※写真はイメージです

 さまざまな理由から成人した娘や息子を介護する親たちがいる。だが、最愛の子の死を願うほどに追い詰められるケースは珍しくない。20年以上にわたり、そうした親子と数多く関わってきた株式会社『トキワ精神保健事務所』所長の押川剛さんに実態を聞いた。

「子どもを殺したい」

 11月17日早朝。千葉県旭市の住宅街で発生した放火事件。住宅の焼け跡からはこの家に住む大橋芳男さん(享年67)が遺体で発見された。

「長男・芳人さん(享年32)は搬送先の病院で亡くなりました」(捜査関係者)

「火をつけた」と認めたため千葉県警は翌日、現住建造物等放火と殺人の疑いで芳男さんの妻・大橋とし子容疑者(逮捕当時65)を逮捕した。

「警察の取り調べに対し、介護に疲れたと供述しているそうです」(全国紙社会部記者)

 芳男さんは3人家族。芳人さんには重度の障がいがあり、芳男さんも病気で倒れ、2人は寝たきりだったという。足の悪いとし子容疑者が2人を介護していたとみられる。

 だが、この家族は社会から孤立していたわけではない。

 同市の福祉担当者は言う。

「亡くなった芳人さんは福祉のサービスを受けていました。介護を担当する事業所からも見守りの不備などの報告はされていません」

 とし子容疑者のSOSは届かず、結果として最愛の夫と息子を手にかけた─。

(C)押川剛 鈴木マサカズ/新潮社

 ドキュメンタリー漫画『「子供を殺してください」という親たち(漫画・鈴木マサカズ)』の原作者で株式会社『トキワ精神保健事務所』所長の押川剛さんは憤る。

「そもそも高齢の女性が寝たきりの2人を在宅で介護することは不可能だと素人でもわかるでしょう」

 例えば夫か息子のどちらかを施設や病院で介護していたら、とし子容疑者の負担は軽くなり、こんな悲しい事件は起こらなかったのではないか。

 旭市の事件は氷山の一角にすぎない。子どもに病気や障がいがあり、高齢の両親が介護をせざるをえないケースは今後、増えていくという。

「私たちに相談してくる親は子の長期ひきこもりや依存症、精神疾患に悩んでいます。子どもにお金を無心されたり、暴力に耐えられず追い詰められ、家族の将来を悲観する。結果、“子どもを殺したい”“心中したい”と考える。親たちは包丁を手に子どもの首筋を眺めたことがある、ロープや灯油を買った、そんな話を打ち明けてきます」(押川さん、以下同)

 追い詰められた親子と実際に関わったエピソードを取り上げた同作は現在10巻まで刊行されている。

「漫画は相談から顛末まで一連の流れで取り上げています。医療などにつなげて終わりではなく、当事者や家族がどんな人生を歩んでいくかまで描いています」

 そこにはめでたしめでたしでは終わらない、いびつな結末が数多く紹介されている。殺害は免れても、親子関係が壊れることも珍しくない。

「特に精神疾患は誰でも患う可能性があります。それに精神的な障がいや病気の症状や実態を知らない人は多く、家族が気づいていないことがあるんです」

 だが助けを求めてもすぐに適切な支援や医療につながるわけではない。むしろ行政は介入を躊躇するのが実態だ。

「極端な例を言うと、相談に来た両親に“お子さんに1か所刺されたくらいじゃ行政は本格的に介入してくれない。5か所刺されてようやく動きます”などと伝えることがあります。そのくらいの事件が起きないと動かない」

事件と現実は“薄皮一枚”

 少子高齢化、社会保障費の増加、介護者不足。障がい者や高齢者の介護は民間団体の委託がほとんどを占め、在宅での支援を推進している。

「これこそ多様性社会を望む国民が求めた結果です。個人の尊厳を大切にすることは素晴らしいこと。行政も個別にきめ細かなサービスをしようと心がけているのも事実だと思います。ですが各家庭と個人の人権を守りながら支援をするには、人員も予算も足りない。

 一方で今は、家庭や地域で見守ることこそが“善”であり、病院や施設に入れることは“悪”とされている。だから行政は自分たちが扱えないケースは最初から手をつけない」

暴力をふるう精神疾患のある息子とその家族の同作1巻1話。家族は息子と離れる選択をした(新潮社提供)

 余計な仕事を増やさないように介護支援者は当事者と家族からのSOSは見て見ぬふりをせざるをえない。親は苦悩し、孤立化するのだが。

「孤立した果ての事件ではなく、むしろ国の方針が、積極的に家族を孤立させ事件で解決させる。地域共生と言われても、行政も手を引く問題に地域住民が手を貸せるはずもない。結局、家族の問題は家庭で落とし前をつけてくれと押しつけるんです」

 押川さんはある当事者家族の事例を語った。

「認知症の70代の両親と精神疾患のある40代次男を、同居する長男が面倒を見ることになったケースです」

 次男は受診をせず、自宅にこもり両親が介護していた。だが相次いで認知症を発症。長男が次男の面倒も見ることになったが入浴を拒否し悪臭を放つ彼を疎ましく思い、食事を満足に与えず、おまけに殴る蹴るの暴行。その家には両親の介護でヘルパーが出入りしていたが……。

「“介護で入っているだけ。それ以上のことはやらない”と言っていました。だから私は“実態を知っているのだから役所に報告する義務があるだろう”と責めました。事業所の所長に連絡しようとしたらヘルパーから“私がクビになります、押川さんだけでとどめてくれないか”と泣きつかれました。これが行政から民間業者に支援を委託したことによる実態です」

 そして、こうした家族の共通点は子どもを何十年も放置。親が元気なうちに根本的な解決をしてこなかったこと。

「身近な人が受診や公的機関への相談をすすめても“自分たちで何とかする”と拒否する。それで最悪になってから腰を上げても誰も助けません。結果として、殺す殺されるまで追い詰められる」

 そうなる前に助けを求められれば運命は変わる。

「重要なのは病気の知識を持っておくことです。私の原作漫画は絵でわかりやすく事実を伝えているので“うちと一緒”だと気づき、この漫画を読んでぞっとした、という声も聞きます。事件と現実は薄皮一枚。越えるか越えないかは知識や想像力の差でしかない」

 押川さんは問題が家庭内にとどめられ、社会問題化されずに自己責任論ばかりが強調されることを懸念する─。

 同作中にはこんなセリフがある。

《子供を殺してくれませんか……。子供が死んでくれたら……子供が事故にでも遭ってくれたら……》

 とし子容疑者は警察の調べに対し、「長男を殺すつもりはなかった」など容疑の一部を否認しているという。

お話を聞いたのは
株式会社『トキワ精神保健事務所』所長
押川剛さん

リモートで取材に応じる原作者の押川さん

 1992年前身のトキワ警備を創業。'96年より精神障がい者移送サービスに業務を集中。病識のない当事者らを対話と説得で医療につなげるスタイルをつくる。『「子どもを殺してください」という親たち』『子供の死を祈る親たち』(新潮文庫)ほか著書多数。