内村航平

 世の中には「ヤバい女=ヤバ女(ヤバジョ)」だけでなく、「ヤバい男=ヤバ男(ヤバダン)」も存在する。問題は「よいヤバさ」か「悪いヤバさ」か。この連載では、芸能人や有名人の言動を鋭くぶった斬るライターの仁科友里さんが、さまざまなタイプの「ヤバ男」を分析していきます。

 日本の体操界を長年けん引してきた内村航平。先日、引退会見を開いたばかりですが、『週刊文春』が内村による妻へのモラハラを報じたのでした。

 記事からいくつかエピソードを抜粋します。

・内村は「ウーバー頼んだから」と妻の手料理を拒否。

・妻が心療内科に通院するようになると、「理解できない。自分の脳のことなんだからコントロールしろよ」と言われた。

・子どもたちが遊んでほしくて声をかけても「邪魔」と言うか無視するだけで、公園に連れていくようなことはなかった。

 内村と言えばツインテールがトレードマークの母親、周子さんも有名です。周子さんといえば『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)で、人目を気にせず超過剰な応援をしたことで、内村に「もう応援に来ないでくれ」と言われるほど、ヤバいまでの息子愛を披露していましたが、最後には「いろいろすることよりも、見守ることが母親として大事なんだということを感じました」と結んでいました。

 しかし、『文春』の記事によると、周子さんは妊娠中の妻に「本当に航平の子ですか?」と聞いたり、結婚後もしばらくは内村の収入を管理していたそう。お嫁さんとはあまりいい関係性ではなかったことがうかがえます。

結婚のタイミングを間違ったのでは

『文春』記事の内村の行為がモラハラなのか、単なる夫婦不和なのか、部外者にはいまいち判断がつきませんが、どちらがヤバいというより、結婚のタイミングを間違ったのではないかと思うのです。

 モラハラエピソードから推察すると、妻は自分が作ったものを家族みんなで食べ、内村には父親として子どもに接してもらい、体調不良時には夫として寄り添ってもらうことをイメージしていたのでしょう。私はそれが贅沢な要求だとは思いません。

 しかし、内村は練習に過集中する傾向があるそうです。だからこそ、金メダリストになりえたのでしょうが、家庭人として見るなら家族を顧みないヤバ夫となる。家庭を持つのは、現役を引退してからがよかったのではないでしょうか。

 実際にモラハラがあったのかは別として、おそらく妻側に同情は集まらないと思います。それは妻個人の問題ではなく、バイアス(思い込み)のためです。

「社会的な成功を収めた人は正しい」というバイアス

 内村がウーバーイーツで食事を頼んでいたことについて、ネットでいくつか「一流アスリートの偏食はめずらしいことではないのだから、妻はそれに合わせるべきだ」という書き込みがありました。こういうとき、具体例にあげられるのが、日本が世界に誇る元野球選手のイチローです。イチローは食べ物の好き嫌いが多く、夫人の作る具のないカレーやそうめんを食べ続けていたことで知られています。

 しかし、一流選手がみな偏食かというと、そんなこともないのです。元中日ドラゴンズ・落合博満監督は、若かりしころは成績もふるわず、大の偏食家だったそうです。しかし、信子夫人の“指導”でそれを直し、日本プロ野球史上唯一の3度の三冠王を達成しました。自著『戦士の食卓』(岩波書店)で落合氏は《とにかく、選手にとって一番大切なのは体であり、その体を健康に保ち、強くしていくのは食事と睡眠だ》と書くに至っています。

 偏食でも結果を出している選手もいるし、偏食を直して一流となった選手もいる。つまり、偏食かどうかは、問題ではないのです。それではどうして「一流アスリートの偏食は、めずらしくない」と内村を擁護するような意見が出てくるのか。それは「社会的な成功を収めた人は正しいに決まっている」というバイアスのせいではないでしょうか。

「勝てば官軍負ければ賊軍」ということわざは「正義が勝つのではなく、勝ったから正義とみなされる」という、私たちが“強いものに弱い”というバイアスを象徴していますが、内村は“世界一”という地位を手にしています。

「人生万事塞翁が馬」ということわざがあるように、人生の勝ち負けは後になってわかることが多いものです。けれども、はっきり“勝ち”と“負け”が一瞬にして出る分野もあります。オリンピックなどスポーツの試合、受験、人気商売などの売り上げで、これらの世界では「結果がすべて」です。

 アスリートが金メダルを取って“世界一”となったあかつきには、抜群の知名度と好感度をいかしてCM出演するなど、経済的にも潤うでしょう。場合によっては国民栄誉賞を受賞するなど、社会的な名誉も得られるかもしれません。

 このように、たくさんの“ご褒美”が用意されている以上、絶対勝たないといけなくなるでしょう。そうすると、本人やその周りはだんだん「勝てば他のことは何でもいい」という発想に陥ってしまうのではないでしょうか。家庭生活に対する妻の要望は、金メダルには無関係な出来事ですから、夫やその周辺にとっては「どうでもいいことをグチグチ言ってくるヤバい妻」として切り捨てられてしまう可能性があります。

 金メダルといえば、昨年の東京オリンピックで金メダルにもっとも近いオトコの呼び声高かった瀬戸大也が実は不倫をしていたことが2020年9月24日発売『週刊新潮』によって報じられました。さらに2020年9月29日に配信された『女性自身』の記事は、《瀬戸大也 知人語る妻へのモラハラ…ワンオペ育児に断食強制も》と報じています。

 これも本当にモラハラだったのか、部外者にはわかりませんが、精神科医の市橋秀夫氏は『自己愛性パーソナリティ障害』(大和出版)において、「学歴や年収などの外的価値しか信じない」「プロセスには意味がなく、結果がすべてだと思う」という不健全な自尊心が摂食障害などの自分自身の不調を招いたり、DVなど他人を傷つけることに発展する危険性を指摘しています。スポーツは「勝ち負け」があるからこそ面白いわけですが、その価値観が行き過ぎるとモラハラが起きてもおかしくないのではないでしょうか。

モラハラ被害者がモラハラ加害者になる可能性

 しかし、発言権のない妻が関係者や世間サマに話を聞いてもらう方法が、1つだけあるのです。それは「メダリストの母」になること。日本は「夫や子どもを大成させるのが、女性の務め」という考えが強い国ですので、自分が金メダルをとらなくても子どもが金メダリストになれば、発言権を得られます。

 こうなると、何が何でも子どもには金メダリストになってもらわないと困るので、妻は子どもに「結果がすべて」「結果を出さない人間に価値がない」と刷り込むことになるでしょう。夫にモラハラされ、モラハラのつらさを一番知っているはずの妻が、今度は子どもにモラハラしてしまう可能性が出てくるのです。

 臨床心理士の信田さよ子氏は『夫婦の関係を見て子は育つ』(桐梧書院)内において、金メダリストの母のような成功者について《子どもにべったりとくっついて過剰なくらい世話を焼き、理想どおりに育てた後も、支配者という心地よい座を捨てようとしないで、子どもがいくつになっても『子どものために』を言い続けて離れようとしない》と、子どもに依存してヤバくなる可能性ついて指摘しています。

 しかし、世間は「成功した人の言うことは、正しい」というバイアスが強いため、「金メダリストの母」が子どもにべったりでも、「あれくらいヤバくならないと、子どもは金メダリストにはなれないのだ」とヤバさを推奨されているように受け止める母親がいないとも限りません。その結果、世の中にはモラハラの種子を受け付けられたヤバ母が増殖してしまうのではないでしょうか。

 有名人のモラハラが記事になるのは、モラハラへの嫌悪と言えるでしょう。しかし、皮肉なことに、モラハラを嫌う人の中に、モラハラ因子を持っている人も少なからずいると思うのです。

 ネットの書き込みで「モラハラだとしても、内村の業績はゆるがない」という意味のものを見ました。もちろんそのとおりで、彼は偉大な体操選手でしたし、よき家庭人のイメージでCMに出ているわけでもありませんから、こういう報道があっても今後の活動に影響がでることはないでしょう。しかし、誰かの何かについて論じるときに、すぐに社会的な業績を持ちだしてくることこそが、モラハラの芽だと思うのです。

「社会的な成功者は常に正しい」「有名大学に入れれば、絶対に子どもの人生は安泰だ」「子どもが優秀なのは、すべて母親の育て方のおかげだ」。私たちは毎日のようにこういう情報をシャワーのように浴びています。こういう極論をまるっと信じてしまう限り、モラハラする人、される人はいなくならないでしょう。つまり、私たちはみんなモラハラ加害者で被害者予備軍なのだと思わずにいられません。


<プロフィール>
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ。会社員を経てフリーライターに。『サイゾーウーマン』『週刊SPA!』『GINGER』『steady.』などにタレント論、女子アナ批評を寄稿。また、自身のブログ、ツイッターで婚活に悩む男女の相談に応えている。2015年に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)を発表し、異例の女性向け婚活本として話題に。好きな言葉は「勝てば官軍、負ければ賊軍」