森口博子(左)と井森美幸(右)

 現在53歳。ともに'80年代半ばに歌手としてデビューし、今なお輝き、愛され続ける井森美幸と森口博子。時代とともにテレビ番組のメンツが入れ替わっていく中で、2人はいつまでも古くささを感じさせない。そんな彼女たちの魅力について、ライター・てれびのスキマさんが解説する。

“伝説”の井森ダンス

「弊社と致しましてはあのVTRは、すごい大事な重要なコンテンツだと考えておりますので、一旦あのVTRはぜひちょっとみなさんには一度忘れていただければ幸いかと思っております」

 2015年4月29日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS)で、もはや“伝説”となっている井森美幸のホリプロスカウトキャラバン・オーディションでのダンス、通称「井森ダンス」が“封印”されているという噂の真相が事務所のマネージャーから語られた。

 そう、井森ダンスは封印されたのだ。今年放送された『千鳥のクセがスゴいネタGP』(フジテレビ)に井森が出演した際もこのダンスの話題になり、「改めて用意しました」とVTRを振ろうとすると「え、え? ちょっと待って! 会社がいいって言った? 会社が今は寝かせようって言って寝かせてる!」と慌てる井森。

 結局、VTRが始まると井森の格好をして踊っているのは島田珠代だったが、約7年間、封印されているため、もうひとりのゲストである17歳(当時)の俳優・藤原大祐は「井森ダンス」の存在を知らなかった。時間の流れ、というものを実感する。

 彼女を形容する「バラドル」という言葉も死語になって久しい。だが、井森美幸や森口博子といった“あの時代”を生きた「バラドル」たちはいまも変わらず元気だ。

 たとえば『有吉ぃぃeeeee!』(テレビ東京)に「紅一点ゲスト」として井森が出演。有吉と対等にわたりあえる女性ゲストは数少ないため貴重な存在だ。

 彼女は『桃太郎電鉄』に挑戦。操作方法すらおぼつかず、ゲーム知識も乏しい井森は、序盤からずっと貧乏神に取り憑かれ、可哀想なほど散々な仕打ちを受け続け、ダントツ最下位。他のメンバーからいいようにカモにされ、さらに貧乏神が「キングボンビー」にもなる不運が続く。

 やがて、貧乏神が2倍のお金でカードを勝手に買ってくる余計なお世話なことをするも、その結果「銀河鉄道カード」という超レアカードを手に入れる。井森はわけもわからないまま高額のプラス駅に止まり続け、一気に形勢逆転。そのまま、まさかの大大大逆転優勝を果たし、その類まれな強運で盛り上がりに一役買った。

 井森美幸は、アイドル全盛の'80年代半ば、「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」という秀逸なキャッチコピーでデビューしたが、アイドル歌手としては鳴かず飛ばず。山瀬まみの後を追うようにバラエティーに活路を見出していった。井森がそれを実感していったのは「マイク」の種類によってだった。

 アイドルの仕事は歌うからハンドマイクが多い。だが、バラエティーになるとピンマイクになるのだ。「ハンドマイクの仕事、今月は4本か……」などと思い悩んでいたが、いつしかピンマイクをつけながら、「ああ、私はこれで生きていくんだ」と決心した。
その芸風は、『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』(フジテレビ)で梅小鉢・高田が井森をモノマネした際のタイトルが端的に示している。

「生放送終了まで残りわずか5秒にかかわらずしっかり爪痕を残す井森美幸」

 その場その場の最適解を常に叩き出している。

 マツコ・デラックスは事あるごとに彼女たちを評価しているひとりだ。たとえば山瀬まみが聞き手のラジオ番組に出演した際はこのように語っている。

「アタシね、ピンクの河童の山瀬さんを見るたびに凄いなって思うの。あと、井森さんのモンダミンね。やっぱり続けるって大事よっていうね。今いる場所で精一杯のことをすればいいのよ。そしたらまた、それを見てたどなたかが、こういう流れもありますよって導いてくれたりするから。

 決めるのを否定はしないわよ。こうありたい、こうなりたいっていって、それに向かって努力するのもひとつのやり方だと思うけど、意外と流れに任せて、差し出された手に身を委ねるっていうのも意外とうまくいく」(『らじおと』'18年3月2日)

 その言葉どおり井森は「そんなに自分ができるやつだって思うのやめようと思った」と語っている。

「確かに、自分で前の日シミュレーションするけど、全然できなかったって、あるわけ。でも、結局あの場に行ったら、あの日できたことはあれが最高だったんだ、おやすみなさい。そうやって寝るようにしてる」(『ボクらの時代』'19年6月16日)

 自分がその場でできることだけを一生懸命にやる。それをひたすら続けるだけだ。すると自分でも気づいていない自分の魅力が溢れ出てくるのだ。人は時にそれを「運」と呼ぶ。運は待っているだけではやってこない。自分で引き寄せるものなのだ。

 彼女は菊地亜美に「むやみやたらにMC目指すな」「私は一回も目指したことない」とアドバイスしたという。地に足がついている。いや、地に足つけざるを得ない道を歩み続けてきた。だからこそ、絶大な信頼を得ているのだ。

夢を現実にしてきた森口博子

森口博子

 一方、森口博子に対してはマツコは「森口博子さんって聞くだけでなんかほっこりする」と語っている。それに対し「ほっこりするし、ちょっと寂しいよね」と有吉弘行が補足するとマツコは続けて言う。

「でもその寂しさっていうのが、私に生きる勇気を与えてくれるのよ」(『怒り新党』'14年6月18日)

 デビュー曲である『機動戦士Ζガンダム』のOP曲「水の星へ愛をこめて」はスマッシュヒットを記録するもその後は鳴かず飛ばず。事務所からは「才能がないから福岡へ帰れ」とまで言われた。

 けれど、森口は諦めなかった。「なんでもやります」と言うと、顔と名前を売るためにバラエティー番組に進出。『鶴ちゃんのプッツン5』(日本テレビ)で「オスのロバを口説け」というムチャブリにも「ロバリン」と耳に息を吹きかける機転を見せ、一気に「バラドル」としての才能を開花させた。

 '90年代初頭にはレギュラー12本、毎日レギュラー番組が放送されるという絶頂期を迎えた。けれど、森口の夢はあくまでも歌手だった。その思いが届いたのか、23歳のとき『ガンダムF91』の主題歌を歌いオリコンチャートベスト10入り。

 以降『紅白歌合戦』(NHK)に6年連続出場を果たすこととなった。その後も『ガンダム』シリーズの歌を歌い続け「ガンダムの女神」と呼ばれるようになった。

「4歳のときも、『歌手になりたい』じゃなくて、『絶対なる』って決めてたので、そうやって思っていた仕事は全部現実になってきているんです」(「LINE BLOG」'16年11月19日)

 森口にとって「夢」とは、願うことではなく、決めることなのだ。「生涯、発展途上の現役でありたい」(「Real Sound」'19年8月23日)とその不屈の精神は50歳を超えても衰えることを知らない。

「日常に欠かせないのは、喉のためにマスクと、エゴサと。私にとってマスクとエゴサはブラジャーの感覚です」(『サワコの朝』'18年12月8日)

 と自らを客観視することも忘れない。森口博子の大ファンだという又吉直樹は彼女の魅力をこう語っている。

「明るいだけの人はいっぱいるじゃないですか。暗い人もいるんですけど、明るいけど暗い人のことも置いていかない明るさ。暗い人にも優しい明るさ」(『モシモノふたり』'17年1月18日)がある、と。

 そんな部分が「勇気を与えてくれる」要因なのだろう。 

 方向性は違えど、ブレずに地に足がついた活動をしている2人。だからこそ、いつの時代も「古さ」を感じさせないに違いない。

〈文/てれびのスキマ〉