9月2日、自宅からタクシーで東京地裁に向かう飯塚被告

「主文。被告を禁錮5年に処する」

 冒頭で下津健司裁判長ははっきりとした口調で実刑を言い渡した。

 一昨年の4月、東京・池袋で旧通産省工業技術院の元院長・飯塚幸三被告(90)が運転していた車が暴走して、松永真菜さん(当時31)と娘の莉子ちゃん(当時3)が死亡したほか、7人の重軽傷者を生んだ大事故。被告に対して自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)を問う公判の判決が9月2日、東京地裁の104号法廷で下った。

 その瞬間、飯塚被告は視線を落としたまま、微動だにしなかった――。

被告の額にはアザが

 この日、しとしとと雨が降る昼の12時10分ごろ、飯塚被告は都内にある自宅マンションからタクシーに乗って、裁判所へと向かった。いつもなら30分ほどで到着するところだが、折しもパラリンピック開催中であったために交通規制が激しく、到着までおよそ1時間も要した。

 午後2時ちょうどに開廷。飯塚被告は黒のスーツ、黒のネクタイ、白いワイシャツ姿。眼鏡に不織布のマスクを着用して、弁護人が押す車椅子に乗って出廷した。

 被告の額をよく見ると、何か黒いものが……アザだ。右額に5cm四方もの大きさ。どこかで転んで打ちつけてしまったのだろうか――。

 被告は出廷すると、そのまま証言台に向かう。その直後に冒頭の判決が下った。

 そのあとは、裁判長が判決の理由をとうとうと述べていった。

「被告は自転車もろとも転倒させ……」

 証言台の被告は首を30度ほどうなだれてピクリとも動かない。傍聴席からは、眠っているようにも見えたぐらいだ。

 一方、傍聴席を見ると被告によって妻と娘の命を奪われた被害者遺族の松永拓也さんの姿があった。彼は先方にいる被告のほうをじっと見つめていた。

裁判長から“説諭”が始まる

東京地裁には多くの報道陣が集まった

 その後、50分にわたって読み上げられた判決の理由。その間、傍聴席から見える飯塚被告の後ろ姿はピクリとも動かず、ぼんやり見ていただけではほとんど変わらなく映っただろう。

 裁判長は、次のように締めくくった。

「事故はブレーキペダルとアクセルペダルの踏み間違いによるもの。それは基本的な注意義務のひとつであり、その過失は重大であります。被告の一方的な過失です」

 さらに、ここから裁判長としては異例ともいえる説諭が始まった。

「遺族の精神的、身体的な苦痛、永遠に別れなければならない悲しみは深く、まったく埋められていません。被告は真摯に向き合って、遺族に謝罪していただきたい。被告は過失を否定していて、深い反省をしているとは思えません」

 このとき、被告に少しだけ動きがあった。裁判長から遺族への謝罪を促されたとき、軽くうなずいたのだ。

 裁判長が重ねる。

「過失は明白であり、納得できるのであれば、遺族の方々に謝罪、真摯に謝っていただきたい。納得できないのであれば、14日以内に控訴申立書を書いていただきたい」

 最後にそう告げられたとき、被告の身体がピクリとも動かず、うなずきもしなかった。

 終始、自身の過失を認めず無罪を主張し続けてきた被告。だが、裁判長の“控訴”という言葉にまったく反応しなかった様子は、最後の最後で自身の罪を受け入れたようにも見えた――。

 きっちり1時間で閉廷。ひと言も言葉を発する機会を与えられなかった飯塚被告は、裁判長に深く一礼をして、車椅子で退廷していった。