1997年、全国ツアー『WAになっておどろう』中のV6(撮影:本誌写真班)

 V6が今年11月1日に解散する。1995年11月1日のCDデビューから誰ひとり欠けることなく芸能界のトップを走り続けてきた6人。

 デビュー時は最年長のリーダー・坂本昌行(50)が24歳、最年少の岡田准一(40)は14歳の中学3年生。それまでのジャニーズでは珍しい、メンバーに年の差のあるグループとして注目を集めた。

 普通なら、特に若い時期なら、これだけ年齢が離れていれば、ギクシャクしてしまいそうなもの。だがV6は違った。今年3月12日に発表された解散報告コメントで、

「僕たち6人が築き上げた、他人でも家族でも友達でもない、特別で大切な関係」
「今もなお、メンバー同士、冗談を言い合える日々が続いていることに感謝」

 と記したとおり、彼らは固い絆を26年間、強く持ち続けてきたのだ。

「高校の友達は一生もの」

 翻って、今の世の中を見ると、コロナ禍で人とのつながりは急速に希薄になり、ハラスメントや学校現場でのいじめ問題などのニュースが後を絶たない。

 実はV6も、人間関係やいじめについて思い悩んだり考え込んだ時代があった。今の我々へのメッセージとも思えるような、彼らの若き日の発言を振り返ってみよう。

「いじめは、いじめたほうが絶対に悪い」と語っていたのは岡田准一。当時はまだ17歳だが、その後演じることになる映画『海賊と呼ばれた男』の国岡鐡造(2016年)や映画『燃えよ剣』の土方歳三(10月15日公開)などにも通じる正義感を、このころからしっかりと胸に秘めていた。

一番の困った問題は、いじめるほうが気づいてないっていう現実。でも、“いじめられるほうにも問題がある”って言う人もおるけど、俺はそれは絶対に違うと思うから。

 だから具体的な解決策としては、本気でイヤがるのも大切なんじゃないかな。頑張って、1回でもいいから本気でイヤがってみる。そうしたら相手も自分がいじめてるってことに気づくし」(『JUNON』1998年1月号)

岡田准一と井ノ原快彦

 そして、高校時代の思い出として、こんなことも語っている。

「僕は仕事で朝は学校に行けないこともあったけど、友達が6人くらい“寝坊すんなよ”って電話くれたり。“みんなで卒業しようぜ”みたいな感じのすごくいい仲間だった。

 今、15歳の子に言いたいことがあるとしたら、友達をいっぱい作ってほしいっていうことかな。歳をとると、友達という言葉が“人とのつながり”に代わってしまうけど、高校の友達は一生ものだと思う」(『ポポロ』2007年6月号)

 井ノ原快彦(45)は小学生時代に受けたいじめについて語っている。

「仲よくしていた友人がある日を境に急に無視し始めて、2年くらい続きました。最初は数人だけの無視だったのですが、徐々に範囲が拡大。気がつけばクラス全体から無視される状況になり、僕は他のクラスの子と細々とつきあっていました。

 そんな僕の気持ちを支えてくれたのは、おばあちゃんの“苦しいことは、その人が耐えられるから降ってくるんだ”という言葉です。(中略)この経験以来僕は、人の心の動きとか痛みに敏感になりました」(『日経エンタテインメント!』2007年1月号)

 また 、“悪を裁き、弱きを助けよ”の精神を、子どものころ父親から教わったという井ノ原。

「クラスの知的障がいの子とも仲良くて、家に遊びに行くと、お母さんがうれしそうに“ずっと友達でいてあげてね”って言うんだよね。それが俺も嬉しくて。その子がいじめられてたりすると、どんなに仲いいヤツでも許せなかった。

 一回同じグループのヤツがいじめてて、“やめろよ”って言ったのにギャグで返してきて。すっげぇムカついて、そいつと初めてケンカしたこともあった」(『JUNON』1998年12月号)

 MCとして数多くの番組を仕切り、ときには行き過ぎたイジリに対して「それはよくないと思う」と毅然とした態度を示す井ノ原。その片鱗が伺えるようなエピソードだ。

長野が味わったデビュー前の「挫折」

 解散発表後に、自身のラジオ『三宅健のラヂオ』で「みんなからのメールを読んでいたら涙が止まらなくて。新幹線で一人号泣している自分がいて」と話していた三宅健(42)。真面目でやさしく繊細な人柄は、若いころの発言からも読み取れる。

「味方っぽくしておいて実は裏切るとか、言葉たくみに人をだますとか。そういう人っていたし、人間不信になったこともあった。でも、他の人には相談しないんです。ひとりで自分の中に持ち込むタイプだから、けっこう俺は根強いというか…根性があるほうなのかもしれない。

 俺がいちばん許せないのは、強い者に弱くて弱い者に強い人。少林寺拳法の言葉で“力愛不二”という言葉があって、人間は力だけあってもダメだし、愛だけでもちゃんと生きてはいけない、両方兼ね備えてないと、ちゃんとした人間にはなれない、という意味なんです。それは正しいことだと思う。自分も大人になったら、ちゃんとした、包容力のある人間になっていたい」(『JUNON』1998年9月号)

三宅健と長野博

 長野博(49)もメンバー全員から「優しい人」と慕われる男で、実は「デビューしていく後輩を10年間ずっと見てきた」という苦労人。

「後輩がグループを作ってデビューしていくのを見て、やっぱり挫折感みたいなものを感じたし。専門学校を卒業した後もそんなに仕事があるわけでもなくて、先輩の付き人をやっていたこともありました。

 事務所から“やってみない?”と言われたときは、正直言ってすごくショックでしたよ。でも、今はそれも貴重な経験だったと思っています。いろいろあってV6のメンバーになれたことが、本当に自分のためにはよかったと思っているし、逆境に耐えてきたから、それも力になっている気がするんです」(『JUNON』1998年8月号)

 おだやかでみんなを包み込むような優しい微笑みは、この芯の強さに裏打ちされているのだろう。

 ワイルドで男くさくて真っ正直、男が惚れる男といえば森田剛(42)。彼はいじめについて、こんな熱い発言をしている。

「学校行くくらいなら死んだほうがマシってくらいの状況になったとしても、絶対にコビないこと。“嫌われたくない”って思って相手にコビちゃうと、逆にますますヤリ玉に上がっちゃうから」(『JUNON』1998年1月号)

「リーダー」はニックネーム

 コビない=自分を偽れない、嘘をつけない、不器用。そんな彼の性格は、以下のコメントでも伝わってくる。

「 “見てください!”って人にアピールするの、苦手なんですよ。芸能界の中には偉い人とかにアプローチして上に上がっていく人がいるでしょう。そういう人ってきっと頭が賢いんだと思うけど、俺には絶対できない。“すげえなあ”とは思うけどさ。そういう意味では、あんまり芸能界っぽい性格じゃないのかもしれない」(『JUNON』1999年1月号)

そして、最後は坂本昌行。実生活では3人兄弟の末っ子ながら、6人の長男として26年間、V6を支えてきた頼もしきリーダーからいじめられている人へ向けた言葉は深く、あたたかい。

「今いじめられてすごく悩んでいる人がいたら、ちょっと考えてほしいのは“もし自殺しちゃったら、一人のいじめっ子のために、将来出会うであろう100人の友達を捨てることになるんだよ”ってこと。

 これはある意味、すごい“勇気”でしょ。そんな勇気を持ってるんだったら、相手に言う勇気も持ってるはず。それにたとえ今100不幸せでも、将来200幸せになればいいじゃない。そう考えれば勝ったも同然ですよ」(『JUNON』1998年1月号)

森田剛と坂本昌行

 そしてデビュー25周年時には、「ずいぶん前から、自分がリーダーだっていう気持ちはいっさいないです。もうニックネームだと思っているんで」と。

「僕が何か言ってひとつにまとまるほどつまらないことはないなと思ったんです。それぞれの主張があるグループのほうがおもしろいから。そこで自分の意見を言うよりも、みんなの意見を聞く立場に変えました」(『GOETHE(ゲーテ)』2020年12月号)

 現在、全国ツアー『LIVE TOUR V6 groove』の真っ最中、10月26日にはベストアルバム『Very6 BEST』が発売と、全力疾走中のV6。

 年齢も性格も個性も様々な6人だけれど、グループとして集合すれば26年間変わることなく、まるで武骨な職人のような雰囲気を醸し出し日本中を魅了してきた。その裏には、「人としてのまっすぐさ」という6人の共通項があるのかもしれない。