美智子さまと秋篠宮さま

 NYの街中がピンク色に染まり、ショーウインドーが“LOVE”の文字で飾りつくされるバレンタインデー。くしくもこの日、秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんは渡米3か月を迎える。

「自由気ままな生活を満喫できるのは、NYの日本領事館と日本のテレビ局の間で“小室さん夫妻の映像は撮らない”という協定が結ばれているから。ふたりには必要に応じて現地の警備がついていると聞きましたが、これも日本政府の意向が影響していると思われます」(外務省関係者)

相次ぐ報道で最側近から苦言が

 翻って日本でも、こんな“計らい”が物議を醸した。

「1月27日、秋篠宮ご夫妻が新たにNYに赴任する総領事と接見されました。ただ、総領事が着任時に皇族方に接見するというのはきわめて異例。仮に形式的な挨拶だったとしても、眞子さんの今後のために“先手を打った”と勘繰らざるをえません」(皇室担当記者)

 親として、海の向こうで暮らす愛娘を案じる気持ちもおありだろう。しかし、

「皇室を離れて民間人となった眞子さんが“特別待遇”を享受することは、秋篠宮家の問題でもあり、世間からは冷ややかな声が上がっています。眞子さんの結婚騒動以来、国民からの風当たりは強まる一方、秋篠宮さまは非常にナーバスになっておられるそうです」(宮内庁関係者)

 その証拠ともいうべきか、1月下旬には秋篠宮家の側近トップである加地隆治皇嗣職大夫から2度にわたって“苦言”が繰り出された。

《一般論として、受験期を迎えている未成年者の進学のことを、憶測に基づいて毎週のように報道するのは、メディアの姿勢としていかがなものか》─。

 現在、お茶の水女子大学附属中学校に通われている悠仁さまが、『提携校進学制度』という“特別ルート”を利用して筑波大学附属高校へ進学されるとの報道が相次いでいることを受けての見解だ。

「1月21日に行われた定例会見で、記者から進学報道についての見解を問われた加地大夫は、その場では回答せず、24日に文書を公表しました。

 加地大夫は口堅く、秋篠宮家の些細な近況は、いっさい話しません。会見である程度の近況を明かす、ほかの宮内庁幹部とは一線を画しています。今回の対応は、秋篠宮ご夫妻のご意向を反映したと考えるのが自然でしょう」(前出・宮内庁関係者)

 皇室に詳しい麗澤大学国際学部の八木秀次教授は“憶測”という表現に注目する。

皇族の“生の声”が晒されている

「“憶測”という表現は今回だけでなく、眞子さんの結婚会見でも用いられた言葉で、国民やメディアへの嫌気が感じられます。仮に悠仁さまが既報の進学先候補に入学された場合、“憶測ではなかったでしょう”との反論が生じるおそれもあります」

 1月28日の定例会見では、今度は佳子さまの結婚報道について釘を刺した。

「こちらから発表も何もない段階でそういった記事が出てくることについては、やはり遺憾である」(加地大夫)

 皇室制度史に詳しい慶應義塾大学法学部の笠原英彦教授は、こう解説する。

「皇室と国民の間に入って情報を仲介するのは、宮内庁の大きな役割の1つです。眞子さんの結婚にまつわる報道が過熱したことを踏まえ、予防策を講じているのでしょう。

 眞子さんが皇室との縁を断ち切るように結婚し、渡米されたのは非常に残念でした。秋篠宮さまが“類例を見ない”というお言葉で結婚を振り返られたように、同じことを繰り返してはなりません

 昨年10月、誹謗中傷による複雑性PTSDを公表した眞子さん。結婚会見では「誤った情報が事実のように広がりつらく悲しい思い」と訴えた。

2021年10月26日、結婚記者会見に出席した小室眞子さん

「秋篠宮さまも、昨年11月のお誕生日会見で“記事に反論する場合は、一定の基準が必要”との見解を示されました。今回の苦言は“基準越え”の証でもあるということでしょう」(前出・記者)

 前出の八木教授は、この“線引き”に疑問を抱く。

「進学や結婚はプライベートなことですが、皇室の今後に関わるため、国民の大きな関心事でもあります。このタイミングでメディアに注意を促すことは責任から逃げておられる印象を受けました」

 八木教授によれば、宮内庁のこれまでの対応は“無為無策”とも捉えられるといい、

「本来、宮内庁は皇室全体をマネージメントすべきですが、長年、広報戦略が練られていない。その結果、多くの国民が皇室への不信感を強めることになりました。今回の大夫の発言しかり、皇族方の“生の声”を晒すような対応が相次いでいるように感じます」

 皇室の情報発信がどうあるべきかという議論は、宮内庁の中でも30年近く続けられている。

美智子さまと秋篠宮さまのスタンスの違い

「大きな変化があったのは'90年代です。紀子さまや雅子さまが皇室に入られ、メディアはこぞって皇室の話題を取り上げました。その過程で“宮内庁がプライバシーを守らなくては”という考え方が強まっていったのでしょう。批判に対し、皇室の方がご自身でアクションを起こされるようになったのも、このころです」(笠原教授)

 皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは当時をこう振り返る。

「'93年10月、美智子さまは59歳のお誕生日に皇居で倒れられました。美智子さまにとってその1年は大変な激務でした。過密スケジュールで公務をこなされる疲労や緊張に加え、一部からの皇后バッシングがストレスとなり、失声症を患われたのです」

 そんな中で公表された誕生日文書には、美智子さまの前向きな“姿勢”が表れていた。

《どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。今までに私の配慮が充分でなかったり、どのようなことでも、私の言葉が人を傷つけておりましたら、許して頂きたいと思います。(略)しかし事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます》

「当時は、皇族が公の場でことの善しあしを言わないことが基本でした。それを踏まえつつ、美智子さまは国民の声に真摯に向き合われたのです。その後、わずか1週間でご復帰。公務でお言葉が戻ったのは、翌年2月のことでした」(渡邉さん)

'88年1月、昭和最後の新年一般参賀に臨まれた皇太子ご一家(当時)。美智子さまのお隣にこの時点での皇位継承順位1~3位がおそろいに

 美智子さまのひたむきな言動により、バッシングは次第に緩和されていった。

「当時の秋篠宮さまは、ご両親の生き方を学ばれ、皇族としてのお手本にされていました。'97年の誕生日会見では“皇室は、日本国民の支持があるからこそ続いている”とも述べられ、“平成流”らしいご発言だと感嘆したものです」(宮内庁OB)

 今回、秋篠宮さまが一石を投じた目的は29年前の美智子さまのご意向と同じようにも見えるが、しかし─。

「ご自身に至らないところがあると前置きされた美智子さまに対し、今回の“苦言”は、はなから反論姿勢でした。これでは国民が身構えてしまうのも無理はない。

 歴史上、皇室と国民は敵対関係にはなく、むしろ弱い立場にある国民に寄り添う立場として皇室が存在してきました。そういった歴史や伝統を改めて勉強なさることが、皇室と国民の幸せな関係を取り戻すことにつながるのではないでしょうか」(八木教授)

 美智子さまの教えは、皇室危機を救う“特効薬”となるだろうか。


渡邉みどり ◎皇室ジャーナリスト。文化学園大学客員教授。60年以上にわたり皇室を取材
笠原英彦 ◎慶應義塾大学法学部教授。日本政治史、皇室制度史などを専攻とし、著書多数
八木秀次 ◎麗澤大学国際学部教授。専攻は憲法学。皇位継承に関する有識者会議にも参加