松本白鸚

 2月8日、東京・銀座の日生劇場の前で肩を落とす女性の姿が。6日から始まった松本白鸚が主演を務める『ラ・マンチャの男』を鑑賞しにきた長年のファンだ。

今回“ファイナル公演”だというのに舞台関係者にコロナ感染者が出たことで、8日から12日まで上演中止になってしまいました。松たか子さんと10年ぶりの父娘共演も叶って楽しみにしていたのに、残念でなりません

『ラ・マンチャの男』は1969年から53年もの間、白鸚が主演を続ける“ライフワーク”とも呼べる舞台。江戸時代から続く歌舞伎の名門“高麗屋”の大名跡を受け継ぐ彼が、ミュージカルで活躍するのには複雑な経緯がある。

「白鸚さんの父は現代劇やシェイクスピア劇にも挑戦する先進的な考えを持っていました。1961年には新天地を求めて、息子の白鸚さんと中村吉右衛門さんら高麗屋一門を連れて、松竹から東宝に移籍したんです。

 当時の東宝は日本にまだ根づいていなかったミュージカル興行に積極的だったこともあり、白鸚さんもさまざまな作品の出演機会に恵まれ、その流れで『ラ・マンチャの男』日本初演の主役に抜擢されました。公演は大成功し、白鸚さんが松竹に戻っても演じ続けることになったんです」(演劇ライター)

出演者が語る舞台ウラの松本白鸚

『ラ・マンチャの男』は、スペインの小説家セルバンテスが書いた『ドン・キホーテ』をもとにした作品。獄中のセルバンテスが、自作の劇を自ら演じる場面から始まる。

'02年の帝国劇場での顔合わせで撮影。この年に『ラ・マンチャの男』は公演回数1000回を達成した。後列左がサンチョ役の佐藤輝

「騎士道物語に感化された老人が、自らを歴戦の騎士ドン・キホーテと名乗り、お供のサンチョ・パンサと世直しの旅に出ます。風車を怪物と思い込んだり、宿屋の娘を高貴な姫と思い込んだりするのですが、夢のために最後まで諦めない男の話でもあります」(同・演劇ライター)

 1995年から2008年までサンチョ役を務めていた佐藤輝は、白鸚との思い出を振り返る。

「東宝さんから直接オファーを受けて3代目のサンチョを演じることになりました。白鸚さんに初めてお会いしたのは1994年6月のこと。フランクな方で、お互いの本名が“てるあき”だとわかり“ぼくたちは前世で兄弟だったのかもしれないね”と言っていただきました」

 出会いは和やかでも、稽古場は緊張感にあふれていた。

白鸚さんは、稽古初日から本番と同じ衣装を着て臨んでいました。ほかの出演者も稽古前からセリフを入れて、誰も台本を持たないという意気込み。私のような新しいキャストは追いつこうと必死で、開幕までの60日間は連日の猛稽古でした」(佐藤)

2021年12月、『ラ・マンチャの男』制作発表会見に出席した松本白鸚と松たか子

 本番もハードだった。

2時間以上で休憩なし。加えて舞台は“八百屋”といわれる傾斜があり、足腰に負荷がかかります。白鸚さんと私は、30段近い急な階段を上り下りもします。コロナで休演になってしまったのはとてもつらいと思いますが、この舞台に1300回以上立ち続けた白鸚さんなら、きっとやりきれると思います」(佐藤)

80歳を迎える肉体に現れた異変

 しかし、過酷な舞台の負荷によって白鸚の肉体には異変が現れていたようだ。

「2015年10月の『ラ・マンチャ』公演の翌月に歌舞伎座で『勧進帳』の弁慶を演じたのですが、それ以来、ひざの調子が思わしくないんですよ。あの演目は“飛び六方”という、片足で跳ねながら退場する動作がありましたからね。70歳を過ぎて、連日の舞台でひざを酷使してしまったのがマズかった……」(松竹関係者)

 最近では食欲も衰えてきたのではないかという声も。

「コロナ禍前までは、息子の松本幸四郎さん一家と行きつけのステーキ店によく食事に行っていました。そこでは、1ポンドステーキとライスをペロリと平らげていたそうですからね。でも、コロナ以降は1度も行ってないっていうんです。幸四郎さんは家族で今でも通っているみたいなので心配です」(白鸚の知人)

 彼はなぜ、このタイミングで『ラ・マンチャ』からの勇退を決めたのか。歌舞伎評論家の中村達史氏に話を聞いた。

「十分にやりきったという思いがあるのではないでしょうか。白鸚さんは青年のような心の持ち主で“夢のために生きてこそ人生”という考えを持っています。だからこそ、今まで激しいミュージカル劇を続けてこられたのだと思います」

 歌舞伎役者としての今後も気になるところ。

「2018年に二代目白鸚を襲名してからは、高麗屋頭領としての重圧から解放され、自由の境地へと歩みながら芸を高め続けているようにお見受けします。一方、昨年末に弟の吉右衛門さんを亡くされているので、伝承への危機感から後進育成などにも目が行くかもしれません」(中村氏)

『ラ・マンチャの男』は終わっても、白鸚の歌舞伎道はまだまだ続く─。