『夜のヒットスタジオ』に出演する中森明菜

 今年5月、デビュー40周年目を迎えた中森明菜。後に“花の82年組”と呼ばれる女性アイドル当たり年に『スローモーション』でデビュー。『少女A』『飾りじゃないのよ涙は』などヒット曲を連発し、1985年『ミ・アモーレ』、1986年『DESIRE‐情熱‐』で2年連続となる『日本レコード大賞』を獲得。女性ソロ歌手として史上初の快挙だった。

“現在の明菜”がいない記念ボックス

 そんな時代を代表する歌姫の、大切な節目の年にオープンした特設サイトには、40年分の楽曲やレコードジャケットなどのディスコグラフィーだけでなく、ライブ映像まで、明菜の華々しい足跡がまとめられている。6月には、デビューからの10年間に発売された全シングルレコードなど30枚をセットにした限定BOXも発売になった。

「税込4万8400円という高額商品ですが、売れ行きは好調だと聞きました。いまだに根強いファンがついているのは“さすが歌姫”ですよ」(音楽誌編集者)

 だが、この5万円近い記念ボックスのどこを探しても“現在の明菜”はいない。収録されている楽曲はすべて過去のもの。7月に56歳になった明菜の近影やファンへのメッセージもない。いや、それどころか4年近く、明菜は人前で歌うことはおろか、人々の前に姿すら見せていないのだ。

「2010年に芸能活動の無期限休業を発表して以来、心身ともに不安定な状況がずっと続いていますよね。2014年の紅白出演は、サプライズゲストという形の事前収録した映像でした。2016年と2017年と2年連続でディナーショーを行い“すわ完全復活か!?”と業界の人間は色めき立ったんですが、結局それが最後に。また、ひきこもってしまい、ほとんど消息不明に近い状態ですからね……」(前出・音楽誌編集者)

 40年来のファンだという女性も落胆する。

「明菜ちゃんの大きな節目だったから“今年こそきっと新曲を出してくれるはず”“せめてディナーショーはやってくれるはず”と期待しているんですけど……」

自信がもてなかった中森明菜

 名実ともに時代のトップだった歌姫を、誰が壊してしまったのか――。当時の明菜をよく知るレコード会社関係者が振り返る。

平成元年の7月11日、中森明菜が近藤真彦の自宅で自殺未遂。その年の大晦日に“金屏風会見”を開いた

「所属事務所やレコード会社との相次ぐ移籍トラブル、信頼していたスタッフや身内に騙されたりなんてこともありました。もちろんマッチとの大失恋、自殺未遂騒動も大きなダメージだったと思います。もし、あんなことがなかったら明菜さんの歌手人生はだいぶ違っただろうと思いますしね」

 だが、いちばんの原因は、

「いま思えば、明菜自身にあったんじゃないかという気もします。彼女はレコ大も獲って、どんなに売れても、どこまで人気者になっても、自信が持てなかったんだよね……」(前出・レコード会社関係者)

 それを感じさせる明菜の発言はいくつもある。過去の雑誌インタビューで、彼女は歌手という仕事に対する偽らざる気持ちをこう語っている。

《目の前の人たちがうれしそうな顔をしているから、私は歌うだけ。(中略)仕事に対してすすんでトライしようとか、才能をどんどん伸ばしていきたいというのがないから》(『JUNON』1992年1月号)

 そもそも明菜が歌手になったのも、自分自身のためではなく“家族のため”だった。

《歌手になりたい! っていう願望じゃなくて、タレントさんになればお金持ちになれると思ったから。小さいころから、みんなが「お歌が上手ネ」っていってくれたから、じゃあ“スタ誕”に出て歌手になって、家族に車を買ってあげようと、そういうことしかなかったの。(中略)後悔はすごいですよ。何で私、歌手になっちゃったんだろうって……》(同)

 別の雑誌では、6年に及んだマッチとの恋愛を振り返りながら、こう自嘲している。

《結局、女としてっていうより、人間として自信がないのね。いつまでたっても自信が持てないもの、私。“有名になった明菜ちゃん”からは、そんなこと想像できないって言われる。でもホントにダメなのね。もう自信のなさが染みついちゃってる》(『with』1993年11月号)

 歌手としてだけでなく女優業にもチャレンジした1992年、フジテレビ系“月9”ドラマ『素顔のままで』に主演。最終回視聴率31.9%を叩き出してみせたアーティストとは思えない発言だ。

「“23歳で結婚して25歳でママになったら、今の仕事なんてしたくない”っていつも言っていましたからね。そういう結婚願望……マッチとの恋愛も“自信がなくても歌い続けなくちゃいけない”っていう葛藤から生まれてきたのかもしれません」(前出・レコード会社関係者)

 その葛藤の中で、今も明菜はもがき続けているのかもしれない。だが、それでも“歌姫復活”を待ち続ける人たちがいる。

「40周年は、やっぱり本人の姿を見られなさそうで残念ですけど、私たちは待つのには慣れていますから(笑)。きっといつか、また歌ってくれるって」(前出・ファンの女性)

 その日を信じて――。