コロナ禍で満足に活動できない音楽業界。現状を変えるため、GLAYのTERUが投じる一石とは?(写真:長田慶/東洋経済オンライン)

 デビュー25周年を控え、50歳を意識した際、TERUの中で“揺るぎない思い”が芽生えた。

「誰にも負けない何かひとつほしいなと思っていて。サザンの茅ヶ崎とか素敵だな、GLAYも函館でずっと歌を歌っていくのがいいな」

 GLAYは函館出身の4人組ロックバンドで、函館をテーマにした曲も多い。思い立ったらすぐに行動し、自前で函館にスタジオを構えた。

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「函館で録った歌を全国のファンの子たちに届けることが、俺が唯一できることなのかもしれない」

 アーティストの仕事をしていて最高を感じる瞬間は、「函館でレコーディングしている時」だと、間髪を入れずに答えた。

音楽業界の危機を救うべく“レジェンド”集結

 日本を代表するロックバンドGLAY。90年代ビジュアル系ブームの中で登場し、「HOWEVER」「誘惑」などミリオンヒットを連発し、歴代CDアルバム売り上げ枚数第3位の記録を所持。伝説の20万人を動員した幕張のライブ「GLAY EXPO'99 SURVIVAL」で歴史に名を刻んだ。

 1994年にメジャーデビューし、メンバー全員が50代に突入しようとしている。アーティストとしてさらに円熟期を迎えようとしていた際、エンターテインメントはかつてない逆風と向き合っていた。新型コロナウイルスの感染拡大によってデビュー25周年のフィナーレとして予定したドームツアーの中止など活動の制限を余儀なくされた。芸術・スポーツは「不要不急」と位置付けられた。

 そんな逆風に立ち向かうべく、GLAYは2021年のテーマに「エンターテインメントの逆襲」というスローガンを掲げた。

「音楽をここで止めるわけにはいかないということで、ライブを無観客で撮り、それをWOWOWで配信するところから始まり。『Live at home』と題して、自宅などさまざまな場所から配信ライブをやりました。いろいろと試行錯誤をしながらやってはきたんですが、そろそろ有観客でやらなきゃいけない時期が来るだろうと」

 ガイドラインをしっかり作って、エンターテインメントを届ける。ここから音楽業界を盛り上げていく。「エンターテインメントの逆襲」というわかりやすい合言葉を掲げてGLAYは、スタートラインに立とうとしていた。

 その思いを後押しするかのように、レジェンドバンドB'zからの共闘依頼が届いた。

 9月にB'zがオーガナイザーを務める初のRock Project<B'z presents UNITE #01>が開催された。GLAY、Mr.Childrenを迎え、2年ぶりの有観客ライブ+配信ライブとなる。

「ワクチン接種証明書」や「PCR陰性証明書」の提示など、コロナ禍を乗り越える突破口をレジェンドアーティストが切り開こうとしていた。

「なかなか若い世代のアーティストだと思い切ってやれない状況だと思う。この状況を好転させるために、20年以上やってきたバンドらが一肌脱ぐべきなんじゃないかということで、(B'zの)松本さんから声をかけていただいて。また一方では愛知のHIPHOPのイベントが大批判を食らいましたが、どこで開催しても同じような状況が起こる可能性があるんです。繰り返さないためには、お客さん、主催者、アーティストが同じ意識でしっかりとしたガイドラインをつくっていく人が絶対必要だ、ということで。B'zさんが一肌脱いでくれました」

 GLAYも11月から待望のアリーナツアーを開催する。そこで目玉になるのが10月6日にリリースさせる16枚目のアルバム『FREEDOM ONLY』だ。今作では、多様性や多面性にとどまらない多層性のメッセージが込められている。TERUによると、アルバムの裏テーマは、「青春時代に聴いてきた音楽を振り返り、その良き時代の音を未来へ繋いで行く」という思いがあるという。

最新アルバム『FREEDOM ONLY』ジャケット写真。アートワークは、GLAYとは初タッグとなるKing Gnu(キングヌー)常田大希が率いるクリエイティブチーム「PERIMETRON」が担当した。

「最近のJ-POPランキングを聴いていて、米津玄師くん、あいみょんちゃんらに感じるのが、僕らが幼いころに慣れ親しんだ歌謡曲や90年代の懐かしい音楽を現代の子たちがやっているという流れがとても心地よくて。GLAYも、高校時代に影響うけた音楽の良さを、後世に伝えて継承することを描きながら活動していたりもするので。『FREEDOM ONLY』というアルバムに注ぎ込めたのは、とても意味がありましたね」

 アルバムの曲をライブで演奏することで、「やっとここにたどり着けた」「やっとみんなと一緒に共感できる日が来た」。本来ならば一緒に歌うことが最大限の喜びだが、それが叶わなかったとしても、次に繋げていこうという目標がTERUにとって大きなモチベーションになっている。

独立後の道標となった「ビートルズの存在」

 近年、アーティスト、芸能人が独立する動きが増えている。個人事務所を立ち上げる、フリーランスになる、エージェント契約を結ぶなど、所属事務所に縛られない道を選び、多様化したエンターテインメントに合わせた挑戦が行われている。

 GLAYは、その流れが始まる2005年に独立している。新事務所を立ち上げ、楽曲の原盤権やファンクラブ運営など、GLAYに関わるすべての権利を、時間をかけて集約していった。

 GLAYにとっても“最大の転機”だったと当時を語る。

「音楽業界の流れで、インターネットの普及は切って離せない状況になってきて、音楽の届け方もCDから配信になると予想しました。そうなると自分たちですべて補える時代が来るんじゃないかと。そういう仕組みをつくっていかなければ、今後音楽で生計を立てていく若いミュージシャンたちは大変になるだろうな、という状況が想像できました。音楽を制作して、ライブして、といったことを自分たちで確立するスタイルです」

(写真:長田慶)東洋経済オンライン

 現在の多様なエンターテインメントのあり方を考えると先見の明があった。まだ独立が珍しかった2005年において、参考にしたモデルケースはあったのだろうか。

「TAKUROがいちばん参考にしていたのはビートルズでした。独立して最初に権利問題などはビートルズで勉強していて。やっぱり自分たちが制作した音楽を自分たちが管理すべきだ、と。TAKUROはすごく勉強家で、その知識が今のGLAYに脈々と培っています」

 独立した当時は、メンバーとスタッフ1人だけの出発だった。この頃の日々を回想しながら、GLAYとして得た、いちばんの財産を次のように語る。

「やっぱりファンに対して、ちゃんと温かい出来立てのお弁当を出すような(笑)。手渡しで渡すような距離感を感じられたことですね。CD制作に関してレコード会社と共同制作していく中で、マネジメントに関しては自分たちで責任を持つ。お互いをリスペクトし、ストレスなく動けることで、作品作りに集中できていますね」

 浮き沈みの多い音楽業界で10年後の想像するのも、10年以上バンド活動を続けるのも難しい世界だ。GLAYは、25年以上、1人もメンバーが欠けることなく日本の音楽業界の第一線で活動している。生き生きと活躍し、キャリアを持続するための秘訣をTERUは、どう考えているのか。

「お互いの信頼関係、本領発揮できる場所がある。そういう充実した場所があるのは大事ですけど。僕ら4人は、普段から日常会話の中でいろんな話をしているんです。ストレスを溜めずに、言ったらお互い喧嘩になるかなということでも、本当に大事なことだったらちゃんと言う。あとは、上下関係をつくらない。スタイル的に海外のような、才能を持っている人が生き生きと仕事ができる場所を目指す。もちろん失敗したこともたくさんありますけど、しっかりみんなで分析していく。お互いを認め合っている姿勢が長く続けられた要因のひとつかなと思いますね」

 GLAYのヴォーカルとして、数々の金字塔を打ち立てたTERUも今年ついに50代に突入した。50代の10年間は、また違うGLAYを作り上げていかなきゃいけないという感覚を持ちながら、先ずは30周年を見据えて、走り続けたいという。TERUは現役のラストに、どんなビジョンを描いているのか。

TERUが描く現役のラスト

「70歳まで現役をやるという目標を設定しているんです。それまでは何が何でもアリーナツアーやっていたい。海外のミュージシャンだとローリング・ストーンズやU2など、結構いますよね。あと、20年頑張りたいですね」

 そのためには、体調管理や喉の菅理などコンディション調整に細心の注意を払う覚悟だ。そんなTERUにとって、自らの理想像として、ひとりのシンガーを挙げた。

「ハイトーンでずっと歌っている小田和正さん。まさしく俺の目指すところなんです。あそこまで透き通った声で、長く現役で歌っていられるようになりたい。あの背中はすごく大きいですね」

 小田和正に憧れるように若い世代のアーティストもTERUに憧れる人は多いだろう。コロナ禍によって、若者が夢を追えなくなった時代とも叫ばれている。27年間アーティスト活動をして、“表現者としての生き様”を次世代に伝えるとしたら、どんなエールを贈るのか。

「細かいことを気にしないことが表現者にとっていちばん大事なこと。1個1個気にしていると大事なものを見失うような気がするので、やれる時にやる。何がしたいかを自分で理解していれば大丈夫なんじゃないかな。売れる、売れないはとても重要なことになりますが、ある意味くじ引きで宝くじが当たったような感じに近い部分もあるので、努力で補っていく気持ちの強さがいちばん大事になると思いますね」

 “誰にも負けない何かひとつほしい”という思いから、函館にスタジオを構え原点へと立ち返った。

 函館で歌った曲が世に放たれて、聴いてくれた人たちが「やっぱり函館で歌うと違いますよね」と言ってくれた瞬間は、かけがえのない幸せだという。

(写真:岡田裕介)/東洋経済オンライン

「TAKUROも一緒にレコーディングした時に、とても気に入ってくれて。レコーディングが終わったあとに一緒に釣り行ったりして、その瞬間も幸せを感じましたね」

 音楽を愛するという共通の思いを抱いて、集まった函館の同志。函館から始まったGLAYが紡いでいく、揺るぎない物語はどんな花を咲かせるのか。音楽を通じて”時代をつなぎ、次代をひらく”。GLAYの歩みは、これからも変わらない。


池田 鉄平(いけだ てっぺい)Teppei Ikeda
ライター・編集者 Jリーグ、国内、外資系のスポーツメーカー勤務を経て、ウェブメディアを中心に活動。音楽一家で育ち、アーティストとしてインディーズでアルバムリリースも経験。スポーツ、音楽、エンタメを中心に取材活動を行っている。