竹内結子さん

《竹内結子は弊社にとって、永遠にかけがえのない大切な所属女優であることに変わりありません》

 所属事務所の公式サイトにそう綴られた突然の別れから、もう1年になる。

「2020年9月27日の深夜に、竹内さんが自宅マンションで倒れているのを夫の中林大樹さんが発見。病院に運ばれたものの、死亡が確認されました。遺書は見つかっていませんが、警視庁は自殺と判断。遺作となったのは、同年7月に公開された映画『コンフィデンスマンJP-プリンセス編-』です」(スポーツ紙記者)

 3日後の9月30日には、家族葬を行ったと発表された。

《あまりに突然の信じ難い出来事に、所属タレントや社員は未だ戸惑いの中にあり、この事態を到底受け入れられる状態ではなく悔やみきれない思いであります》

 事務所のコメントから、その衝撃の強さが伝わる。多くの人に愛された女優の死に、日本中が悲しみに包まれた。

獅童は「息子を引き取る」

 残されたのは、かけがえのない家族だった。

「竹内さんは2005年に中村獅童さんと結婚し、第1子の男児を出産。しかし、獅童さんの不倫騒動などがあって2008年に離婚しました。長男の親権は竹内さんが持つことになり、2019年には事務所の後輩である俳優の中林大樹さんと再婚。2020年1月に彼との間に次男が生まれ、家族4人の生活が始まったばかりだったんですが……」(前出・スポーツ紙記者)

 悲報を知って、元夫の獅童は号泣したという。周囲から“長男を引き取ってはどうか”と提案されているとの話を聞き、2020年12月中旬、週刊女性は自宅前で彼を直撃し、長男の将来について質問。すると、落ち着いた様子でこう答えた。

「中林さんの事務所には息子のサポートはするし、可能なら引き取ることも考えているとは伝えてあるよ。血がつながっているわけだから当然でしょ」

 獅童なりに長男の将来を考えたうえでの発言だろう。しかし、この内容を聞いた中林は困惑したという。

「直接会うことはなかったようですが、中林さんは2人の息子を自分が育てていくという覚悟を固めていたので、獅童さんの意向を聞いて理解に苦しんだそうです。竹内さんが父親と設立した会社も引き継いで代表取締役に就任しており、家族を守ろうという強い気持ちを持っている。下の子が幼いので、中林さんのご両親もサポートしているそうですよ」(芸能プロ関係者)

一時期は竹内結子さんと同じマンションに住んでいた親友のイモトアヤコ。'19年も誕生日を祝っていた(イモトのインスタグラムより)

 一方、12歳のときに両親が離婚した竹内さんの母親代わりだったという母方の祖母は、彼女の死にショックを受けて憔悴。コロナ禍で集まることもできず、親族の多くは気持ちのやり場を失っているという。しかしそれは、家族だけではなかった。

「親友のイモトアヤコさんは、かなり意気消沈していましたね。竹内さんの家族葬が営まれた9月30日は日本テレビ系『世界の果てまでイッテQ!』のロケだったので、その前に故人と対面し、泣き崩れたそう。当時は彼女のことを心配する声も多く、TBSラジオの冠番組『イモトアヤコのすっぴんしゃん』では“正直まだ何も整理できていないのが今の気持ちです”と胸中を吐露していました」(テレビ誌ライター)

 イモトは今年8月15日に『イッテQ!』で妊娠6か月であることを発表。今後は体調を見ながら仕事を調整することになる。

「おめでたい話題ですが、所属事務所としては、売れっ子タレントであるイモトさんの長期離脱は痛手でしょうね。産後すぐに復帰することを目標に、話し合いを進めていると聞きます」(前出・芸能プロ関係者)

イモトは「芸能界って何?」

 番組でも「スパーンと産んで、スパーンと戻ってくるので、よろしくお願いします」と語っていたが、実際は心が揺れているようだ。

“子育てに専念したいので、しばらく仕事はお休みしたい”と考えているみたい。産休・育休には数年をかけるなんて話も出ています。仕事に邁進してきた彼女がそう考えるようになった最大の理由は、竹内さんの死なんです……」(イモトの知人)

 現場では気丈に仕事をこなしているが、いまだ悲しみは癒えていない。自らを見つめ直す中で、将来について深く考えるようになった。

「明るく気さくに振る舞っていた竹内さんが突然、自ら命を絶ったことでイモトさんは“芸能界って何なんだろう”と考え込んでしまった。しばらく芸能界から距離を置きたいと思うようになったのでしょう。

 抱えきれないほどのショックを受けて、仕事を懸命に続けながらも“カメラの前で笑うことができない”“もう仕事を心から楽しめない”とこぼすようになって……。悩んだあげく、“ふつうに幸せに生きていきたい”と考え始めたようです」(同・イモトの知人)

「結子が夢に出てきたの」

 彼女のほかにも、竹内さんを偲んで思い出を語り合う人たちがいた。

「結子さんは、生きていれば今年の4月1日が41歳の誕生日でした。彼女が生きていたころは、誕生日の前後に集まってお祝いをしていましたが、今年はコロナもあって集まることはできないし、なによりも主役が不在だと集まる意味もない。

 それでも生前親しかった人たちは、ときおり連絡を取り合って、結子さんのことを話すんです。長年の付き合いだったスタッフさんは“結子が夢に出てきたの! みんなで仲よく話してるのに、私呼ばれてないよ~って言うのよ。でも、あんた死んでるじゃん、ってツッコんじゃった”なんて話をしていました」(竹内さんの知人)

 いまだ亡くなった実感が湧かず、彼女の存在を身近に感じているようだが、多くの人が同じ気持ちだった。

「結子さんが夢の中に出てきたって人がほかにもいて。みんな明るく話しているけど、亡くなったときは本当にショックでした。だからこそ、彼女の死をまだ信じられないでいる。

 1年たった今でも、いきなり彼女が現れて“嘘だよ!”なんて言ってくれるような気がするんです……」(同・竹内さんの知人)

 いつも穏やかな表情を浮かべていた竹内さん。その笑顔は消えることなく、人々の胸に残り続けている─。