東京都中野区区役所の新庁舎建設工事が着工したが、“炎上”している。生活困窮者に関わる部署である「生活保護課」だけが、新庁舎の基本設計から“排除”されたのだ。一体、なぜ? 生活保護利用者を新庁舎に入れたくないから? 差別は絶対に作ってはいけない。生活困窮者の支援を行う『つくろい東京ファンド』の小林美穂子氏がレポートする。

東京都・中野区区役所

 約3年後に完成を予定している、東京都の中野区区役所の新庁舎建設の実施設計が固まり、建設工事が着工した。予定通りに進めば、2024年2月竣工、5月開設となる。その新庁舎の設計が今、議会で大炎上している。

 何が問題になっているのか。

 新しい区役所の基本構想は「ワンストップ型サービスの構築」。これは利用者にはとてもありがたい。ではなぜ、炎上なのか。

 それは、ワンストップが最も必要とされるであろう生活困窮者に関わる部署のうち、生活保護課だけが、外に出されることになったからだ。

二転三転したこれまでの経緯

 当初は既存の部署はすべてが新庁舎に入るはずだった。

 約2年半もの時間と、議事録によれば9,000万円の予算(税金)をかけ、利便性や導線を追求したレイアウトが練られ、その時点では生活保護課の窓口は一階に設定されていた。

 しかし、区は「高度なプライバシー性を確保する観点」などを理由に、その基本設計を突如変更、生活保護に関する窓口は新庁舎の外に出す方針を決め、野方にある教育センターに福祉事務所を丸ごと移転してはどうかという提案をしてきたのだった。

 新庁舎1階から教育センターという重大すぎる変更は、2020年3月にはすでに区側で方針が決まっていたのだが、どういうわけか10月になるまで議会にも公表されておらず、文字通り寝耳に水の報告となった。

 この案に対し、「むしろ教育センターに丸ごと移転することでプライバシーが守られないのではないか」「新庁舎から距離のある、教育センターを区民(利用者)が行き来することは大変ではないか」などという疑問が議会から発生。実際に教育センターの現場を見てみると、躯体(建築構造を支える骨組みにあたる部分)に無理があることがわかり、構造的にも福祉事務所には向いていないということで、区は見直しを迫られる。

 この段階で初心に戻り、新庁舎に入ってもらうという流れになればよかったのだが、なぜか「福祉事務所を外に出す」という案だけは動かない。行き場をなくした福祉事務所機能をどこに持っていこうかと、新区役所整備課は苦心惨憺、悩んで探し回った挙句に、今年6月になって突如浮上してきたのがスマイル中野、現在、社会福祉協議会が入っているビルのフロアである。

民間組織である社協を新庁舎に迎え、身内を外に出す不思議 

 社会福祉協議会が新庁舎に入ることは、当初から決まっていたらしい。思わず首をひねりたくなるのだが、社会福祉協議会は民間の社会福祉活動を推進することを目的とした民間組織である。連携が必要な場合も多いが、どうしても庁舎内に常駐する必要があるとはいえない。現に、他区でも社会福祉協議会が庁舎から離れた場所にあることはよくあることだ。 

 中野区では、その社会福祉協議会の職員が新庁舎に入り、代わりに生活保護課が庁舎から出て、スマイル中野に入るということになった。

 7月30日の厚生委員会で決まったこの新案を、現場の職員は突然聞かされて仰天することになる。

 なぜなら、区は福祉課を外に出すと決定した2020年3月に、その理由を「新型コロナウィルス感染症の影響もございまして、(生活保護利用者の)相当数の増加が見込まれてございます。」と述べており、利用者増、職員増を見込んで広い場所が必要ということなのだが、3月の段階で感染拡大や区民の生活困窮を予測していたのだとしたら、それはそれですごい。

 生活保護利用者の増加に伴う職員増員も考慮した上での「生活保護課の庁外移転」だったはずなのに、最終的に落ち着いたスマイル中野の床面積が、現状の550平方メートルより更に狭い360平方メートルという結論に「え、え??」となるのは道理である。

 550平方メートルでも手狭だった事務所が360平方メートルになって、職員が収まりきるわけがない。そこで、当局は奇案を提案した。生活保護課を二つに分ける。つまり、こうだ。

・生活相談、自立支援、中野くらしサポート→新庁舎
・生活保護課→スマイル中野

 ちょっと待って、ワンストップどこに行った?

東京・中野区役所

 あなたが将来、生活に困窮し、生活保護の申請を考えるとする。まず、申請は新庁舎だ。そこで相談をし申請に至る。しかし、保護が決定したあとはスマイル中野に行ってくださいねと言われる。スマイル中野で担当ケースワーカーと会い、その後、必要に応じて住民票を取得したり、稼働年齢であれば就労相談をしてくださいという話になるが、それは新庁舎が窓口となる。

 新庁舎にいる生活援護課(最初に相談する課)と生活保護課(利用開始後に担当になる課)の連携は必要不可欠であるが、離れてしまって業務は成立するのだろうか。情報の伝達時にはIT技術を頼るのだろうが、高いセキュリティを搭載したプログラムはいくらするのだろう。

 また、生活保護課は大きな現金が動く課でもある。今後はお金を運ぶ警備員がずっと必要になるだろう。いくらかかるのだろうか。

 そして何より、区民の利便性はどこに行ったのだろうか?

 二転三転した新区役所の企画は、一体だれ得なのだろう? 考え込むほどにデメリット以外なにもないものに仕上がってしまっている。

生活保護課の庁外移転、他区の場合

 東京都23区の自治体で、本庁舎内に福祉課がある区は15区、外に設置している区は8区ある。

 本庁舎内に福祉事務所があり、支所も複数箇所おいている練馬区、世田谷区などもあれば、本庁舎内に福祉事務所が入っていない区もある。新宿区、豊島区、渋谷区、板橋区などがそれだ。

 新宿区は制度利用者の急増に伴い、庁舎が手狭になったために福祉事務所がまるまる外に出た格好となったが、豊島区と渋谷区は新庁舎建設をきっかけに、もともと入っていた福祉事務所を外に出した中野区と似たケースだ。どのような理由で外に出したのだろう。

 2015年5月7日に開庁した豊島区役所は、財政難を補うために再開発手法によって庁舎建設をしたという経緯がある。1階の一部および3階~9階が区役所、1階~2階には商業施設、11階~49階は分譲マンションが整備された、かつてない新しいタイプの新庁舎だ。

 福祉事務所と保健所を除外した理由は、

1、民間と合築で、一階は災害などのときに必要な豊島区の空間(豊島区センタースクエア)と 民間の商業施設となる。区役所が全て占有できない。

2、福祉事務所にはシャワーなどの整備も必要で、三階以上には福祉事務所は置けないなど。(シャワー設備が3階以上に入れられないという理由が分からないが…)

「路上生活者を新庁舎に入れたくない」とは決して言わないまでも、お話しを伺った元区議は『 根本的に「排除の思想・差別」はあったと思います』と、当時を振り返る。

「受給者が並ぶ、そんな状況はみっともないでしょう」

 2014年10月に改築工事が終了した板橋区役所本庁舎南館。当初、福祉事務所機能を入れて本庁舎でワンストップサービスが行えるようにしたいと提案があったにも関わらず、それは実現しなかった。議事録を読むと、いろいろもっともらしい理由が並べられてはいるが、象徴的なのが2014年3月17日の予算審査特別委員会で自民党の区議が発言した以下。

板橋区区議会議員・川口雅敏
「私は、現在の保健所、あそこに板福(板橋福祉事務所)を持っていったほうがいいかなと、そして、旧保健所のところに、また民間活力で保健所を建て、というのは生活保護の受給者が並ぶ、そんな状況は役所の前でみっともないでしょう。向こう側だったらいいんじゃないかなと、そんなようなことも思っておるんですけれども、その辺も少し考えてみていただければと思いますけれども」

 こんなあからさまな差別発言をする人の方がむしろ「みっともない」と誰もが思う世の中を希求してやまない。近年、新庁舎を建設しながら福祉事務所機能を外に出す自治体に通底しているのは、いかなる理由をいくつ並べたところで、本音は生活困窮者を「見えなく」したい差別意識であるように感じる。差別する気はないとどんなに訴えようが、実際には排除のメッセージにしかなっていない。

多様な街の豊かさを分断によって消さないで

 私は中野区民ではないが中野で働き、中野を愛する都民である。

 中野のどんなところを愛しているかと聞かれれば、酒井直人区長が中野区のホームページ内の「区長の部屋」に書かれているように、『情に厚く、あらゆる個性を受け入れるまちであり、また、変わらぬ良さと変わり続ける発展性の両面を感じる』からだ。

 私の職場がある町もおせっかいな人が多い。商店街は特別に活気が溢れるわけでもないが、かといって沈んでもいない。淡々と毎日店を開ける。

 商店街に挟まれた一車線の狭い道には、バスもトラックも、自転車も、人も行き交う。車椅子も、リハビリ中の高齢者も、子どもも、外国人も、入り乱れて通る。車が来ないときには、道いっぱいに歩行者が広がり我が物顔で歩く。見知った顔とすれ違うと挨拶が交わされる。

「ゴチャゴチャしているのがデフォルトだから、かえって交通事故が起きない」と、中野で働き始めたころに地元の人に教わった。多様な人が共存する場は、誰もが「自分はそこにいていいのだ」と思わせる環境だ。豊かで寛容な懐の広い地域だ。

 見えなくしてはいけない。隔離してはいけない。分断こそが無理解、差別の入り口だから。差別の旗振りを区役所がしては、絶対にいけない。

 区長は更に続ける『中野区最大の財産である「人」が一層活躍できるよう、セーフティネットの取組と、区民と区の協働・協創を進め、必ず感染症の危機を乗り越えて、中野の未来を築いていく決意です。』

 中野区が特定の人を新庁舎から排除することなく、さまざまな人が行き交う庁舎を作って、これからの地域の在り方を他区にも見せつけてやってほしい。


小林美穂子(こばやしみほこ)1968年生まれ、『一般社団法人つくろい東京ファンド』のボランティア・スタッフ。路上での生活から支援を受けてアパート暮らしになった人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネイター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで働き、通訳職、上海での学生生活を経てから生活困窮者支援の活動を始めた。『コロナ禍の東京を駆ける』(岩波書店/共著)を出版。