梅沢富美男

 兄弟でこれからも紡ぐと誓った“夢芝居”だったが、梅沢富美男の兄・武生さんが1月16日、肺炎で他界していた。

「梅沢さんが関係者に送ったメールの内容が、記者の耳に入ったことで判明しました」(スポーツ紙記者)

 12月21日発売の週刊女性で、武生さんが昨年12月上旬に緊急入院していたことを報じたばかりだった。梅沢はツイッターで武生さんが亡くなったことに触れ、こう綴った。

《ニュースになり兄も役者冥利に尽きると思います。ありがとうございます》

「最後まで舞台に立ってほしい」

 梅沢は父親が立ち上げた『梅沢劇団』で小さいころから日本各地をまわり、舞台に立ち続けてきた。

「'83年にはリリースした『夢芝居』が大ヒット。50万枚を売り上げました。梅沢さんが大衆演劇の女形スターとして活躍する一方で、武生さんは'63年から2代目座長として一座を率いてきました」(演芸ライター)

 今でこそ『明治座』などの格式ある劇場で舞台の公演を行っているが、かつて大衆演劇は格下扱いされていた。それでも人気を集め、'88年に初めて明治座で公演を行ったときのこと。梅沢は過去の雑誌インタビューでこう語っている。

《ちょうど中日に、「今日、兄ちゃんとゆっくりつきあわねえか」と誘われたんです》

 ほかの人もいるのかと思ったら、2人きりだった。

《2人でボトル3本は間違いなく飲んだ(笑)。さすがに次の日はつらかったけど、今までの人生の中でいちばんいい酒を飲んだなあ》

 苦しいときも、うれしいときも、ずっと一緒だった。ただ、梅沢は1度だけ劇団を離れようと思ったことがある。

まだ武生さんが座長だったころ。劇団からたびたび梅沢さんの給料を下げたいと言われたのです。おかしいなと思って調べると、借金まみれで劇団の運営は火の車。梅沢さんは独立するか悩んだそうですが、劇団を守らなくてはという思いから、兄の武生さんから'12年に座長を引き継いだのです。何よりお兄さんに役者として、最後まで舞台に立ってほしい。そんな気持ちがあったようです」(同・演芸ライター)

梅沢(左)と兄の武生さん(梅沢のインスタグラムより)

 最近でもこんな2人の様子が目撃されていた。

武生さんはタクシーから降りるときに必ず気前よくチップを渡してくれていました。一方で梅沢さんは、それを渋~い顔で見ているんです。梅沢さんはチップを絶対くれない。お兄さんに比べればケチですよ」(タクシーの運転手)

 ハタから見れば“ケチ”に見えても、座長となった経緯を考えれば、財布のひもが固くなるのも当然。この2年はコロナ禍で公演ができなかったが、なんとか劇団を維持してきた。それもすべては兄への思いがあったという。

「武生さんも何度も大病を患いながらも、ずっと舞台に立とうとしていました。舞台で死ねたら本望と思っていたのでは」(劇団関係者)

 所属事務所は、

梅沢は、武生の死に目に会うことができて、無事に看取れたと言っていました

 兄と弟は最期のとき、何を語ったのか─。