羽生結弦

 10月23日、フィギュアスケートの『グランプリシリーズ』が、ついに開幕した。

「第1戦の『スケートアメリカ』には、宇野昌磨選手やアメリカのネイサン・チェン選手が出場しました。今シーズンは来年の2月に北京五輪が開催されます。冬季五輪が控えている『グランプリシリーズ』は、普段とは違った緊張感を持って挑む選手も多いでしょう」(スポーツ紙記者)

 羽生結弦は2年ぶりの出場となり、11月12日の『NHK杯』で初戦を迎える。

「開幕を前に、参加選手が抱負を発表しました。羽生選手の抱負は“できること、一つずつ”。夢の4回転半成功に向けて、今できることを丁寧に積み重ねていく、という意味が込められています。さらに、4回転半について“今、全神経と全気力を使っている感じです”とも話しています」(同・スポーツ紙記者)

「今まで出会った言葉のなかでも、大切な言葉」と抱負を掲げた羽生結弦

 今年の3月には“あと8分の1回転、回れば立てる”と語っていたが、夢の達成は近づいているのだろうか。

中学時代から輝いていたゆづ

 羽生の地元・仙台で、素顔を知る人たちに話を聞いた。

 彼が通っていた『仙台市立七北田中学校』には、当時も在籍していた職員がいる。

中学時代から羽生くんは“別世界の人”でしたね。言葉遣いやお辞儀がとても丁寧で、立派な生徒でした。大会に出場するためお休みも多かったのですが、友人関係も築けていて、生活態度がだらしないということもない。今在校中の生徒たちも、目標にしていると思いますよ」(七北田中学職員、以下同)

 校舎内には、羽生に関するアイテムが多く展示してある。

「中学時代に獲得したトロフィーや賞状、オリンピックで金メダルを獲得したときのお祝いの垂れ幕や、'14年にメダルを獲得した後の講演会でいただいたサインや写真などを展示しています。

 '14年と'18年のオリンピック金メダルのときにPTAの出資でつくった垂れ幕は、だいぶ傷んできているので、耐用年数を考えるとそろそろはずさないといけないのですが、大きな功績を残している羽生くんですから、少しでも長く、と思って残してあります」

 現在も“4回転半達成”を幾度となく口に出しているように、当時から目標を口にしていたという。

1年生のときに“中学校の全国大会を3連覇します”と、公言していたんです。当時、それにとても驚いてしまって……。それでも見事に達成したので、さらに驚きました

 羽生の在学当時の職員は、今では1人しか残っていないが、それでもいまだに話題に上るそう。

「職員室でオリンピックの話になると、羽生くんの名前が出ます。“オリンピック3連覇を”なんて話になることもありますが、簡単なことではないですからね。でも、彼には頑張ってほしいです」

 母校からのエールを背負って、“夢”に向かうシーズンが始まろうとしている。

4回転半に挑む理由は地元のため

「羽生選手が夢への思いを持ち続けているのは、自身だけでなく“地元のため”でもあるんです。実は今、宮城県では、スケート競技の存続が危機的状況に瀕しているんですよ」(フィギュアスケート関係者)

 羽生が通っていた『東北高等学校』のフィギュアスケート部顧問で、宮城県スケート連盟事務局長を務める佐々木遵さんが、その内情を教えてくれた。

「スケート連盟には“次の羽生くんを育ててください”と、一般の方からも毎年寄付をいただいています。でも、せっかく寄付をいただいても“場所”がないんです。

 例えば、羽生くんや荒川静香さんが育った『アイスリンク仙台』は、リンクの規格自体が小さい。通常、シニアの選手が試合をするリンクは30m×60mなんですが、『アイスリンク仙台』は26m×56mしかありません。

 羽生くんが加速をしてジャンプをするポジションが、ちょうどフェンスのところになってしまうんです。ジュニアまではなんとかなりますが、それ以上になると難しい」

 シニアにも対応できるリンクは、たったひとつだけ。

「仙台の郊外にある『ベルサンピアみやぎ泉』というスポーツ競技場の複合施設にあるスケートリンクのみです。でも、そこも冬季限定ですし、この先どうなるか……。

 スケートリンクはフロンガスで氷をつくっていますが、'20年で供給が止まってしまったので、アンモニアに替えようとしており、ほとんどのリンクは“続けるのかやめるのか”という選択になっているんです。『ベルサンピアみやぎ泉』のスケートリンクもこの選択を迫られています」(佐々木さん、以下同)

 こういった状況から、選手たちの練習環境を守ろうと動いている。

「宮城県の担当者に“なんとかスケートリンクをつくってもらえないか”という陳情をしているのですが、震災やコロナの影響で、県にはお金がないようで。この25年間、お願いし続けているのですが……。

 かといって、民間でやるにも、金銭的に大変なので、なかなか手を出そうとしてくれない。

 羽生くんは一生懸命、結果を出して、寄付もしてくれています。でも、スケートリンクがないので、なかなか後進が育たず、選手の人数も少ないのです。だから、羽生くんが“宮城県にリンクをつくってください”とハッキリ言ってくれないかなぁ、なんて思うこともあります

母校には横断幕も

 活躍する選手を多く輩出していても、スケートリンクができない現状には、疑問を抱くことも。

今まで、荒川さん、羽生くん、羽生くんという順番で、宮城県出身者がオリンピックで3回金メダルを獲得しています。この冬に羽生くんが獲得すれば、4回目になる。これで、スケートリンクができなかったら、もう諦めるしかないのか、と……

 羽生くんには、頑張ってもらいたいです。スケートリンクのためにも……。でも、オリンピックでメダルをとるって、本当にすごいことですし、大変だとは思いますけどね……」

地元の人々の想いを胸に

 宮城県のスケートの未来を託された羽生を支えるべく、彼の祖父が生まれた登米市には『羽生結弦 ふ・る・さ・と応援団』がある。団長を務めるのは、地元の工業高校で教師をしていた羽生の祖父と同級生であり同僚だった、春日了剛さん。

「'14年のソチ五輪のときに“羽生結弦くんは羽生先生のお孫さんだ”というのが広まりました。それで、工業高校時代の同僚をとにかく集めて、話し合いの場を持ち、そこから形となって盛り上がってきたという感じです。

 おじいさんは早くに亡くなってしまいましたが、生前とてもお世話になったので、もし健在であれば、どんなお気持ちかな、と恩返しの意味も込めて団長をしています。北京五輪では、みんなで集まって観戦できるかはわかりませんが、結弦くんを応援しています」

 では、大切なシーズンを前に、羽生の家族はどんな思いでいるのか。仙台に住む羽生の母方の祖母を訪ねると、インターホン越しに柔らかい話し方で応じてくれた。

「彼も大人ですし、私たちは見守るだけです」

 地元の人々の思いも背負って、4回転半へ──。