中村克選手 写真/共同通信社

《選手として憧れの存在でありたいと思いますし、見られることで気分も高まります。そして負けは許されない、という意識が高まるんです》

 昨年12月、男性向けファッション誌『LEON』の取材で自身の哲学を語った、東京五輪競泳日本代表の中村克(かつみ)。

「中村選手は'16年、日本選手権の100メートル自由形で自身の日本新記録を更新するタイムを叩き出して優勝。同年のリオ五輪ではリレーの第1泳者を務め、日本人初となる47秒台を記録しました。昨年の東京五輪でも、メダル獲得とはならなかったものの400メートルメドレーリレーで銀メダリストに匹敵するタイムを記録。日本人が体格的に不利だと言われる自由形の短距離で世界を相手に戦う、日本競泳スプリント界のエースです」(スポーツ紙記者)

『週刊女性』は3年前、中村を支える父・昇さんに話を聞いていた。都内で居酒屋を営んでいた昇さんは、息子の競泳人生を振り返りつつ、こんな話を披露してくれた。

克はよく来ますよ。レバーやもつ煮、焼き鳥全般が好きでよく食べてますね。大会前だとお酒もまったく飲まないので、好きなものとご飯を食べています。瀬戸大也さんや入江陵介さんといった競泳選手仲間を、一緒に連れてきたこともあります。

 焼き鳥の盛り合わせとか普通1つ頼んでみんなでシェアするじゃないですか。あの子たちは1人で1皿ペロッと食べて、ほかの料理もバンバン食べていました(笑)。みんな本当によく食べるので、びっくりしますよ

父・昇さんがオーナーの『厳選もつ酒場エビス参竹ノ塚店』には、中村選手の写真が飾られていた

1年前に閉店していた

 店内には選手たちが訪れた際の写真も飾られており、“トビウオジャパン”の憩いの場となっていた。しかし、最近になってこんな話が……。

1年ほど前に閉店してしまったんですよ。数か月後には、別の経営者の店舗として焼肉店がオープンしています。焼肉店には克くんのお兄さんが月に1度は通っているみたいなんですが、克くん本人は行っていないようですね」(中村の知人)

 2月中旬、実際に居酒屋があった場所を訪れてみると、店内は居抜きでそのまま使用している様子であるものの、確かに別の店舗に変わっていた。周辺で話を聞いてみると……。

「お父さんがお店をやっていたころは、克くんが来ると人が集まって、本人がいるのがすぐにわかりましたよ。閉店を迎えた'20年の12月には、私も寂しさのあまり、3日間連続で食べに行ってしまいました。閉店理由は、新型コロナウイルスの影響だと聞いています」(近隣住民)

叶わなかった夢

 多くの人に愛されていた居酒屋も、厳しい逆風にさらされていたという。やはり、コロナが経営に追い打ちをかけていたのだろうか。昇さんに電話で話を聞いた。

閉店したのは事実です。やはり、コロナの影響が大きかったですね。協力金をもらったり、お昼にお弁当を出したりして凌いではいたんですが、やはり売り上げが上がらず……厳しかったですね

 息子の活躍を見守りながら切り盛りしていた店については、特別な思いがあった。

「この店は息子が高校生で活躍し始めたころにオープンしたので、いろいろと感慨深いものがあります。レース前に克が食べに来たり、水泳の先輩たちを呼んで食事をしたりしていましたから、選手たちのパワーの源や憩いの場所にもなっていたのかなと。閉店のときは、克本人も“寂しいね”と残念がっていましたよ……」(昇さん)

昇さんがオーナーの『厳選もつ酒場エビス参竹ノ塚店』には、中村選手の写真が飾られていた

 昨年の東京五輪を待たずに閉店を迎えたため、心残りになってしまったことも。

リオ五輪のときは、お店にお客さんを呼んでみんなで応援したのがいい思い出です。東京五輪が無観客での開催になったから、またお店でお客さんと応援をして盛り上がる計画を立てていたんですが……。それが叶わず、残念でしたね」(昇さん) 

 たくさんの思い出が詰まった大切な店が無くなってしまったことは事実だが、どうやら暗い話題だけではないようだ。 

実は、コロナが落ち着いたらほかの場所でまたお店をやろうと考えているんですよ。今はその計画を立てているところです。もし、お店を出せることになったら記者さんにも報告しますね」(昇さん)

 今後の展望を熱っぽく語る声は、明るく力強いものだった。

 いまだ終わりが見えない新型コロナの感染拡大。中村と昇さんにとって大切な場所の復活のためにも、一刻も早い収束を願うばかりだ。