大正から令和まで4つの時代を生きた瀬戸内寂聴さん(享年99)

 大正から令和まで4つの時代を生きた瀬戸内寂聴さんが11月9日、心不全のため京都市内の病院で亡くなった。

愛した、書いた、祈った

 生前、墓碑に刻む言葉をこう決めていた寂聴さん。この言葉どおり、不倫や出家など波瀾万丈な人生の中、生涯で400冊以上の著書を執筆。愛に生き、多くの人に愛された99年間だった。

元気の秘訣は“牛肉を食べること”

東京女子大学在学中だった20歳のときに結婚。2年後に長女を出産するも、夫の教え子だった文学青年と不倫関係に。夫と子どもを捨て、京都へ駆け落ちをする……と、若いころから奔放な女性でした」(出版関係者)

 正式に離婚が成立すると小説家を目指し上京。'57年に新潮同人雑誌賞を受賞したことで作家デビューを飾る。

デビュー作『花芯』は肉体の悦びに目覚め、子宮の命ずるまま生きていくもようを描いていたため、“子宮作家”のレッテルを貼られることに。

 '16年には映画化されるなど近年評価が高まっていますが、当時は過激な描写が問題視されてしまい、5年間ほど文壇で“干された状態”になったと、のちに本人が明らかにしました」(同・出版関係者)

 自身の不倫をモチーフにした小説『夏の終り』で'63年に女流文学賞を受賞すると、人気作家の地位を確立。その後、小説家・井上光晴との不倫関係を断ち切るために、'73年に出家をする。

京都市嵯峨野に開いている寺院『曼陀羅山寂庵』では、定期的に写経や法話の会を開催。生の寂聴さんに会いたいと、全国からファンが訪れていた

出家後にも、元気の秘訣は“牛肉を食べること”と明言。赤ワインを飲むときの口直しがビールだと番組で披露したときはSNSで話題になりました。

 豪快に見えますが、実際に飲むのは赤ワイン1~2杯程度。お酒が好きというよりは、会食の場に参加するのがお好きという印象でしたね」(テレビ局関係者)

 肉と酒のほかに目がなかったのが“イケメン”だった

晩年も“男性と肉体関係を持てなくなって寂しい”と冗談交じりで語るなど、最後まで女性であることを忘れていませんでしたね。取材で会ったイケメンカメラマンを気に入り、一時は“専属カメラマン”にしていたほどです」(寂聴さんの知人)

人がどう思おうが、自分がしたいことをする

 流行にも敏感で、86歳のときには“ぱーぷる”名義でケータイ小説にも進出。

ペンネームは長年携わってきた『源氏物語』の作者である紫式部から。晩年を支えた66歳年下の女性秘書のすすめもありインスタグラムを始めるなど、新しいカルチャーも積極的に取り入れていましたね」(前出・出版関係者)

 '12年に週刊女性で寂聴さんを取材した、フリーライターの成田全さんもこう振り返る。

いきものがかりのボーカル・吉岡聖恵さんが先生のファンだったことから交流が始まったそうで、彼女たちのコンサートに行ったことをうれしそうに話されていましたね。雑誌を渡したときも芸能ニュースにまで目を通し、独自の視点で意見をおっしゃっていて、好奇心の塊のような方だという印象を受けました

11月11日、いきものがかり水野良樹(左)はSNSで寂聴さんとの思い出を投稿

 テレビ番組で密着取材を受けた際には、

人がどう思おうが、自分がしたいことをする

 と語っていた寂聴さん。人間味と愛にあふれていたからこそ、彼女の言葉は多くの人の共感を呼び、時代を超えて語り継がれていくだろう。