セクシー女優の飯島くうがさん。想像を絶するような過酷な人生を歩んできた

 全身隙間なく埋め尽くされたタトゥーに濃いアイメイク、派手な髪色が印象的な飯島くうがさん(28)。首元には「StayGold(輝き続ける)」のタトゥー。腹部には最強の運をもたらす五黄の寅……全身は洋彫りと和彫りが入り交じりながらも、独特の調和を保っている。

「タトゥーは、10年前から入れ始めました。全部で480万円くらいかかったかな。過去には、とあるカメラマンさんの作品のモデルになり、そのときの写真が個展に出展されて、写真集になったこともあるんですよ」

 一見コワモテだが、口調は穏やか。話がタトゥーに及ぶと思わず笑みがこぼれる。

「お気に入りは、足の甲のバラのタトゥー。唯一、母親がきれいと言ってくれたものなんです」

 愛おしそうに足の甲を撫でる。セクシー女優としても人気のくうがさん。彼女の半生は、常人では想像しえない波乱に満ちたものだ。

複雑な家族関係、母親との確執

 両親の離婚、育児放棄、祖母が起こした猟奇的な殺人事件、中学時代の家出、違法薬物と2度の逮捕、度重なる中絶、レイプ被害──。

「波瀾万丈と言われるけど、私にとっては、日常だったんですよね」

 その“日常”の背景には、複雑な家族関係、母親との確執、そして深い孤独があった。

 1993年、神奈川県横浜市内で生まれた。母親のMさんは20歳でくうがさんを出産、ほどなくして離婚した。母親は幼い娘を連れて、平塚市内の実母Oさん宅に移り住む。くうがさんの祖母Oさんは、当時、娘のRさん(実母Mさんとは異父姉妹)と暮らしていたため、三世代にわたる女4人での生活が始まった。

 くうがさんが小学校1年生のとき、母親は、祖母との些細な口論がきっかけで家を飛び出してしまう。

「そのころの母親は、まさに“女”って感じ。服装も派手だし、お化粧もバッチリ、みたいな。当時の母は今の私とほぼ同い年、母であるより女でいたいと考えるのも、理解できなくもないですが……

 詳細は後述するが、紆余曲折を経て、中学1年生のとき、再び母Mさんと暮らすのだが、同居前から根深い確執があった。

「母親をすごく恨んでました。思春期には、あえて相手の嫌なことを言ったり。一時は籍を抜く、抜かないの話にもなりました。実は去年も大ゲンカをして……絶縁していたんです。そのころ、顔にもタトゥーを入れました。顔に入れたのは、母親が“そこだけは入れないでくれ”って言ったから……」

母親との確執から左目の下に入れた『SAD(悲しみ)』というタトゥー

 くうがさんの左目の下、ちょうど涙が流れる場所にあるタトゥーはSAD(悲しい)と描かれている。

おばあちゃんは、私が生まれる前から殺人犯だった

 小学1年生のとき、実母Mさんが家を出た後、くうがさんを育てたのは、祖母であるOさんだった。

「私は根っからのおばあちゃん子でした。小さいころは、おばあちゃんを“お母さん”と呼んでいましたね。そしておばあちゃんの娘、つまり私のおばさんにあたるRは、6つ上で、お姉ちゃんのような存在。3人の暮らしは、すっごく楽しかったです」

 当時の祖母の様子をくうがさんは、回想する。

「おばあちゃんは、心配性なくらいの過保護でした。私の洋服もブランドものばかり。いつもゴハンを作ってくれて、私はナス味噌炒めが大好きでした。けれど私が小4のころ、おばあちゃんの体調が悪いという理由で、児童相談所の一時保護施設を経て、児童養護施設に預けられることに。家には戻りたかったけど、施設はきれいだし、学校にも通って、みんなきょうだいみたいな感じで、友達もたくさんいてすごく平和でした。母親も徐々にですが、会いに来てくれるようになりました」

 しかし2006年5月、くうがさんが中学1年生のとき、その事件は起こった。

「お母さんがいきなり施設に現れて“おばあちゃんがRを殺した”って……」

 アパートからは、白骨化したRさん(享年19)の遺体と、首をつった男性の遺体が発見され、さらにはOさんの長男で1984年に行方不明となった男児(失踪当時6歳)の白骨化した遺体、液体化した嬰児の2体の遺体も見つかった。これが世間を震撼させた「平塚5遺体事件」である。

祖母Oさんが起こした事件を報じる週刊女性(当時)

「優しいおばあちゃんと凶悪犯のイメージが結びつかないんです」

 くうがさんは苦悶する。さらに複雑なのは、失踪したとされていた男児と嬰児の2体の遺体の存在だ。

「私が生まれる前から、おばあちゃんが彼らを殺していた、つまりおばあちゃんは、私が生まれる前から殺人犯だったんですよね。どんな気持ちでおばあちゃんは私と接していたのか……」

 言葉を詰まらせる。

「その後、事件を知る人からは、“亡くなった人の分も長生きしないとダメだよ”とよく言われました。でも私は母親とケンカしたり、うまくいかないことばかり。Rが亡くなった年を自分が超えてからは、余計にプレッシャーを感じ、生きる意味がわからなくなった。母とケンカするたびに、“私がRの代わりに殺されたらよかったんだ!”と口にしていました

 事件後、くうがさんの人生は、さらに壮絶さを増した。

「事件後、中1で養護施設を出て母親と暮らしたのですが、折り合いが悪くて、即家出しました。地元で声をかけられた男の人の家についていったら、複数人に羽交い締めにされて、覚せい剤を打たれて、軟禁されたんです。正直、記憶は曖昧なのですが、1か月間、ほぼ毎日性的暴行を受けていました

 体重は30kg台まで減り、命からがら帰宅したくうがさんを待ち受けていたのは、児童相談所のケースワーカーと大勢の警察だった。

「帰宅した翌朝、覚せい剤使用で逮捕されました。取り調べでDNA検査があったのですが、警察の人から“殺人犯のおばあちゃんのDNAを受け継いでいるかもしれないからね”と言われたことは絶対に忘れません。私は当時13歳だったので教護院(児童自立支援施設)に送られました。ここでの生活は地獄、教員のイジメや体罰が日常茶飯事だったんです」

死なないでいられる日を積み重ねているだけ

 中学3年の3月に出所。

「その後、母と母の彼氏の部屋に住んだのですが、家出をしました。また悪い男と覚せい剤に出会ってしまった。その後、違法薬物の使用がバレて、また逮捕されたんです」

 逮捕時、15歳の少女のお腹には、小さな命が宿っていた。

「医療少年院に送られました。出産しても育てられないので、中絶を……。おばあちゃんの事件、中絶などが重なったのか、完全にメンタルを病んでしまったんです」

 17歳で医療少年院を出所、18歳で風俗店で働きだした。交際相手との間にできた子を5回、中絶した。当時は精神的に不安定で、自殺未遂を繰り返す。その数、50回以上。

「21歳のときは、中期中絶もしました。私は産みたいのに母が猛反対したんです。悩みに悩んだ末、人工的に陣痛を起こして、出産。死産扱いになるんです……。ビニール袋に入れられた赤ちゃんを自分ひとりで火葬場に持っていったときは、“人生、終わったな”と思いましたね」

母親との確執、最愛の祖母の逮捕と叔母の死。家族はバラバラになった

 その後、風俗業のかたわら'15年、22歳で自らAV業界入りを志願。その全身タトゥーのいでたちは、好事家たちの間で話題となった。

ずっと飯島愛ちゃんに憧れていたんです。この芸名も、愛ちゃんから頂きました。AVのお仕事も、最初は順調でしたが、“AV女優だから何をしてもいい”と勘違いする男も少なくありませんでしたね。一度は、クラブで“AV女優でしょ、5万でヤラせろよ”と言われてレイプされました。友達に相談しても“なんで逃げなかったの?”と言われたし、警察での事情聴取は、あまりに事細かに聞かれるのがつらすぎて、被害届を出すのを諦めてしまいました」

 被害に加え、友人や警察の心無い言葉に折れた。それでもなお、性風俗やAVは続けていくと語る。

「エロって答えがないじゃないですか。私は、AVや風俗の仕事を通じて、女でいることや性について追求していきたいんです。ゆくゆくはYouTubeのチャンネルも開設したいですね」

 過酷な環境を生き延びたくうがさんを周囲の人は、「強い」と賞し、褒め称える。しかし当人は首を横に振る。

「今も眠剤がないと寝れないし、引きこもる日もある。つらいことを思い出したときには、睡眠薬を少し多めに飲んで寝逃げをしてやり過ごすしかないし、病院で採血されるときには、針のチクッとした感覚で、覚せい剤をしていた記憶がフラッシュバックする。今日一日、今日一日、と死なないでいられる日を積み重ねているだけです」

 とはいえ、かつての自分のように悩み、苦しんでいる10代の女の子には、どうしても伝えたいことがある。

「つらいことがあったら逃げていい、と伝えたいですね。子どものころって、家や学校が世界のすべてだと思ってしまいますが、そんなワケない。学校なんて別に行かなくていいし、病んで死んじゃうなら逃げていい。とりあえず生き延びていれば、そのとき助けてくれる人も現れるから」

 現在、母親Mさんとの関係は、比較的良好だという。

「母がある日、“あなたも変わったね、成長したね”と言ってくれたんです」

母親に褒められたというお気に入りのバラの柄のタトゥー

 しかし今も心にわだかまりが残るのは、祖母のこと。

「会いたいですね。現在は出所して、生活保護を受けていると聞きました。なぜおばあちゃんが、おばさんを殺したのか、本当にわからない。本当の理由を知りたいんです」

 また取材時、くうがさんは、こんな言葉も口にした。

「過去に起こったことは変えられない。でもそれも価値あるように感じるんです。たしかに苦労したけど、その過去は自分にしかないものだから」

 その体験をひとつひとつ言葉にしながら、くうがさんは今日一日を生き延びている。

飯島くうがさんの生い立ち

▼3歳のとき両親が離婚。祖母のOさん、母親Mさん、母親の異父妹Rさんとの家庭で育つ。

▼小学1年生のとき、Oさんとの口論の末、母親が家を出る。以後、3人で暮らし始める。

▼Oさんが病気になり、養育が困難になったため児童相談所の一時保護施設を経て、児童養護施設に入所する。(途中からOさんと音信不通に)

▼小学6年、11歳年上の男性と交際。

▼中学1年生のとき、Oさんが殺人・死体遺棄の疑いで逮捕される。自宅からRさん、行方不明になっていたという母親の弟、赤ん坊2人の遺体、その部屋を借りていたという男性の5人の遺体が発見される。遺体はOさんが殺害したとされていた。

神奈川・平塚5遺体事件 相関図

▼同時期に児童養護施設を出て母親に引き取られる。母親との相性は悪く家出を繰り返す。その後、家出中に出会った男性から無理やり覚せい剤を注射され性的暴行。その後、逮捕され少年鑑別所に入れられる。教護院(現在の児童自立支援施設)に入所する。入所していた約2年間職員、入所者からのイジメにあう。

▼中学3年生のときに出所。覚せい剤ほか違法薬物の使用を繰り返す。無免許運転の物損事故で逮捕され約2年、医療少年院に入所する。このとき、妊娠しており、15歳で中絶。精神的に不安定になる。

▼17歳で出所後、母親に引き取られるも再び家出する。

▼18歳で風俗店に入店。21歳で中期中絶(死産)。

▼精神のバランスを崩していたことや、祖母の事件のこともあり自殺未遂を複数回繰り返し、日常的にリストカットを行う。現在までに5回中絶、1回死産を経験する。

▼22歳のときにセクシー女優としてアダルトビデオデビュー。現在は新宿区の風俗店に勤務する。

(取材・文/アケミン)