映画『アナと雪の女王2』スペシャルイベントでの神田沙也加さん('19年11月)

 昨年12月下旬の夜。都内のレンタルスタジオから、神田沙也加さん(享年35)の元夫で俳優の村田充(44)が出てきた。村田は一緒にいた男性と笑顔で話していた。その表情は悲嘆に暮れているように見えなかったが、もしかすると無理をして笑っていたのかもしれない──。

最愛の娘を亡くし、紅白欠場を決めた松田聖子

昨年12月下旬、舞台稽古を終えて帰路につく村田。隣にいた男性と談笑していた

 この日から遡ること1週間ほど前、村田にとっても、世の中の人にとってもショックな出来事があったからだ。

 昨年12月18日、神田沙也加さんが亡くなった。

「札幌市内のホテルの高層階から転落し、帰らぬ人となりました。この日は神田さんが主演を務める舞台『マイ・フェア・レディ』の地方公演で札幌に滞在しており、一部のメディアでは、自殺の可能性が高いと報じられています」(スポーツ紙記者)

 沙也加さんは'86年に神田正輝(71)と松田聖子(59)という希代のスターのもとに生まれた。ただ、家庭内は“混乱”に見舞われ続けた。

「聖子さんはバックダンサーなど複数の外国人男性との不倫疑惑が報じられ、'97年に神田さんと離婚。翌年主治医の歯科医と再婚しましたが、'00年に離婚しました。'12年には別の歯科医と再々婚しています」(同・スポーツ紙記者)

 それでもたくましく育った沙也加さんは14歳で芸能界デビュー。歌手や女優と幅広く活動する一方で、たびたび母・聖子との“不仲説”も取り沙汰された。

 親子の間で“距離”ができた時期もあったのかもしれないが、娘の死は聖子の心に暗い影を落とした。

「聖子さんは昨年末のNHK紅白歌合戦に出場する予定でしたが、辞退しました。訃報を聞いてからは、憔悴しきっていましたからね。彼女の決断を責める人はいませんでしたよ」(NHK関係者)

 ただ、当初聖子は自分の仕事を完遂しようとしていた。

“こういう状況だからこそしっかりしないといけない”と出場を考えていたといいます。ただ、周りの人が気を遣ってしまうことを懸念したようです。

 聖子さんと沙也加さんは'11年に紅白で共演していますが、司会者もそのことには触れにくいですよね。そうしたことも踏まえて、辞退することにしたのでしょう」(同・NHK関係者)

 最愛の娘が亡くなった現実を受け入れるのには、もう少し時間がかかりそうだ。

「12月23日から26日まで予定されていたディナーショーも中止しました。いまはまだ気持ちの整理がつかないでしょうし、沙也加さんの四十九日法要が終わるまではコンサートをはじめ、公の場に出るのを控えるのではないでしょうか」(テレビ局関係者)

秋山が耐えられなかった“結婚願望”

 聖子は“恋多き”女性だったが、娘も似た部分を持ち合わせていた。

「沙也加さんはかなりの恋愛体質で、常に彼氏がいないとダメだったようです。これまでも、年上のギタリストや石垣佑磨さん、山崎育三郎さんなど、たびたび交際が報じられましたからね」(同・テレビ局関係者)

 どの恋人とも長くは続かなかったが、'17年に舞台共演を機に交際に発展した村田と結婚。ようやく幸せを手にしたかに見えたが……。

マックからペアルックで出てきた村田充と神田沙也加さん

「'19年に離婚しました。その直前に『女性セブン』で、ジャニーズJr.(当時)の秋山大河さんとの不倫疑惑が報じられました。沙也加さんの事務所は不倫関係を否定しましたが、秋山さんのマンションで一夜を過ごしたことも報じられましたね」(同・テレビ局関係者)

 報道後も、秋山との関係は続いていた。

「秋山さんは“不倫”が原因だったのか、'20年にジャニーズ事務所を退所。沙也加さんはそんな彼をサポートしていました。一時期、彼は沙也加さんの家に入り浸って自分の家に帰らず、同棲に近い状態だったといいます」(沙也加さんの知人)

 いつしか秋山の存在が、離婚してできた心の隙間を埋めていたのかもしれない。しかし、そんなふたりの関係にもピリオドが打たれる。

昨年の夏ごろに破局したと聞いています。原因は、沙也加さんの結婚観。彼女は結婚願望が強く、自分だけを見てほしかったようです。

 しかも、“私と付き合うなら芸能関係の仕事はしないで”など束縛が激しくなった。秋山さんはそれに耐えかねて彼女から離れてしまったんです」(同・沙也加さんの知人)

 昨年12月23日に発売された『週刊文春』では、沙也加さんは秋山と別れた後、D-BOYSのメンバー・前山剛久と交際していたことが報じられている。

「昨年10月ごろから交際を始め、沙也加さんは結婚を意識していたそうです。ただ、前山さんが以前付き合っていた女性と浮気し、沙也加さんとケンカになったと書かれており、順調とはいえなかったようです」(芸能プロ関係者)

 沙也加さんが亡くなった1週間後、彼女への思いを聞くため、都内にある秋山の自宅マンションのインターホンを鳴らしたが応答はなかった。

 後日、秋山が代表を務める会社のホームページに沙也加さんが結婚を意識していたこと、破局の原因について問い合わせたが、期限までに回答はなかった。

 秋山とも、前山とも結婚を意識していたようだが、なぜそこまで家庭を持つことにこだわっていたのだろうか。

沙也加さんは幼いころから、芸能一家として華やかな生活をしていたように見えますが、両親が家におらず、寂しい思いをすることが多かったそうです。お母さんと“距離”ができた時期もあったので、ごく普通の家庭を持つことに憧れていたのかもしれませんね」(同・芸能プロ関係者)

 '15年に出版した自著『Dollygirl』(宝島社)でも、幼少期に抱いた苦悩を語っている。

《卒園式のときに周りの父兄の方がざわざわしているのがわかって。「あれが!」「あの人が!」っていうざわつきが伝わって来て。そのときに、私の家には噂されたり、取沙汰される何かがあるのかもしれないって思うようになりました》

 “結婚して普通の家庭を持って、幸せになりたい”──。生前、そんな理想を抱いていた沙也加さん。一度は家庭を持つも離婚し、最期の“宿願”が叶えられなかったことは悔やまれるばかりだ。

談笑しながら運動会の親子競技の出番を待つ神田沙也加さん(当時11歳)と松田聖子(1997年10月)