1999年、都庁に初登庁する石原慎太郎さん

 昨夏開催された東京五輪・パラリンピックの“言い出しっぺ”は石原慎太郎さんだった。当初は2016年開催を目指して招致活動を展開し、リオデジャネイロに敗れると、涙を流して悔しがった。

 国内の招致機運を高めるためならば……と、アイドルグループ・AKB48や漫画家・蛭子能収さんと一緒にオリジナル体操をしてみせるパフォーマンスもいとわなかった。

 1964年の東京五輪を会場で観戦している石原氏は、感動したシーンについてこんなふうに述べている。

「“東洋の魔女”と呼ばれたバレーボール女子日本代表が宿敵・ソ連(現ロシア)に勝って金メダルを取った瞬間、大松博文監督はすーっといなくなって、遠くから壁にもたれて選手たちが喜ぶ様子を眺めてニコニコ笑っていた。あのとき、男って美しいなと思ったね」

北島康介さんと約束した“焼き肉3年分”

 口数が少なく“鬼の大松”の異名をとる厳しい監督で、選手との距離感は、昨夏の五輪でバスケットボール女子日本代表を銀メダルに導いたトム・ホーバス監督とも、'11年のサッカー女子W杯でなでしこジャパンを優勝させた佐々木則夫監督とも異なる。

 世界で活躍する男を評価し、競泳男子金メダリストの北島康介さんの選手時代には、活躍のご褒美として「焼き肉3年分をおごる」と約束も。

「世界選手権の優勝を喜んで言い出したんですが、そもそも北島さんの実家は精肉店なのでうれしいかどうかは微妙なところ。当時控えていたアテネ五輪でも金ならば……とご褒美を3年分までつり上げた」(当時の都政担当記者)

 ところが、都民である北島さんにポケットマネーで焼き肉をおごると有権者への利益供与とみなされるため、おごりたくてもおごれない事実が発覚。それでも「約束は守ります。違うかたちであっても」などと言い張り、都民栄誉賞を贈る際に副賞を20万円増額した。

「いまさら西部警察じゃねえだろう」

裕次郎さんの墓前に都知事当選を報告した石原慎太郎さん(撮影/佐藤靖彦)

 1999年の都知事選で初当選すると、応援してくれた俳優・渡哲也さん(故人)や舘ひろしさんら“石原軍団”とともに弟・裕次郎さんの墓前に勝利報告した。故人の眠る場所で鏡割りやバンザイをするなどいささかやりすぎた感もあったが、選挙戦で弟の力を借りたのは確か。

 街頭演説では、裕次郎さんの代表作のひとつである刑事ドラマ『西部警察』のテーマ音楽を流し、聴衆に向かってマイクを握ると、

「裕次郎の兄です」

 と挨拶してつかみはOK。

 都知事就任後、折に触れて「俺のほうが裕次郎よりも歌がうまい」「のどを痛めたが、本当は裕次郎よりいい声」などと張り合うように話した。

 2003年夏、裕次郎さん没後も制作が続いていた『西部警察』のロケで事故が起きると、都庁の定例会見でこう述べた。

「石原プロの幹部が来て“裕次郎さんに怒られたんだと思います”と言うから、そのとおりだと言っておいた。昔のマネばかりせず、新しいことを考えたほうがいいよ。いまさら西部警察じゃねえだろう」

 テーマ音楽を使っているわりに、それは棚にあげて言いたいことを言う。さらに、

「それじゃあって、いまのスタッフが『東部警察』にするかどうかは知らないけどさ」

 と笑いを誘った。

通ったあとには高級ブランドの残り香が

 政治家を引退してからも物議を醸す発言は収まらず、「暴走老人」と自嘲するように話し、態度を改めることはなかった。

 在職中から女性や外国人を差別しているととられても仕方のない発言を繰り返し、世論を敵にしそうになると、都合のいいところだけ切り取った報道だとメディア攻撃も。小池百合子都知事に対して“大年増の厚化粧”と言い放ち、対立候補を応援する選挙戦でむしろ逆効果になった。

石原慎太郎さんと小池百合子都知事

 おそらく、敵に回して反発されなかったケースがひとつだけある。

「カラスです。もともとゴルフ場でアイアンを投げつけたら頭をつつかれてカラスが嫌いになったそう。2001年に都内のカラス撲滅を宣言し、プロジェクトチームまでつくって撲滅作戦を遂行した。石原さんは“東京名物としてカラスの肉のパイを作ろうと思う”と話したが、カラスは利口でなかなか捕獲できなかった。しかし、徐々に成果を上げ3年後には約3割減らすことができた」(当時の都政担当記者)

 カラス肉のパイ販売は実現しなかったが、石原さんとカラスが対峙するイラストがパッケージに描かれた東京限定サブレ『カラスの勝手はダメ!ダメ!』を都庁内の売店で販売した。人間を襲ったり、ごみ集積場を荒らすカラスの天敵でもあった。

酒好きだったのにいちご牛乳を欲して

 長身でダンディー。スケジュールどおりに動くとは限らず、番記者たちが石原さんに話を聞こうと待ち構えていても、居場所が特定できないことも。そんなときは……。

1999年、都知事当選会見をする石原慎太郎さん

「通過予定のルートを歩いてクンクン匂いをかぐしかない。高級ブランドの香水をつけているので、石原さんが通ったあとは独特な残り香がある。もう来たか、まだ来ていないか判断できる」(同・都政担当記者)

 懐かしい思い出という。

 健康には人一倍、気を使っていた。都知事在任中、高齢にもかかわらず、シュノーケルを装着してスポーツクラブの15メートルプールを何回もターンしていたという。

「1200メートルは泳いでいるからね」

 と番記者に胸を張った。

 石原結實医師の『断食道場』(静岡県伊東市)に毎年のように通い、記者団に向け、

「だいぶスマートになっただろう?」

 などと笑みを浮かべながら確認した。

 父親に買ってもらったヨットに裕次郎さんとのめり込み、大きなレース中に自分の位置がわからなくなり死にかけたこともあった。

「3~4年前、石原さんとヨットに同乗する機会があり、下船後に“いちご牛乳を飲みたい”とおっしゃったのでコンビニまで買いに行ったことがある。以来、ヨットにいちご牛乳を常備するようにしたんです」

 と面識のあるヨットマン。

 酒を好んだ石原さんがいちご牛乳好きとは意外だ。

 海を愛した石原さん。生前、神奈川県・葉山の沖合に海の男らを見守る“裕次郎さんの灯台”を建立している。死後、その隣に“慎太郎灯台”を建てるようにと、息子たちに命じてあるという。