神田沙也加さん

 12月18日に急逝した女優・神田沙也加さん(享年35)の密葬を終え、21日午後5時頃に神田正輝(71)と松田聖子(59)が揃って報道陣の囲み取材に応じた。娘・沙也加さんのお骨と位牌を持ち、沈痛な面持ちの2人――。

 父の神田は、「大変申し訳ございません。ありがとうございます。本当に身内の近親者のみでお別れ、そして納骨というかお骨にすることができました。皆さんご協力ありがとうございました。

 ただ、今はあまり2人とも話すようなことではないので、しばらくの間、そっとしておいていただけたら、ありがたいと思います」と、気丈にコメントを述べたが、母の松田は絞り出すような声で「本当に皆さん、お寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」とだけ言い、深々と頭を下げた。

母子で洋服の貸し借りを

 あまりに有名すぎる両親を持ち、生まれながらにして過度な注目を浴びて育った沙也加さん。生まれた直後にはCMのオファーが20件も来たという。

 行事で松田が学校に来るたびに警備員が配備され、小学校の運動会の様子がワイドショーで放送されることもあった。'97年に両親が離婚して、4回も中学を転校したことも。スポーツ新聞の芸能記者は言う。

「両親、特に母親はスーパーアイドルですから、沙也加さんは良くも悪くも母親の大きな影響を受けて成長したと思います。ただ、本人が『反抗期はなかった』とインタビューで答えていたので、外野から勝手に想像するよりも、母親との関係は良好だったといいます。

 高校生のときから甘めのロリータ服が好きな沙也加さんはリボンやフリル、カチューシャ、ワンピースなどをたくさん持っていて、母子で洋服を貸し借りし合うこともあったそうです。かわいくてファンシーなものが好きで、サンリオやリラックマなどのグッズもたくさん集めていました

 もともと『セーラームーン』にハマって以来のアニメ好きで、オタク気質。声優を目指して両親と同じ芸能界に入るのは'01年だが、高校卒業後の'05年から約1年半は芸能活動を休止。その休業期間は「懐石料理屋とダイニングバーでアルバイトをしていた」と、のちに明かしている。

「そもそも、そうした経験を積んだのは、労働の尊さを改めて実感するためと、自分がいつか生むかもしれない子どもにお金の大切さや社会でのいろいろな経験を教えたいという気持ちがあったから。自らの特殊な育ちにより、自分と世間とは感覚のズレがあるかもしれないからこそ、今きちんと経験を積んでおくべきだと努力していたんです。

 懐石料理屋ではホールを担当し、調理の手伝いもトイレ掃除も、頼まれることは何でもこなしていました。ダイニングバーではワンフロアを任され、水割りやカクテルを作って提供していたそうで、接客の仕事が楽しく、自分に向いていると思ったため、本気で正社員になろうかと悩んだ時期もあったとか」(芸能プロ関係者)

“おひとりさま”上手な一面

 '06年12月に「神田沙也加」として芸能活動再開。歌手や声優、ミュージカル女優として活路を見出し、徐々に頭角を現していった。

 舞台などの番宣でバラエティー番組に出演するときなどは、ラーメン愛を語るなど一部のプライベートも披露している。特に母親の出身地である博多系のとんこつラーメンが大好物だったという。

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「沙也加ちゃんは週に3~4回はラーメンを食べるほどのラーメン好き。思い立ったらすぐに食べたくなるため、ラーメン屋だけではなく牛丼屋や焼肉屋にもひとりで行くタイプ。気になった店にふらっと入ってランチをすることも多かったようです。

 ひとりで映画を観たり、カラオケやゲームセンターに行ったり、旅行に行ったりするのもやすやすとこなしていました。沙也加ちゃんはフットワークが軽く自由な“ひとり上手”な人でした。

 また、ラーメン好きなぶん、体型や体調をキープするため健康オタクでもありました。ラーメン以外の食事の際は、自炊でも外食でもいつも栄養バランスを気にしていると話していました。朝から晩まで1日中街をブラブラと歩き回ることもあり、いい運動になるからと、積極的に散歩していた印象です」(ファッション誌編集者)

 最近では「聖子の娘」「親の七光り」という印象も段々と薄れ、独自路線を突き進んでいただけに、残念でならない。