美智子さまと愛子さま

「愛子には1人の皇族として立派に育ってほしいですし、名前のように、人を愛して人からも愛され、人を敬い人からも敬われるような人に育ってほしいです」

 愛子さまのご誕生に際した記者会見で、父となった天皇陛下(当時皇太子さま)はそう述べられた。

12月1日、愛子さまは20歳をお迎えになりました。小学生のころには児童同士のトラブルにより通学への不安を訴えられたり、中学時代には体調不良で約1か月半にわたり学校を欠席されるなど、この20年は決して平坦な道のりではありませんでした。こうしてお健やかに成年皇族となられることをうれしく思います」(皇室担当記者)

掘り返される皇族の記者会見

 誕生日当日は大学の授業があるため、成年行事は5日に行われる。

「成年に伴う記者会見は来年3月に開催される見通しだそうです。皇族方の記者会見は、誕生日より前に行われるのが慣例ですが、今回は雅子さまのご意向や、愛子さまの学業事情が反映されたとか」(宮内庁関係者)

 会見では、事前に提出された質問のほか、関連質問では記者からの問いにアドリブで回答される必要がある。

人生初の会見に臨むにあたり、内容や立ち居振る舞いなどを、母娘でしっかりと対策したいとお考えなのでしょう。

 雅子さまは近年、公務や宮中祭祀にお出ましになる機会が増えてお元気になられた印象ですが、現在も変わらず『適応障害』の療養中。ご体調に無理のない範囲での準備を進められる状況です。

 さらに、年明けに大学の課題提出や試験を控える愛子さまは、これからお忙しくなります。それらを考慮し、十分な準備期間が必要だったのでは」(同・前)

 記者会見でのご発言が掘り返されることは多く、慎重になられるのも無理はない。

「秋篠宮家の場合、眞子さんが皇族という立場について“ときには不自由に感じることもないことはございません”とコメントしたり、佳子さまが、秋篠宮さまとの関係性について“日常的によく口論になってしまいます”と告白。このようなご発言が記録として残り、月日がたってから取り沙汰されることもあります」(皇室ジャーナリスト)

 約3か月後の会見に向けて準備中だと思われる愛子さまだが、5日に行われる成年行事の支度は整っている。

「当日お召しになる『ローブモンタント』という襟の詰まった白いドレスを仕立てられました。初めて身にまとわれた愛子さまは鏡に映るご自分の姿に、はにかまれていたそうです。その様子をご覧になった両陛下もあふれんばかりの笑顔を見せられていました」(侍従職関係者)

 一方、ティアラは新調せず、愛子さまの叔母にあたる黒田清子さんのものを借用される。

「コロナ禍に苦しむ国民がいる中で高価なティアラを作ることはふさわしくないと、両陛下と愛子さまで話し合って決められたそうです」(同・前)

愛子さまが「第三者」から注意を受けた理由

 文化学園大学客員教授でジャーナリストの渡邉みどりさんは、こう感嘆する。

「物を大切にされるのは、皇族方のライフスタイルの特徴です。雅子さまが、秩父宮妃勢津子さまのお形見のネックレスを着用されたり、若き日の紀子さまが、香淳皇后から美智子さまへ受け継がれた丸帯を身に着けられたこともありました。今回、ティアラを新調せずに国民と心の交流が持てたことは、若い女性皇族として素晴らしい一歩だと感じます」

 成年行事の当日は、ドレスとティアラ姿で皇室の先祖が祀られている皇居の宮中三殿を参拝後、女性皇族の中で最高位の勲章『宝冠大綬章』を天皇陛下から授与される。午後に改めて、両陛下と上皇ご夫妻に挨拶されるご予定だ。

「上皇ご夫妻は、'20年3月に皇居からお引っ越しされて以来、愛子さまとの再会は約1年8か月ぶりだと思います。久しぶりのご対面とあり、楽しみにしていらっしゃるのでは」(前出・皇室担当記者)

'19年3月、静養のため長野駅に到着された皇太子ご一家(当時)。愛子さまは“美智子さまスタイル”のケープをご着用

 美智子さまは、74歳のお誕生日に際した文書で、まだ6歳だった愛子さまについて

《もしかしたら愛子と私は物事や事柄のおかしさの感じ方が割合と似ているのかもしれないと思うことがあります》

 と、綴られたことがある。当時、愛子さまから“ババさま”の愛称で慕われていた美智子さま。孫の成長のため、水面下でアクションを起こされたこともあった。

 '14年4月、中学に進学された直後の愛子さまが、学内のイベントで鼻をかんだティッシュを近くの大人に捨てさせたと報じられたときのことだ。

「そのことをお知りになった美智子さまは、宮内庁の和歌御用掛に、愛子さまをそれとなく注意していただいたそうです。親族からの指摘よりも、尊敬する第三者からのご注意のほうが、愛子さまにとって効果的だとお考えになったのでしょう」(渡邉さん)

 一歩離れたところから導かれるだけでなく、大切なことは対面でレクチャーされた。

「愛子さまが小中学生のころから、戦争をテーマに会話されることがあったと聞きます。経験の継承がいかに大切かを学ばれた愛子さまは、中学の卒業文集に原爆の悲惨さや平和の尊さについて綴られました。作文をご覧になった美智子さまは、孫の成長を実感し、とても喜ばれたといいます」(前出・宮内庁関係者)

 おふたりの心の絆は、目に見える形にもなっている。

美智子さまが抱かれる「2つの憂慮」

「愛子さまも美智子さまを尊敬し、影響を受けていらっしゃいます。数年前、愛子さまが“美智子さまスタイル”の代表であるケープ姿でお出ましになったことがありました。おばあさまのファッションをまねされたのだと思います」(渡邉さん)

 愛子さまが美智子さまを祝福されたことも。

「'19年3月には、上皇ご夫妻のご成婚60周年を記念した昼食会で、愛子さまから美智子さまに花束を渡される一幕もあったといいます」(宮内庁OB、以下同)

 さぞ密接に交流されてきたのかと思いきや、

愛子さまが誕生された翌日、美智子さまはお見舞いのため宮内庁病院へ('01年12月)

「美智子さまは、愛子さまご自身の意思とご両親である両陛下の方針を大切にしたいとお考えのため、直接ご指導する機会はそれほど多くありませんでした。久々の面会では、美智子さまから愛子さまへ、皇族としての心構えも説かれるのではないでしょうか」

 まだ若き内親王に対して、美智子さまは2つの憂慮がおありのようで……。

「1つ目は心身の健康です。美智子さまは『失声症』を患ったご経験があり、眞子さんが『複雑性PTSD』を発症されたことにも心を痛めておられました。愛子さまがお健やかに公務をこなせるように“自愛”の必要性を唱えられることでしょう」

 公務を通して国民と心を通わせる皇族方にとって、ご健康は第一優先だろう。

「2つ目は国民感情。眞子さんの結婚騒動を機に、皇室のあり方について疑念を抱く人が増え、皇室全体への風当たりが強くなってしまいました。今後、内親王として多くの公務を担われるであろう愛子さまに対し、国民へ寄り添う“慈愛”の心について改めてお伝えになると思います」

 美智子さまからの教えを胸に、愛子さまは新たなステージへ羽ばたかれる─。