こえていましたか?(証言台では)目の前がぼやけていました。裁判長はどんな顔をしていたんだろう。傍聴人の顔を見ることもできませんでした。もし、見てしまうと怖気ついてしまうそうでした」

 と、話した。なぜかというと当時の担任が傍聴に来ていたため、その姿を見たらフラッシュバックが起きそうで怖かったという。裁判長は、担任に外に出るよう促した。

 1)と2)について雪美さんは、「当時担任には、頻繁に下の名前で呼ばれていました。何を言っているんだろうと思いましたが、授業に関係ないので、どうすればいいのかわかりませんでした」

 3)については、「いきなり言われたのです。先生の顔や身体の距離は拳2つぶんでした」

 4)については、「理由はわかりません。なぜ、わざわざシニヨン(束ねた髪)をつかむんだろうと思ったんです」

 と話した。

取材に応じてくれた雪美さん

 裁判では担任の証人尋問も行われた。原告側から指摘された行為のほとんどを否定するも「こめかみを触れたことはあります。しかし注意する意味であって、ほかの児童にも同じことをしています」と言い、一部は「誤解を与えることをした」と証言。つまり担任は、雪美さんだけに触れたわけではなく、特別な感情を抱いていないと主張した。

 雪美さんは証言台に立ったあと、「先生の話を聞きたくない」として先に裁判所を離れ帰宅していた。直後から気分が悪くなり、数日間は食欲もない状態が続いたという。法廷に立ったときのことを、後日、あらためて聞いてみた。

「ドラマで見るように、裁判はさっさと終わるものだと思っていました。こんなに長引くとは思っていませんでした。先生たちの証言を聞いて、“本当に悪いこをしたと思っているの?” と思いました。裁判をしてよかったのは、助けてくれる大人はいたんだということです。でも、学校には助けてくれる人はいませんでした。いたら、裁判にはなっていません。学校では、最終的に“腫れ物扱い”になって、(転校先へ)去ったんです。過去のことを思い出すのはつらかったです」

 学校との交渉から考えると、実に5年が経過している。この5年間はどのような生活をしてきたのだろうか。

「5年生のゴールデンウィーク後には、学校に行けると思っていたのですが無理でした。中学1年のときが一番つらっかったです。いまは行きたい高校を見つけたけれど、教室にはなかなか行けないので高校に進学できるのか不安です。最近は家からもほとんど出てなく、出たとしても病院に行くくらいです。今でもうつなのかわかりません……」

 と、貴重な学生時代を謳歌することなく、自宅で過ごしているという。身体も心も著しく成長している、思春期という大事なときに負った心の傷はなかなか癒えていない。雪美さんは、同じように教諭の言動に傷ついている子どもたちに対し、

「頼れるのは学校にいる大人ではなく、親だけでした。道徳の授業でよく“誰かがだ助けてくれる”という話がありますが、現実は助けてくれません。証言をお願いした同級生とも音信不通です。でも、助けてくれる人は少ないけれど必ずいます。諦めないで闘ってほしい。心を折らずに自分の主張をしていかないと、助けてくれる大人も探せないよ」

 と、メッセージを発した。東京地裁、8月31日、13時20分。雪美さんの5年という長い戦いは終結するのだろうか。その後を見守りたい。


取材・文/渋井哲也
ジャーナリスト。長野日報を経てフリーに転身。生きづらさ、教育問題、自殺問題などを取材。『学校が子どもを殺すとき』(論創社)など多数。